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リンダばあちゃん! 運転中に泣いたら危ない!

俺が20代前半でお肌にも張りとツヤがあった頃の話である。かねてから外国暮らしに憧れていた俺は、働きながら海外で生活できるワーキング・ホリデー・ビザというものがあることを知り、それを利用してオーストラリアに行くことにした。

しかしこの話は、そんなビザ制度を紹介し青少年の海外渡航を奨励するような話ではなく、ある青二才が外国で出会ったある年上の女性に関する、個人的な思い出話なのである。


そろそろ残高がヤバい

なんとか無事にワーキングホリデー・ビザでオーストラリアに渡り生活を始めたものの、俺の目の前に大きな言葉の壁が立ちはだかっていた。初めての外国暮らしで気合だけは入っていたのだが、なかなか言いたいことが言えないし、相手が何を言っているのか良くわからない場面も多かったのである。

10週間だけ語学学校に通い、英語が母国語でない友達と話をしている時にはなんとか言いたいことが言えるようにもなってきたものの、若い英語ネイティブ同士が話をしているところに居合わせた時などは置物と化してしまうことも多かった。

一応その場にいて話を聞いているのだが、実際には半分も聞き取れない。だからなんにも言えない。額に汗を浮かべながら、「これは楽しい話のようだな」と思ったら微妙にひきつった微笑みを浮かべてみたり、「これは悲しい話だな」と思ったら眉を八の字にして首を横に振ったりすると言う、要するにその場の空気を嗅ぎ取りながら、勘だけでその場その場を乗り切るのが精一杯だった。

そんないらない演技力を磨く俺を横目に、語学学校で知り合った友達(他のアジアやヨーロッパの国から来た留学生)は皆順調にそれぞれの目的である大学進学コースなどに進んでいった。

しかしワーホリで来た俺にはそんなあらかじめ決められた予定もなく、かと言って毎日観光して気ままに過ごすような財力もなかった。持ち金全部を突っ込んだ地元の銀行口座の残高もどんどん寂しくなってきた。このままでは数カ月もしたら生活破綻である。そこで俺は本腰を入れて仕事探しを始めたのだった。

***

その頃の俺のような、英語で深いコミュニケーションができないヤツにはなかなか働き口がなさそうに思われるかもしれないが、幸運な事にその頃のオーストラリアには日本からの旅行者も多く、旅行業界や飲食業界では求人が多かった。次のような職種では英語が少しくらい拙くても大目に見てくれた。

1.免税店やお土産店の店員さん
2.現地ツアーガイド
3.日本食レストランのスタッフ
4.日本的スナックのスタッフ

ある日、フリーペーパーと呼ばれる地元の日本語版無料新聞の求人広告を端から見ていくと「ツアーガイド募集」という文字が目に入った。俺は飲食店などで働くよりもツアーガイドの方が稼げることをどこかで聞いていた。

これだ!

早速その広告の指示の通りに適当な履歴書を書き、郵送するのも面倒なのでその会社に電話をして直接持参すると、その場で面接となった。全く準備していなかった割に、話は順調に進んでいった。日本人マネージャの方との面接は全部日本語で、ほとんど雑談のような内容だった。「仕事では英語も必要ですが大丈夫ですか」という日本語での質問に、俺も日本語で「はい、大丈夫です」と答えた。英語力に関しては性善説に基づいた完全自己申告制だった。

そして一通り話が終わるとマネージャはいきなりその場で、
「では、採用です。こことここにサインをお願いします。すぐ働けますか? それでは明日トレーニングがありますので○時に○○ホテルに来て下さい」
などと言うのだった。それだけ人手不足だったのだろう。

そして翌日俺はトレーニングの集合場所のホテルに向かった。

***

トレーニングにはやや緊張して臨んだが、初日トレーニングはベテランガイドさんが市内を観光案内するバスに乗せてもらって見学しただけであっと言う間に終了した。

(本格的なトレーニングは次回なのかな?)
と思ったのも束の間、ツアーが解散となりお客さんが部屋に帰るとそのベテランガイドさんは、
「だいたいこんな感じです。大丈夫ですよね」などと言うのである。
早速来週から一人立ちなのだと言う。

(えええっ、これで終わりなのか … )
そんな事とは思っていなかったのでメモも取っていないし、今聞いた市内の説明もほとんど覚えていなかった。しかし、早速仕事をもらえるのならラッキーだし、まあなんとかなるだろうと開き直ることにした。

初めての仕事

その頃のツアーガイドの世界、入ってみてからわかったのだが、中には暗黙のカースト制度があった。

一番高い階級にいたのは、現地オーストラリア人を旦那に持つ感じの英語ペラペラの日本人(というかもうオーストラリア人)のご婦人方や、永住権を取られ長く現地にお住まいの日本人のオジサマ方などのベテランガイド。次が、労働ビザや学生ビザでガイドをやっている英語堪能な日本人の方々、または流暢な日本語が話せるオーストラリア人。そしてその下に我々のようなワーキングホリデーで来ている若造軍団が続くのだった。

このカーストによって回ってくる仕事が違うのだ。

そんなわけで、入りたてで最下層カーストの俺に回ってきた最初の仕事は、「空港でお客さんを迎えて一緒にバスに乗りホテルに送り届ける」という仕事だった。

この「空港ピックアップ」と呼ばれる仕事は一番簡単な仕事だった。初めてもらったアイテナリー(行程表)に書かれていたのは「空港に到着する新婚さん2組を迎えて市内のホテルまで送り届ける」というミッションだった。

早めに空港の到着ゲートに着いた俺は、事前に渡されたボードに「○○様、△△様」と二組の新婚さんの名前を書き込むとゲートそばの椅子に座って時間をつぶした。飛行機は時間通りに到着するようだ。

このゲートの辺りで、提携しているバス会社のドライバーと会う事になっており、行程表のドライバーの欄には「Linda」と書かれていた。

リンダである。

さすがオーストラリア、女性のバスドライバーもいるようだ。きっと年上だろうとは思うがどんな女性だろうか。俺は若干期待に胸を躍らせた。
(初回から縁起がいいな。しかもリンダって。これはアタリだろう)
何がアタリなのかわからないが。

しばらくするとゲートからパラパラと旅行者の人々が出てき始めた。俺がボードを頭上にかざして、ドッキリ番組の種明かしの男のようなポーズでうろうろしていると、一人の白人の老婦人(いわば、おばあちゃん)が 近づいてきた。

「I'm Linda.」と言うその声の主は、小柄だが腕まくりをして腕っぷしの強そうなジーンズ姿でショートカットのばあちゃんだった。生まれて一度もスカートなどはいたことがなさそうな感じである。アゴを見ると割れていて、イメージとしては実写版ポパイ女性版である。俺の想像が当たっていたのは「年上」と言う点だけだった。

かってにリンダと言う名前に期待した俺が悪いのだが、リンダというよりは、チャーリーとか、ジャッキーとか呼びたい感じである。俺の勝手なイメージだが。

俺が、Hi, nice meeting you.(は、はじめまして)と言って手を出すと、その手をもの凄い握力で握り返してきた。「荒くれ者」と言う言葉が頭に浮かぶ。まあこれぐらいでないとバスの運転はできないのかもしれない。リンダはニコリともせず、「外の道路にバスを止めて待っている」と言うと去って行った。まだ英語で雑談するような事になれていない俺は少しほっとした。

***

しばらくするとゲートから新婚さんが二組出て来た。皆さん大人しそうな方々だった。俺は両替の窓口やトイレを案内すると、そこでマニュアル通りに注意事項やその日のスケジュールなどを丁寧に説明した。そして俺は新婚さん達の準備が整うと外の道路に案内した。リンダが小型バスの前で待っていた。俺が皆をバスに乗せ「ホテルまでは30分程度です」と言い、リンダの方を見ると、彼女は黙ってバスを出発させた。

市内に向かう道は空いておりバスは順調に進んで行った。おとなし目の新婚さんが二組、しかもお互い知り合いではないので会話もなく、バスの中は静かだった。俺も特に何もせずにガイド用のシートに座っていた。

そして30分ほど経つとホテルに到着した。

ホテルのベルボーイが荷物を下ろすと、俺はフロントでチェックインの手続きを済ませ、新婚さんには「明日は朝から別のガイドがお迎えに上がりますので時間までに朝食を済ましてロビーでお待ち下さい」というような話をして、部屋に向かう彼らをエレベータで見送った。まあ、そつなく仕事をこなしたつもりだった。

ロビーに戻ると、そこにまだリンダがいるのが見えた。俺が「どうもありがとう」と言うと、リンダは俺に向かって「ガイドのくせに何故バスの中で何も話さないんだ」と言うようなことを言った。「それでプロか?」みたいなニュアンスで言っていることは英語の拙い俺にも分かった。

俺としては、「初日としては及第点」のつもりだったので、なんでそんなこと言ってつっかかってくるんだと思い、ちょっと不快に思った。そもそもガイドの先輩でもないわけだし。

まあ空港ゲートでの出迎えのシーンを見てないから、ホテルに着くまでダンマリだった俺を見て、全く仕事をしていないように見えたのかもしれないが俺は一応最低限の義務は果たしたつもりだった。

しかし色々言い分はあるものの、そんな微妙なニュアンスの事を伝える英語力もないので言葉が出て来ない。すると、リンダは「だめだこりゃ」みたいないかりや長介的な捨て台詞(たぶん)を残して、こちらを見ずに去っていった。

残された俺はなんだかモヤモヤしたが、
(まあ確かにトレーニングの時のベテランガイドの人はずっと話していたが、そこまで必要もないんじゃないかな。きっと客も慣れない俺のつまんない話なんか聞きたくないだろうし、日本の空港のリムジンバスだって皆黙って乗ってるわけだし。まあ、どこの国にも嫌なオバハンってのはいるもんだな。アジア人が嫌いなんかな。俺もあんた嫌い)
と自分の事は反省せずに気にしないことにした。

今考えてみればリンダの言っていることも良く判るし薄っぺらいのは俺の方だった。しかしその時は単純に「嫌味なばあちゃんだな」と思ったのだ。

***

それから数カ月の間ガイドとして働きながら、並行してフラット(アパート)を現地人とシェアするなど生活の基盤を整え、徐々にではあるが、俺もあまり深い哲学的な話でなければまあ英語で話ができるようになっていった。回ってくる仕事は相変わらずカースト的には低いものが多かったが、それなりに報酬が良いし楽しくなってきた。

慣れてくると色々話すネタも増えてきて、バスの中では長く話せるようになってきた。ツアーの後に書いてもらうアンケートがあったが、回ってきたコピーには「初日のガイドさんの話で旅行のテンションが上がった」などというコメントもあり、嬉しく思う事もあった。

そんなある日の事だった。

リンダばあちゃんとの再会

初めての仕事からはや数カ月が経過して仕事にもほぼ慣れたある日、その日の仕事は郊外のフィリップ・アイランドという野生のペンギンが住む島への観光ツアーだった。

昼過ぎに市内のホテルを出発して、島に着いたら日暮れと共に島のビーチの巣に戻ってくるペンギンを鑑賞して、夜に市内に戻ってくるというほぼ丸一日のツアーだった。俺は既にそれまでにかなりの回数フィリップ島に行っており、好きな案内コースのひとつになっていた。

行程表を見るとドライバーのところに 「Linda」と書いてあった。俺はあの腕まくりでニコリともしないリンダの顔を思い出しながら
(あの、鉄腕ばあちゃんか …… やだな)
と思った。

当日、市内のカフェで昼飯を食って、出発の30分前くらいにその日の集合場所のホテルのロビーに行くと、リンダの仏頂面が見えた。

顔を合わせると、俺の事を覚えているのか覚えていないのか、
I'm Linda, your driver today.(ドライバーのリンダです)
と言うだけだった。
俺は Hi と言いながら(やっぱり愛想ねえな)と思った。

しばらくするとロビーにその日のお客さんが降りてきた。若い新婚さんが数組と、年配でちょっと知的な銀縁ロマンスグレーの紳士とその奥さん、後は女性二人旅が一組で、大体10人くらいのグループだった。半年の間に俺のカーストも下の上くらいになり、「新婚さん個別対応」ばかりでなく、小グループくらいの仕事が回ってくるようになってきていたのだ。

俺は皆をバスに案内するとその日の予定をざっと説明して、「今日のドライバーのリンダさんです」と紹介した。リンダは日本語が判らないはずだが、自分の名前が出たのが聞こえたので、皆に向かって親指を立てて「オーストラリアへようこそ。今日は忙しくなりますよ」的な事を言いながら満面の笑みを浮かべたのだった。
(お、笑うのか)
お客さんの中にはリンダが何と言ったかわからなかった人もいるとは思うが、皆が拍手をして、バスの中は一気に和やかな雰囲気になった。
俺は(そういや最初の時は紹介しないでしまったな)と思い出した。

俺はだいぶ機嫌が良さそうなリンダを意外に思いながらその日のスケジュールを説明した。

フィリップ島

市内から南へ車で1時間半ほどの郊外の岬の先にフィリップ島はあった。広さ100k㎡程のその島のビーチにはフェアリーペンギンという小さな野生のペンギンの住処があるのだ。ペンギンの大きさはちょうど1リットルのペットボトルくらい。誰が見ても非常にカワイイ。

フェアリー・ペンギンの行列

日の出と共に海に入り魚を取って過ごすと、日暮れと共に島に戻りそれぞれの家族の巣の穴に帰って行くのだが、島に戻ってくる様子を旅行者が見られるように海岸に桟橋が作ってあるのだ。

ガイドの俺にとっても、10分毎に車を降りて見学をするような市内観光より、ゆっくりと旅行気分を満喫できるので好きな仕事だった。

新婚さんと訳あり教授

行きの道中は長かったがバスの中で話すネタは色々あった。観光名所の歴史的背景に加えて、自分がこの国で生活を始めて「お、面白いな」と感じたことを話すようにしていたのだ。これはもう、友達に話すような内容なのでいくらでも話せるわけだ。

例えば、オーストラリアのお金は、紙幣がプラスチックシート製だったり、コインの裏にオーストラリア特有の動物(カンガルーやエリマキトカゲ)や植物(グラスツリー)が描かれていたりして、結構シャレていた。

そこで、バスの中でガイドをしている合間に、
「皆さん、ちょっと財布を出してみて下さい」
などと言いお金をじっくり見てもらいながら、コインの裏の動物や植物の変わった習性の話をしたり、紙幣に書かれている人を紹介したり、「紙幣をズボンのポケットに入れたまま洗濯し乾燥機にかけたら、一回り小さい札になってしまったが店では使えた」などという話をするわけである。

もう雑談という感じだったが、そんな身の回りの話は良く聞いてくれる。お金の話なども、旅行者の皆さんがお金の種類を覚えてくれるので、その後の買い物がスムーズに行くという副次的効果もあった。

***

休憩所に着くと年配紳士のお客さんが俺に話しかけてきた。銀縁眼鏡の上に黒いプラスチックの眉毛がついているような堅い眼鏡(わかるだろうか)をかけたロマンスグレーの紳士である。

「いやあ、随分勉強してますね。普通のガイドさんの話とちょっと違ってとても面白かったよ。うちの大学の学生に聴かせたいくらいですね」
紳士は銀縁眼鏡の奥の目を光らせて言ったのだった。大学教授らしかった。

俺は素直に嬉しく思い、「ありがとうございます。では帰りにお渡しするアンケートにそのように書いて頂けると大変助かります」と言った。

すると、教授は「あ、アンケート? な、なるほど、じゃあそう書いておきますが、くれぐれも日本に帰ってから家に連絡くれたりしたら困るよ。今回はちょっとプライベートと言うか非公式な旅行なんで。色々都合もあるので、わかるよね。連絡しないでね」と言うのだった。

なぜか急にちょっと早口になり勝手に狼狽しているようだった。なるほど、連れの奥さんが随分若いと思ったがそういうことだったのか。

俺が「大丈夫です、連絡は行きませんので」と言うと、安心したのか、大人の男、ザ・教授の表情に戻り、「うむ、では今日一日よろしくお願いします」と言い去って行ったのだった。

***

ま、それはともかく、そんな感じで、俺の説明はちょっと王道の案内ではなかったのだが、それなりに皆ちゃんと聞いて反応してくれていたので、日本語が判らないリンダからすると、少し上達したなと思ったかもしれない。

途中で寄るお土産や博物館にはガイドやドライバーが休憩する部屋があったのだが、俺が無料コーヒーを飲んでいると、リンダが缶の中からジンジャークッキーをとりながら、その缶を俺に回して、
You've gotten used to guiding.(だいぶ慣れたな)と言ったのだった。
(なんだ、俺を覚えていたのか)
俺は「もう半年やってるからね」と答えた。
リンダは You never stopped talking on the way.(今日はずっと話してたな)と言った。

俺は実はほめられて伸びるタイプだった。ほめられた俺は、単純に「意外に良いばあちゃんなんだな」と思い直すと、そこから島に着くまでの道中も、リンダの耳をちょっと意識しながら話し続けたのだった。おかげで話は結構受けていた。

***

バスはようやく島に着き、レストランの大きな駐車場に到着した。ロブスター専門のレストランである。ペンギンが海から出てくるのが夕暮れなので、その前にここで夕食を食べるのだ。ここでもガイドとドライバーには別の場所が用意されており、客とは別に飯を食う。お客さんもずっとガイドと一緒だと気疲れするだろうから、これはお互いの幸せのために良いシステムだった。ガイドは毎回ここで好きなものが食べられた。

実は港町生まれの俺は海産物が大好物で、毎回ここに来ると「ウホウホ」などといいながらオーブンで焼かれた半身のロブスターなどを食べていた。俺がいつものロブスターを食い終わって、スケジュール表を見ているとリンダがカプチーノのカップを持って俺のテーブルにきて、「さっきみんな笑っていたが何の話をしていたのか」と聞いてきた。

俺が、あれはガイド的な話じゃなくて、自分の失敗談を話していたのだというと、You are doing pretty good.(なかなかやるね)的な事を言ってまたほめてきた。
(そうかこのオバちゃんただプロフェッショナリズムが強いだけで、基本的に優しいんだな。初回は俺がずっと黙っていたのがよっぽど気になったのだろうな)
俺は、俺の方が先入観で判断していたのを悪く思った。

***

食事が終わりバスに戻るとあとはペンギンを見に行くだけである。俺はバスが走りだすとペンギンの説明を始めた。

フェアリー・ペンギン(妖精ペンギン)などとも呼ばれる小さなこのペンギン、「一度つがいになったら一生の間パートナーを変えない」という習性を持っている。この習性は人間以外の動物では珍しいようである。

この話は新婚さんが多い時には受けが良かった。縁起の良い話であり、だいたい幸せそうな顔をして聞いてくれるのだ。しかしその話をしている時に、教授と目があったら、さりげなく俺から目を逸らしたのが見えた。

さて、そうこうしているうちにペンギン居住区についた。俺はバスから降りる人達に毛布を渡し、桟橋(木でできたテラス)に案内した。良くペンギンが見えるところを押さえると新婚さんや教授カップルを手招きして呼び、フラッシュ撮影が禁止であることなど説明すると、そこからは自由行動にして一旦解散した。

陽が暮れると海からペンギンの行列が上がってきた。桟橋をくぐり巣穴に戻って行く様子を様々な国から来た人たちが嬉しそうに見ている。見ようによっては桟橋に集まった様々な種類の人間をペンギンが見物に海から出てきているようでもあった。

しばらくするとすっかりビーチは暗くなりほとんどのペンギンが巣穴に入ったようで、桟橋の観光客がぞろぞろとバス駐車場へと戻って来た。皆近くでペンギンが見れたようで満足そうだった。

桟橋に忘れ物をしたお客さんを待ち出発が少し遅れたが、帰りは灯りを消したバスの中で皆寝てしまうので、ガイドの仕事はほぼ終わったようなものだった。

俺は全員揃っているのを確認すると「それでは市内までゆっくりお休みください。寒かったら言って下さいね。毛布は山ほどありますから」と伝え、リンダに灯りを消してもらい、運転席の横のガイド用のシートに腰を下ろした。市内のホテルまでは道が空いていれば1時間半程度だった。

リンダばあちゃんの涙

帰りのバスでは、今日一日一緒にいて打ち解けたのか、またガイドとして認めてくれたのか、リンダの方から話かけてきた。フィリップ島からの帰り道は客が寝てしまうので、だいたいドライバーとガイドで世間話をして帰るのが常だった。

俺の英語も一応簡単な世間話くらいはできるようになっていたのだ。

リンダは俺に「オーストラリアに家族はいるのか」と聞いてきた。
俺が My family is all in Japan, and I'm alone here.(家族は日本にいるので、俺はここでは一人だよ)と言うと、リンダは、
I live alone, too.(私も一人暮らしだ)と言った。

(え、そうなのか)

俺はなんとなく、幸せなおばあちゃんが老後の趣味でドライバーをやっているのだと勝手に思っていたので意外だった。

Do you?(え、そうなの?)と言うとリンダは話し始めた。
娘が一人いるのだが、離婚した時から事情があって会っていないこと。
その後、娘が何度も連絡をくれたがどうも会えないでいること。
結婚する時にも連絡をくれたが結婚式にも行かなかったこと。
子供が生まれたので遊びに来てくれと、最近また連絡があったこと。

そんな話をしてくれた。英語力が足りない俺だったが、色々想像も働かせて大体の事情を察した。多分リンダは子供時代に一緒に時間を過ごせなかった娘に負い目を感じて、今でも会えないでいるようだった。

きっと俺なんかが想像もつかないような事情があるのだろうと思ったが、何も言わないのもアレなので、娘さんが会いたいと言っているなら会えば良いのではないかと言って見た。

俺はどこかで聞いたような、「親は一人しかいないんだから」という意味で  We all have only one parent. と言って見た。それを聞いたリンダは黙っていた。

俺は、「ん、なんか間違ったか?そうか親は普通二人いるよな、複数形で言うべきか。でもそれじゃ one じゃなくなるよな。英語でどういうんだろうか」などと文法病日本人のようないらぬことを考えたが、一応意味は通じていたようで、リンダは I know. (それはわかるけどね)と言った。

そしてリンダは、色々昔の自分を責めるような事を言っていたが(細かいことは判らなかったが)、しばらくするとハンドルを握ったまま暗闇の中でグスグスと泣きだしてしまったのである。

運転は大丈夫そうだが俺も困ってしまった。振り向くと最前列のお客さんは起きてしまったようだった。俺はリンダに何と言ったらよいかわからなかったが、もう一回、You should see her.(会ってみたらいいよ)と言って見た。

ルームミラーを覗いてみると、対向車に照らされながら鼻を赤くしているリンダばあちゃんの顔が見えた。

***

それから数日して回ってきたアンケートの回答のコピーには、「優しいガイドさんで良かったが、帰り道でドライバーの女性と揉めて泣かせていたようだった。私達の忘れ物がキッカケでなければ良いがと気になった」などという、優しいコメントがあった。俺が泣かせていたのではないのだが。

その他には「オーストラリアの自然に触れられてよかった。ガイドさんも博識で、説明も通り一遍のものでなかったので大変満足した。但し帰国後の連絡などはくれぐれもお断りします」という不倫教授のものらしいコメントもあった。

***

その後も何回かリンダと一緒に仕事をすることがあり、だんだん親しくなってきた。そしてまたしばらく経って、フィリップ島のツアーでリンダと一緒になった時の事だった。

リンダは途中の休憩場所で、またジンジャークッキーの缶を俺に渡しながら少し照れくさそうに I visited my daughter.(娘に会ったよ) と言ったのだった。

俺が、That's great! (よかったね)と言うとリンダはちょっと照れくさそうに Yeah, sort of.(まあね)と言い、一応報告の義務は果たしたというような感じで駐車場に歩いていった。

俺の助言を聞いてそうしたわけでもないだろうが、それを聞いた俺はちょっと嬉しかった。

俺は、詳しいことはまた帰りのバスの中で聞いて見ようと思いながら、駐車場に向かういかり肩の小さなばあちゃんの後を追った。 


(了)

他にも「創作大賞2023」に応募している作品はたくさんあるのですが、海外話がらみのものを挙げて見ました。
読んで頂けたら嬉しいです。


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