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夢を捨てる。悩みを捨てる。

石を捨てる海岸

砂浜ではなく、石の浜の掌編を書きました。
石浜って素敵じゃないですか。
きれいな石を拾っていると時間を忘れます。
でもその海岸では石は捨てるもので、拾ってはいけないのです。

掌編『石を捨てる2』

 海岸にはいろんな石が落ちていた。
 七色に光る小さな丸石。長い棍棒のような茶色い石。黒光りする尖った石。
 大小さまざまな石で満ちている浜。
 僕は七色に光る石を拾おうとして、膝を曲げた。
「拾わないで。ここは石を捨てるところなんだ」
 若々しい四十代にも、老けた二十代にも見える年齢不詳の長髪の男性が、僕を見下ろしていた。
 僕は石を拾うのをやめて、首を傾げ、男の人を見つめた。
 彼は僕から目を逸らして、海の方を眺めた。
 海は濃紺で、波頭だけが灰色だった。
 空はどんよりと曇り、太陽は北天にあって、雲をわずかに白く光らせている。
 海岸にはちらほらと人がいて、右手か左手で石を握っていた。
「他の人は石を拾っているみたいですけど」と僕は言った。
「あれは拾った石じゃない。もともと彼らが持っている石だよ。ほら、きみだって」
 言われるまで気づかなかったが、僕は左手に文庫本サイズの直方体の白い石を持っていた。
 あれ? なんだろうこの石。憶えがない。
「それは夢の石と呼ばれるものなんだ」
 波打ち際にいた黒いコートを着た女の人が、石を海に放り投げた。
 石は小さなしぶきをあげて、海に吸い込まれた。
 女性は幾分かほっとしたような笑顔を浮かべ、霧状になって消えた。
「あの人はいま夢を諦めた。石を捨てると、夢から解放される。もう夢を追わなくていいんだ。晴れ晴れとした朝を迎えることができるだろう」
 夢は祝福であるとともに、ある種の呪いだからね、と年齢のわかりにくい男性は言った。
 そこで目が覚めた。将来の夢についての夜の夢を見ていた。
 僕はひとり暮らしのアパートでトーストを焼いて食べ、歯を磨き、出勤した。
 擦り切れるほど働いて、定食屋で晩ごはんを食べ、部屋に帰ってからパソコンを起動させた。深夜まで小説を書く。
 何年こんなことをつづけているだろう。
 僕はどうして小説を書いているのだろう。
 そんなこともわからなくなってしまっているのに、惰性で文章を綴っている。
 また石の浜へ行った。
 若いのか老いているのかわからない女の人が、初めてこの海岸を訪れたらしい髪の短い女性に夢の石について説明していた。
「石を拾わないでください。ここは石を捨てるところなんですよ」
 僕はあいかわらず直方体の石を持っていた。
 以前は白い石に見えたはずだが、黒ずんでいる。
 この石を捨てたら楽になれるのだろうか。
 背後でがちゃんと音がした。
 振り返ると、端正な顔をした二十五歳くらいの男性の足元に、ダイヤモンドのように輝く大きな石が落ちていた。
 僕は驚いた。あんなに綺麗な石を捨ててしまうのか。
 迷っていた。曇天の下にある冴えない海を見ながら、薄く平べったい石を捨てていいものかどうか、僕は考えあぐねていた。

この掌編は2024年8月30日に書いたリメイクで、前作は2021年11月27日につくりました。

掌編『石を捨てる。』

 一瞬、目の前が暗くなった。
 気がつくと、僕は海岸に立っていた。
 ザ、ザーンと白波が浜に打ち寄せるごくふつうの海に見えた。
 しかし、浜にはたくさんの黒い石が転がっていた。
 無数の黒い石。
 大きい石も小さい石もあった。
 丸い石もギザギザの石もあった。
 共通点はどれもが黒いことだった。
 黒い石ばかりが転がっている海岸。奇妙な場所だった。
 上を見ると、青い空がひたすらに広がっていた。
 雲はひと筋も見当たらなかった。
 海岸にふたりの女性が立っていた。
 なにごとか話し合っている。
 似た容貌と背丈の女性だ。
 少し遠くてはっきりとはわからないが、ふたりは同一人物ではないかと思うほど似ていた。
 ひとりは右手に黒く細長い石を持っていた。
 その人は黒い石を海岸に捨てた。
 そして、ふたりは幻だったかのように消え失せてしまった。
 僕の目の前には男性がいた。
 僕そっくりの男だった。
「ここはどこなんだ?」と僕は訊いた。
「ここは悩みの石の海岸さ。石を捨てるか捨てないか決めるところだ」
「悩みの石の海岸?」
「そう。きみが手に持っている石をここに捨てるか、持っているか、決めるんだ」
 僕は涙滴型の黒い石を左手に持っていた。
 そんなものを持っているなんて、気づいていなかった。
「これが悩みの石か」
「そうだよ」
「なんの悩みなんだろう」
「ここではそれは思い出せないし、教えてもいけないことになっている」
「そうなんだ……」
「とにかく、いまここで、それを捨てるか捨てないかを決めなければならない。それが決まりだ」
 僕は迷った。
「これを捨てるとどうなるのかな?」
「悩みをひとつ消せるよ。悩みを抱えたまま生きていきたければ、持っていればいい。悩みを捨てたければ、石を捨てるんだ」
「その悩みがどんなものなのか知らなければ、決められない」
「それでも決めなくてはならないんだ。ここはそういうところなんだよ」
 迷ったあげく、僕は石を捨てた。
 また目の前が暗くなった。

 気がつくと、僕は大学のキャンパスにいた。
 僕の彼女だった女の子が、僕の前から立ち去っていく。
 フラれたのだ。
 2年間つきあった大好きな彼女。
「他に好きな人ができたの」と言われた。
 不思議なことに、僕は少しも傷ついてはいなかった。
 泣きたくもならない。
 何かを捨てたような気がする。
 大切なものだったようにも、一刻も早く捨てたかったものだったようにも思えた。
 何を捨てたのか、僕はまったく思い出すことができなかった。 

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