全くもって【気分爽快】ではないだろ
みなさんは昭和の名アイドル、森高千里をご存知だろうか。
いつまでも色褪せない、ミニスカートが似合うあのお方だ。このご時世、こういうことを思っていても言ってはいけないとは存じているが、同性である(同性なのだ)という傲慢さから言わせていただくと、あまりにも足が綺麗すぎるという事実。細いだけじゃなく、健康的ですらっとした足、素晴らしい。これ以上はやめておく。あたしは森高千里さんが好きだ。曲数はそんなに知らないけど、好きだと言わせていただく。
17才、私がおばさんになっても、ララサンシャイン… どれも爽やかで爽快なソングがたくさんだ。
ただひとつ、これはどうなのか?と思う曲がある。初めて聞いた小学生の頃は気づかなかったが、恋愛にうつつを抜かし始める(そんな経験はなかったが)高校時代に『これはこれは…』と頭を抱えた曲がある。今回はこの場を借りていかがなものかと提唱させていただきたい。
【気分爽快】全く“気分爽快”じゃないだろ、と。
ご存知だろうか、気分爽快。爽やかな曲調で一時期ビールのCMにも使われていたこの曲。
知らない奴は聞いてください。
アップテンポな前奏から始まり、
『親友(仮定)に彼氏でもできたのかな。相談は乗ってたけれど付き合ったことまでは知らなかったのかな。』と、想像を膨らませることができる。ここまでは単なる女子会。会話に花が咲いている、楽しい女子会だと誰もが思うだろう。
早々と雲行きが怪しくなる。
2人して彼に憧れてたのに、“私の知らないうちに”とな…
私もさ、好きだったんだから …!??!!!?
1番の歌詞から察するに、
飲み会に誘われた親友(仮定)に彼氏ができた、という報告を受け、明日がデートだという。その相手がまさか私達2人で憧れてたアイツだった
ということだろう。
その親友(仮定)、やばすぎないか。
抜け駆けして付き合ってデートをすることを、好きであったことを知ってる私に報告をしてしまうところにかなりのイカれを感じる。世の中の恋愛と友情事情はそんなものなのか。どちらも経験が浅い私にとっては衝撃的な事実であった。
2番もサラッと見ていく。特に気になる歌詞を挙げていこうと思う。
やっぱりショックは受けているんだ。しかしショックを受けながら「話してくれてありがとう」といえる私の性格の良さがこの歌詞で窺える。良い人だからこの関係が保てているのだ。飲み屋で急にこんなこと言われて「ありがとう」と言えるこの私の性格の良さ、そして懐の深さに乾杯だ。
もうこれ以上彼の話をするのは辞めてあげてくれ。この状況、あまりにも辛すぎる。恋愛は盲目になると言うが、目の前の私が涙を我慢している可能性を想像できないのか。ドライブデート?しかも公園や海を?そんなの羨ましすぎるだろ。それが憧れの、好きな人なら尚更だ。絞り出すように出た「私のぶん楽しんできてよ」は涙なしには聴いていられない。
待ってくれ、もしかして飲み明かして顔をパンパンに浮腫ませた状態でデートに行かせようとしている…?策士なのか、私は。だから【気分爽快】…?二日酔いの状態で気分は最悪、そんな想像をしているから「私はだいじょぶ」だと思っているのでは。今夜、帰らず飲んでいたいな。そんなこと言われたら多少なりとも罪悪感のある親友(仮定)は帰り辛くなるはずだ。そして私も好きだったアイツを手に入れることができたと言う自分の自慢話を聞いてくれるのなら嬉々として話すはずだ。これは始発で帰るコースなはず。そしてドライブデート、しかも公園や海に行くとなると午前中から出かけると言うわけであり、睡眠時間も確保できない。つまり、顔も体調も最悪な状態なのだ。メイクノリも最悪。朝風呂に入るから髪の毛もままならない。服も決まっていない。初デートがそんなのでは親友(仮定)も辛いだろう。
勝つとか負けるとかではないが、私もまだ負けていないということになるのか。
女とは、かくも恐ろしいものなのか。
女子会とは殺すか殺されるか、とはよく言ったものだ。
ここまで考えているのなら、確かに気分爽快だよ。
この曲は森高千里さんの実体験をもとに作られているらしい。
曲の解釈には個人差があるためこれは一説であるとわかっていただきたい。私にはどうも、この曲のタイトルが【気分爽快】であるようには思えないのだが、それでも気分爽快というタイトルになった経緯があるのだろう。
こんなことをずっと考えてきた。やっと文字にできて、最終的には私の方がヤバい奴なのかも知れないという新たな自己解釈が出てきたことがちょっぴり嬉しい。頭の中のぐちゃぐちゃな思考を少しずつ整理していこう。マイナスな思考だけじゃなくて、もっと良い思考も生まれるかも知れない。今回が良い思考だったかどうかは別として、だが。