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「気まま」って悪いこと?

私のnoteタイトルにある「VA' DOVE TI PORTA IL CUORE」はイタリアの女性作家 スザンナ・タマーロの著書のタイトルだ 意味は「心のおもくままに」

50歳手前になって会社を辞めて定職にもつかず、好きなことを少しずつやりながら過ごしている 当然、決まった収入もなく今のところは「この先も1人で生きていくから」と少しでも蓄えてきた貯金を切り崩しながらの生活だ

21年、「秘書」という仕事をしてきたがドラマで見るような「華やかな世界」ではなく、本来の「秘書」というものは「縁の下の力もち」「黒子」のような存在且つ人と人の間で「潤滑油」の役割を担うものだと秘書検定受験の講座で出会った講師の先生から口を酸っぱくして言われていた

1日の半分近くを過ごす会社では「心の赴くままに」なんてまず無理で、帰宅すれば疲れて寝てしまう 週末も平日にできないことをまとめて片付けて、常備菜を作ってなどしていると終わってしまう

もちろん、それでも時間を作って友達と会ったり旅行したりもしてきた
それなりに「好きなこと」をしてはいたと思うが、やはり「心の赴くままに」ではなく「自分より周囲(内側より外側)」に目を向けていたと思う


話は変わるが先日PCのデータ整理をしていたところ、私が幼い頃に父が8ミリで撮ってくれた動画をスマホ動画で撮ってきたものを見つけた

いくつかあるうちの1つに目が行った タイトルは「あいの気まゝな散歩」

タイトルの通り、幼い私がただただ家の周辺を散歩するだけの動画 
時折り父が「お〜い」と呼びかけると「お〜い」と返す、「走って」と言われれば「走る」という感じのなんでもない動画だが私の家族のお気に入りだ

父が「どこ行くん?」と問うと「あっち〜」と指差すシーンは、いまだに何かにつけて家族に真似される(本人はもういい加減恥ずかしいのでやめてほしいのだが)

動画タイトルにある「気まゝな」というキーワードはずっと悪いイメージを持っていた 「わがまま」と混同してしてしまっていたのだ


「気まま」とは自分の気持ちを重んじ、その気持ちの向くままに行動すること 
一方「わがまま」は、それが他人の気持ちや都合とぶつかっても、なお自分の思いどおりにしようとすること 「気まま」は、自分の気持ちだけが問題であるが、「わがまま」は、他人との関係が問題になる と、辞書にはある

なぜ「気まま」と悪いことと思っていたかというと、よその人が私のことを親に向かって褒めると必ずと言っていいほど「気ままで難しい子なんです」と返していた 謙遜なのか本心なのかその両方なのかわからないが、私にとっては「私は両親にとって扱いにくい子なんだ」と思っていた

今は「気まま」は「自分軸でいること」と思っているので悪いイメージは持っていないが、なかなか社会にいると「気まま」でいることって難しいもんだ


「気まま」は悪いことと思ったまま親元を離れ、進学して就職して
いろんな人と関わりながら「秘書」という仕事に携わってきて、いつの間にか「気まま(自分軸)」に蓋をしていた(時には顔を出すこともあったが)

途中、転職もしたが転職先でも「秘書」だった 経歴が長いから「私の売り・強みは秘書経験」と思っていたから だから続けられるだけ続けようと思っていた矢先にやってきた強制終了(多忙すぎて身体を壊した)

あぁ、これはもう秘書からもこの会社からも「卒業」ってタイミングが来たんだなと直感的にわかった

同時に「これからは自分の好きなことだけしていきたい」と強く思ったのだった


幼い頃の「気まゝ」な自分、知らずして「自分軸」でいた頃のように

「心のおもくままに」




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