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【短編小説】 『ガーデニング』(9)

面接の日が来て、どんな格好でどんな話し方をすれば良いかわからなかったが、一応スーツに身を包み、家で待ち構えた。面接に来るその女性よりも自分の方が緊張している自信があった。インターホンが鳴って出迎えると、想像していたより老けた自分と同い年の小太りの女性が立っていた。私は「上がってください」とスリッパを彼女の足元に差し出した。彼女は礼儀正しく、家であるにも関わらず、企業の面接会場にいるようなきっちりとした作法で、玄関を上がった。面接はあらかじめ何度も一人で練習していたおかげもあってかスムーズに進んだが、途中彼女が明らかに何かにひっかかているような顔をした。私は不安になり、面接の最後の方になって何か質問はありますか?と聞いた。

「あの、ここは法人化されてないんですか?」

「ほうじんか?」

私は言葉を理解する前に、自分の何か抜け目を指摘されていると思って頭が真っ白になった。

「あ、ええっと…」

私は自分が冷静になるまで待った。そうしてようやく理解し、

「あ、法人化ですね、あのまだしてないんですよ。」

まだというか、法人化について考えたこともなかった。

「じゃあ個人事業主でやられている感じですか?」

個人事業主。聞いたことはあるワードであったが、はっきり意味がわからなかった。多分これはビジネスにおいて、いや普通に大人の世界では一般的な言葉なんだろう。

「個人事業主ではありません。」

そんな言葉を自分自身知らないくらいなのだから違うだろうと思って、自信なさげにみられるのも嫌だったから、私はとりあえずそう言い切った。

相手は明らかに驚いている様子だった。私は絶望した。私と生きてきた年数が違わないのに、この女性の方が数百倍世の中のことを知っている気がした。相手はなかなか口を開けるのに苦労している様子であったため、私が先に口を開いた。

「すみません、私脱サラしたばかりで、ずっと平凡なところで働いていたもので、まだ何もビジネスのことがわからなくて。」

そんな言い訳としか言いようのない説明をし、相手の反応を伺った。相手は困った顔をしていたが、私の言い訳を聞いて少し頬が緩んだ。

「そうなんですね。脱サラして、なんてすごいと思います。私もそんなにビジネスのことは詳しくないので、安心してください。」と言って、愛想笑いをした。

私は面接官失格だった。私が面接されているようだった。相手の、内心見下げてるであろうにも関わらず、巧に返す術にただ感心している自分が卑小な人間に思えた。世間知らずで、自分の夢のことしか考えていない至極幼稚な人間に比べ、相手は上流のビジネスの世界で生きてきたお方で、こうして面接にきてくれただけでも申し訳なさを感じた。どうせ向こうから断ってくるだろうと思い、求人は一旦ストップし、私はもう少し社会のことを勉強してから求人をかけることにした。

それから一週間経っても相手は一向に断ってこなかった。良いのか、こんな経営者で。給料は一般的な額であり、京都市内にあることや、他に私しか働く人がいない環境が気に入ったのか、よほど自然やハーブのことが好きなのか、いずれにしても他の仕事にはない何か特殊なものに魅力を感じているのだと思った。この人に全てを任せてもいい気がした。面接の時にその人に言われた通り、一応税務署へ行き、開業届けを提出した。提出するのに会社名を決めなければいけず、咄嗟に「チキ」の名前が浮かんだので、「チキズガーデン」という名前をつけた。

それから彼女が再び訪れ、これからの事業展開の話をし、彼女に経理や事務全般のことを任せるということを伝えた。彼女は快諾し、私に礼を言って、帰っていった。私は使っていない祖父の部屋を事務室とした。整理して、それらしくなると、いよいよ私の第二の人生が始まるのだなと思い、期待が膨らむ一方で、不安も少しあった。


それから彼女に支えられながら順調にガーデンを造園していった。来年の春にはなんとか開園できそうだった。私は彼女と個人的な付き合いも深めていくことができた。

秋を過ぎると、育つハーブもあまりなく、管理は私一人でできるため、彼女は冬のあいだだけ帰郷したいと願い出たので、寂しくなるなと思いつつも、承諾した。久しぶりに一人になって自分の家の見違えるほどになった庭に立ち、大きく伸びをした。ふと思い出し、庭の隅に追いやってしまっていたフジバカマのところへ行くと、アサギマダラの姿はなかった。もう冬間近であり、旅に出てしまったのかと少し寂しくなった。家へ戻り、しばらく絵を眺めたりしていたが、ゆっくりするのは久しぶりであったため、働いていないと落ち着かなくなり、決算漏れがないかと心配になって、事務室へ行った。引き出しを開けて書類をみたが、問題はなかった。ふと部屋の隅に置かれていた金庫に目が行くと、なんとなく嫌な予感がした。金庫を開けると、案の定だった。入っているはずの通帳やキャッシュカードがそこにはなかった。

私は驚く余裕もなく、ただ絶望した。自分が馬鹿だとしか思わなかった。目に見えていたことだった。私は不思議と女に対して憎しみが湧かず、自分が悪いとしか思わなかった。女も要り用があったのだろうと開き直りさえした。さあどうしようと考えた時にやっぱりあの女に対して凄まじい殺意が湧いた。かといって私は復讐ということが嫌いだった。祖母はたとえ何か悪いことをされても、やり返せば、相手と同じ人間になってしまう、悪いことをしたらその分自然に返ってくるようになってるから、放っておきなさいと教えられていて、今でもそれは真理であると信じていた。復讐はしない、そう誓ったが、私はその女の住所は知っていて、そこにはいないとわかっていたため、履歴書に書かれていたその女がかつて勤めた数々の会社に電話をし、女のことを全て打ち明けた後、女の情報をかき集めることにした。個人情報だから教えられないという返答がほとんどであったが、ある会社に電話したとき、女にかつてひどいことをされ、憎しみを持つ女性がたまたま電話に出て、あらゆることを教えてくれた。女の実家は能登半島にあり、旅館を営んでいるらしかった。その女性はよほど女に恨みがあるのか、「私も一緒に行きましょうか?」と言ってくれたが、私はもう人間への信頼が限りなくゼロに等しかったため、感謝だけして丁重にお断りした。

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