保護猫を飼うのは誘拐した子供を育てるようなものなのか
独身の頃、開けっ放しの窓から勝手に入ってくる猫と毎日一緒に寝ていた時期がある。今思えば物騒な生活をしていたものだが、そいつのおかげで俺は猫が好きになったのである。そこで皆さんにおたずねしたい。
あなたは犬派だろうか?それとも猫派だろうか?
これ、世間で良く耳にするベタな質問である。しかし良く考えてみるとこれ、まるで世の中に犬と猫しかペットがいないかのような質問である。カメやヘビを飼っている人だっているんじゃないかと思うが、そんな人達への配慮は全くなし。いつも犬と猫の二択なのである。まあでも、それだけ犬と猫は人間にとって別格な存在なんだろうなあとも思う。
カメやヘビなどの動物を野山に放すことは「逃がす」というが、犬と猫を野山に放すことは「捨てる」と言う。その辺も、これらの動物が人間の生活に大きく入り込んでいると言う証なのかも知れない。
しかし、一旦飼い始めてから彼らを捨てちゃうというという人間がいるというのがどうにも信じられない。まあ、この「捨てちゃう問題」は、既に色んなところで論じられているので今回はあんまり掘り下げないが、あんなにカワイイ奴らを良く捨てられるもんだね。実に信じられない。
***
と、なぜそんな話をするかというと、ちょっとうちの白猫の話を聞いて欲しいのである。うちのネコ、実は元保護猫なのである。気にするかも知れないので本人がいるところでは決して言ったことはないのだが、実は小さい頃に保護団体にお世話になっているところを引き取ってきたのである。
冒頭の写真の通りいたって穏やかな性格で、特に日なたに寝ていた直後はフワッといいニオイを放つという技を持っている。今日仕事に疲れて、ヤツの横に寝転んでそのニオイを嗅ぎつつ、体のどこかで鳴っているグルグルグルという音を聴きながらふと思ったことがある。
(毎日、こうして穏やかな顔で決まった時間にご飯を食べて機嫌良く生活しているが、もし本当の事を知ったら俺達人間の事をどう思うんだろうか。もしかして恨んだりするんだろうか)
そう、ヤツは保護猫なのでうちに来た時に既に耳に切れ込みが入っていたのだが(再度写真参照)、この切れ込みの事を皆さんご存じだろうか。猫を飼っていない方はあんまり知らないかも知れない。この耳の切れ込みは、避妊手術や去勢手術をした時に猫に入れられる目印なのである。
そして、この耳に切れ込みが入れられている猫のことを俗に「さくら猫」と言うのだそうだ。その耳が桜の花びらのようだからだと言うことだが、実は私は今回この記事を書いていて初めてその呼び名を知ったのだった。
避妊手術をされた雌の猫は左耳の先っぽを、去勢手術をされた雄の猫は右耳の先っぽをV字型にカットされるのだと言う。そうか、そんな細かい違いがあったのか。うちのヤツは雌なのだが、確かに左耳にその印が刻まれている。
このさくら猫の説明があったのでちょっと見てみよう。
なるほど、さくら猫か。ちょっと風流な響きでもある。さくら水産は知っていたが、さくら猫は知らなかった。でもあいつをさくら水産に連れていったら喜ぶだろうなあ。大好物ばっかりで。
何の話だっただろうか。
そうそう、さくら猫の話である。そんなうちのさくら猫だが、最初はなかなか心を開いてくれなかった。
家にきたばかりの時はちっちゃいクセになんだか表情が険しく、初めて会った時は、俺が着ているウィンドブレーカーのたてるシャカシャカした音が怖いのか、近づいていくと「シャーッ!」などと言いながら一人前にとびかかってきたりしていたのだ。
しかし、一週間もするとだいぶ落ち着いて穏やかな顔つきになり、一カ月もすると、もう10年前からここに住んでいるように色んな部屋を行き来してどこでも寝るようになった。そしてしまいには、家人が飯を食っていると、自分もエサカップの前にちょこんと座って同じタイミングで御飯を食べ始めるようになったのだ。自分を人間だと思っている節もある。御飯は皆で揃って食べたいタイプのようなのである。
***
さて、こうして無事に家族のように暮らすようになったのだが、ヤツからはこの世界がどう見えているのだろうか。一見、安全な環境で安定した生活を約束された中で不自由なく生きているようだが、実は本人(本猫)の知らないところで色んな自由を我々人間に奪われているのである。
まず第一に、ヤツはほとんど他の猫を見た事がないのだ。それってどんな感じなのだろうか。生まれてからほとんど人間という動物しか見ていないのだ。もし俺が、生まれて直ぐに大きな熊の群などに放り込まれて育ったらどんな気持ちだろうか。きっと俺は先輩熊を見習って強い男を目指すだろうが、「なんか俺だけ体毛が薄いのなんでだろう …… なんか俺だけ爪が小さいのなんでだろう」などといつもテツandトモのような疑問と違和感を持って生活しているのではないだろうか。
というのも、今日の飯の時間になって、一緒に飯を食い始めながら、こちらをちらっと見上げた時に、その目が「私だけ床なの、なんでだろう~」と言っている気がしたのだ。
また前述の通り避妊手術をされているので子供を産む事も育てることもないことになる。ヤツは果たして幸せなのだろうか。いや、わかっている。人間社会と共存してもらうためには爆発的に増えてもらっては困るのでそういう処置が必要な事もわかっている。しかしなんとなく複雑な思いがするのも事実である。
やや乱暴だが、現在の状況を総合的にまとめると以下のようになる。
こんな感じである。
昔読んだ小説で、大好きな母親から「実はあなたは私が誘拐した子なのだ」という衝撃の事実を告げられた女の子が、その秘密を抱えてその後の人生を生きることを選ぶという話があった。育ての親と生みの親との狭間で揺れる娘の人知れぬ苦悩と葛藤を描いたヘビーな話だった。俺は、うちのネコちゃんと飯を食ったあとで一緒に寝転んで窓の外の曇り空を眺めながら、なんだかその話を思い出したのだった。
(なんかこれ、もしかしたら誘拐して一緒に暮らしているようなもんかもしれないなあ、外にでたことないんだもんなあ)
俺がそんな事を考えていると窓の外のベランダに雀が降りてきて何かを食べ始めたのが見えた。ヤツは、その雀が見えているのか見えていないのか、大きな伸びを一回すると体を丸めてゆっくり目をつぶったのだった。
(了)
* なんだかモヤモヤした終わり方で最後まで読んで頂いた方には申し訳ないです。自分でもちょっとモヤるので書き足すかもしれません。
* 気に入ったら💗を押してもらえると励みになります。