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木崎喜代子の場合 Ⅺ【心療内科の魅力を伝えるために、心療内科の医師・臨床心理士・関係者が、心療内科を舞台に小説を書いてみた。⑪】

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#11(9回目)

 正太郎にメモを送るようになって、2ヶ月。梅雨も明け、季節は夏になろうしていた。相変わらずメモは喜代子からの一方通行だが、以前ほど焦る気持ちはない。物事は、そう簡単には動かない。この1年半で少し喜代子の腹も据わってきていた。

 明後日は病院へ行く日だ。三野原に何を話そうか考えながら、洗濯物を畳む喜代子の指先に、何か固いものが触れた。驚いて確かめると、それは薬の空きシートだった。いつの間にか紛れ込んでいたようだった。
 けれど、と思い返す。彼女は飲み忘れないように、日付をシートに書き込む。そのシートには数字は書き込まれていなかった。
 だとすれば、この薬は何処から現れたのだろう。 

「……その場で、息子の部屋のドアをこじ開けたかったんですが……」
「よ、よく我慢されましたね……」
 翌々日の診察、ぐったりと椅子に沈み込んだ喜代子にややたじろぎながらも、三野原は褒め言葉を送った。
「これが実物です」
 洗濯物から現れた空きシートを、三野原に手渡す。彼はそれを一瞥し、少し息を吐いた。
「木崎さんと、同じお薬ですね」
「そうなんですか? 調べたら『抗うつ薬』って書いてありましたけど」「ええ、会社は違いますが、同じお薬です。大きさも同じものですね」
「先生、これってドラッグストアとかで買えるお薬なんですか?」
「いえ、これは病院に行かないと処方されない薬です」
「じゃあ、何で息子が持ってるんですか!!」
 思わず声が高くなる。どうして正太郎の部屋から、薬が出てきたりするのか。
「木崎さん、可能性はいくつかあります。ひとつ確認ですが、息子さん、お仕事は休職中ですか?」
「……え、そのはずです」
 次の瞬間、恐ろしい想像が喜代子の口をついた。
「え、まさかクビになってますか!! あの子無職ですか!」
「木崎さん、落ち着いてください。まだ何も決まっていません」
 自らを恐慌状態に追い込んでいく喜代子をいさめるように、三野原は殊更ゆっくり声を掛けた。
「息子さんが休職されているなら、恐らく何処かの病院には定期的に通院されています。休職のためには診断書が必要だったり、産業医と面談したりします」
「え……でも、病院に行っている気配は」
「木崎さんがお家を空ける時間に、受診をあわせているのかもしれません。もしくは、オンライン診療のクリニックを探されたり、医療機関にかかる方法はいろいろあります。ただ、お友達やネットから手に入れた薬だった場合、健康状態が気がかりです。ですから、まずは受診されているかどうかを確認しましょう」
 いつも喜代子のメモの中身を気にすることのない三野原が、今回に限ってはしっかりと指導してきた。腰の痛みのことはしばらく頭から消えていた。

『薬を見つけたこと』
『体調が悪くないか心配していること』
『病院に行っているかどうか教えて欲しいこと』
『何か手伝えることがあれば教えて欲しいこと』
それらを端的に記したメモを、喜代子はオムライスの皿に託した。果たしてメモは消え、翌日、見慣れない紙が食卓の上に置かれていた。二つ折りのそれをそっと広げた喜代子は、大きく安堵の溜め息をついた。
病院の領収書の日付は今月初旬で、確かに息子の名前が記されていた。本当は病院なんかにかかってほしくはないのだけれど、たったそれだけのことが嬉しくてひとしきりキッチンで涙が止まらなかった。
 
『ありがとう、お母さん、ホッとしました。病気で頑張っていることも、病院に行っていることもわかりました。これから暑くなるので、また食べたいものを教えてください』

 「もしも息子さんから返事が来たら、どうしますか?」
 先日の診察室で、三野原が尋ねた。
「あの、『ありがとう』って返事を書きます。今度は、『ありがとう』と『嬉しかった』と、息子のリクエストを聞くくらいにします」
 あれから喜代子も考えたのだ。どんな話なら、正太郎は返事をしてくれるだろう。
「何で出てこないのかは、今でもわかりませんけれど、でも、息子には息子のペースがあるんだろうと思います」
 オムツの卒業が迫ったとき、夫の転勤に付き添わないと決めたとき、自分は大事なことを忘れていたかもしれない。
 「正太郎はきっとこう感じているだろう」と想像して、正太郎にとっての最善を選んできたつもりだ。でも、ちゃんと聞いて確かめてはこなかった。だから今、彼の気持ちがわからない。正太郎も、聞いても答えてくれない。
よく考えれば当たり前だ。自分の意見を聞いてくれない親に、今更話したいとも思えないだろう。
「今度は、ちゃんと息子の話を聞きたいんです。だから、頑張って待ちます」
 別に悲しい話をしたわけではないのに、何故か涙が出てきた。
「……待つのも、エネルギーが要ります。それまで、木崎さんをサポートしますね」
 引き続き、自分へのご褒美も続けるように、三野原は続けた。

 差し当たってこの領収書が、自分にとってのご褒美になりそうだった。

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