「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~」
年末に映画「ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生」を見て以来、どうも水木しげるさんやゲゲゲの鬼太郎作品への興味が止まらない。
水木しげるさんの自伝を読み、夏には鳥取へ行く手配を整えた矢先に見つけた横浜での「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~」展。行かないわけにはいきません。
まさに水木しげるさんによって書かれた妖怪たちの百鬼夜行である。お馴染み砂かけ婆に子鳴爺、ぬらりひょんといった妖怪たちの原画から、その参考となった鳥山石燕の「百鬼夜行」や柳田國男の「妖怪怪談」などとの対比を見ることができる。(前者は鬼太郎の敵として、後者は鬼太郎の見方と書き分けられたとか)
よくこんな古い書まで水木しげるさんは所有されてたと思ったら、どうやら神保町へ足しげく通われていたとか。
荒俣宏さんが神保町の書店街の話をされていた。
戦争が終わって、少しフリーになって追求したいものが追求しやすくなった。その時に何らかの専門書を置いているのが神保町だったと。その神保町に人が集まり、その中に水木しげるさんや荒俣さんが居たといったお話だった。
他方で、京極夏彦さんは水木しげるさんは色んな書や経験を材料に、自分の感情なり雰囲気を表現したと仰っていて、なるほどと思いました。妖怪は現存しないかもしれないけれど存在を感じる人にとっては存在していて、その表現の一つが水木しげるさんの作品だったのかなと。
展示ではその思考方法として何かカタカナでまとめられていたのに、それをメモし忘れるという…(どなたか覚えてらっしゃる方に教えていただきたい)
水木しげるさんは過去に書かれた妖怪たちをなるべく変えず後世に残すように書いたと言ったことも言われていたようで、背景や人間を加えつつ、妖怪自体は模写に近い形で描かれていたように見えた。
(個人的に妖怪に出身地が書かれているのが不思議だったが、柳田國男のフィールドワークを考えれば合点)
映画「ゲゲゲの謎」では、世の中見なくていいものもあるとして「片目を閉じているくらいでちょうどいい」という台詞があったが、片目を閉じてそっと陰を覗いたら、逆に色々な存在やあり方が見えてくるのかもしれない、なんて思ったりもした。