この本を読んでるやつはサブカルクソ野郎だとか、このYouTubeを見てるやつは頭悪いだとか、この食い合わせは体に悪いだとか、このファッションは年齢にあってないだとか、人生いろんな落とし穴が多過ぎる。また、それを指摘してくる野暮な輩の遭遇率も高すぎる。インターネットの弊害なのか、はたまた思考が合わないのか。 頑張ってたくさん難しい言葉覚え、文章にする時に「間違った使い方じゃないか」ときちんと調べてから使っても、“難しい言葉をたくさん文章に入れるやつは逆に頭が悪い”というものを
過去に“ポッケ”と言っていたら 「“ポケット”じゃなくて、“ポッケ”っていうのが可愛いね」 と、ありえない方向から褒めてもらったことがある。突発的だったし、よくよく考えたら大多数の方だと思うが、なんだかとっても嬉しくて今でも覚えてるし、(無意識下で意識的に)ポッケと言うようにしている。 言葉や表現、書き方、癖。どれもその人の無意識の体を現すものであると思っているので、かなり意識して見てしまう。その人の性格だったり、自分との関係性だったり。最初はよそよそしかったのに、だんだん
Mega Shinnosukeが意図せずとも心の支えになっていた時期があった。 最近流行っているらしい『愛とU』を聴いて好きだなあと思ってたら、またまた最近【いつか大樹になる】(気になる→木になる→いつか大きな木になる→大樹)というプレイリストに入っていた『一生このまま』の人だと気づき、見たことあるなと思ってたら『Thinking Boyz!!!』の人だ!になったという、私的には運命といっても差し支えはないんだけど、多分みんなには伝わらない、この奇跡があまりにも気持ちよくて
もう旅行、というのが面倒なくらいだ。みんながライブにふらっと行く感覚で、私もふらっとライブに行き、ついでに東京の物件を探っているだけであるのだから、ちょっと遠めの、ちょっと贅沢な散歩といっても差し支えはないのだろう。 東京への散歩に限らず毎回どこかに出かけた帰り際にはとてつもなく落ち込んでしまう。やや感情の浮き沈みがコミカルなタイプではあるが、にしても落ち込む。それをどうにかしてやろうと躍起になり帰りの新幹線待合室でnoteをぽちぽちすることがルーティンとなっているが、ただ
ずーっと手放せないタオルケットがある。 思えば記憶の最果てからタオルケットと共にしている人生かもしれない。 アンパンマンに始まり、ポケモン、今はミスドの景品のタオルケットを恥ずかしげもなく10年以上愛用している。端々はボロボロになり、洗濯を繰り返した結果クタクタのヨボヨボになってしまった。タオルケットがない夜は、大人げもなく泣きはしないが、ほんのちょっぴりそわそわしてしまう。それくらいタオルケットに安心感を抱いている。ここまで聞くとブランケット症候群を疑う輩もいるかもしれない
心がボロボロになりかけてから、いつもよりも読書をするようになった。 小説ほど長い文章は読めないが、エッセイや短編集、短歌が特に身に染みる。 昨日から、喉からはシューシューと煙カスのような声しか出ない。病院で氏名と生年月日を言うたびに「あら…すみませんね」と労りを搾取する羽目になる。いきつけ(と言うにはまだ行っていなさすぎるが私のことを店主が覚えてくれていたのでそう言わせていただく。これからの決意も兼ねて)の本屋ではもっと話したかったのに 『カスカスカス(前の本も良かったで
相も変わらずうつらうつらしている。 鬱ら鬱ら、という表現の方が正しいのかもしれない。最近は気が滅入ってしまって何にも力が入らない。 恋人には振られ、職場では上司に怒鳴られ、ファミレスの店員は俺が呼んでも一向に気づいてくれない。挙げ句の果てには一緒に独身街道を走って行こうと誓った同僚から「今度結婚するから結婚式に来てよ」と裏切られてしまう始末だ。 仕事がうまくいっていないから憂鬱なのか、憂鬱だから仕事がうまくいかないのか。鶏が先か、卵が先か。どっちでもいい。結局憂鬱なのだ。
『結婚しました』って、結婚が目的となっていて、結婚した瞬間虚無感に苛まれて死にたくならないのかなってずっと思ってる。 って思って、いない新婚妻の軌跡を辿ろうと思ったのだが、なんとまあいないものだから全く思い浮かばなくなってしまい、あわや妄想日記のみでオチなんて完成しない、とんでも気持ち悪いものになりかねないことに気がついて慌てて編集している次第だ。 嘘をかくのは大好きだし、演劇のよしみなのかオタク特有の妄想癖なのか、嘘は誠、つらつらと出てくるが、今回はそうもいかなかった。と
年齢に見合った服を着ていきたい。 Instagramで大人っぽい服を着ている同級生を見てふと思った。そろそろ年齢に見合った服を着ていきたい。着ていかなければならない。 恥ずかしながら最近まで服というものに全く興味がなかった。犯罪者にならなければ良い、とTシャツにGパン(今なおこの呼び方をしてしまう)を重宝し、時にパーカー、時にトレーナーに頼り切っている。将来を共にする覚悟だってできていた。そもそも服を気にする余裕も時間もなかった、という言い訳もさせてほしい。 しかし可愛
ここを聞いて、絵のイメージがパッと出てきた。 これは子育ての曲なのかも知れない。 母親というものは自身のお腹にいる生命を護るように、遺伝子に組み込まれているのだと聞いたことがある。どんなことがあっても、どんな思いでも母親は自分のお腹の子供のことを愛しいと感じると。 母性本能、とはしばしば議論されるものである。今は『母性本能、なんてものはない』という説もあるくらいだ。私は“母性本能”と“母として子を護る”は意味が異なると思っている。 母性とは、女性に先天的に備わっている形態
みなさんは昭和の名アイドル、森高千里をご存知だろうか。 いつまでも色褪せない、ミニスカートが似合うあのお方だ。このご時世、こういうことを思っていても言ってはいけないとは存じているが、同性である(同性なのだ)という傲慢さから言わせていただくと、あまりにも足が綺麗すぎるという事実。細いだけじゃなく、健康的ですらっとした足、素晴らしい。これ以上はやめておく。あたしは森高千里さんが好きだ。曲数はそんなに知らないけど、好きだと言わせていただく。 17才、私がおばさんになっても、ララサン
高校2年の時でした。 担任との進路相談で帰りが遅くなってしまい、あたりはもう真っ暗でした。私は看護系の大学に行きたかったのですが、担任は他の大学を薦めたいらしく、激しくぶつかりあい、かなり疲労しきってしまいました。高校では一緒に帰る友達がいなかったので暗い道を一人とぼとぼと帰るしかないのです。 私の地元は本当に田舎で、帰り道にほとんど街灯がありません。坂道の途中にある公園だけ、うっすらと、本当にうっすらと灯りがついています。とは言え、もう真っ暗になってしまった時間には近所の
ネタバレなので配信を見てください。 さすらいラビー新ネタライブ「うるさいリビング」 を見に行きました。 久しぶりに劇場まで。配信でも含めて良いのであれば、今年の新ネタライブは全て網羅できました。 これはかなり嬉しいこと。 忘れたくないのでメモとして文章に書き起こします。これは文章ですが、メモです。 ①ことわざ これのタイトル【ことわざ】なんだ。最終的にはことわざだものね。 入りの感じで『日本語を教える』が主のテーマかと思ったら方向転換してた。そっか、ある程度日本語ができ
冬はクソボケ。 雪の降りたるはいふべきにもあらず。 霜のいと白きも、 またさらでも、 いと寒きに、 火などいそぎおこして、 炭もてわたるもいとクソ寒し。 昼になりても、 ぬるくゆるびもて行かず、 一日すがらにクソ寒くてワロタ。 冬がクソ嫌いだ。 クソがつくほど嫌いだ。 あんなの人間が住めたものじゃない。クソ寒し。 炭で火を起こし、あったかいんだからとやっている時代とは訳が違うのだ。当時だって、どれだけの人数が凍え死んだことだろう。人類だけではない。恐竜だって寒さによって絶
十分に余裕をもって準備したつもりだった。 別に誰かと約束はしていないのだから何時に家を出ても良いのだけれど。 ずっと欲しいと思っていた靴の実物を見るべく外に出る。先ほどまで降っていた雨も、さあ!今出るべきですよ!と言わんばかりに道を開かせた。 髪を巻き、いつも着ないような、ちょっと大人っぽい服を身にまとい外に出る。晴れ間は見えないが、心は晴れ渡っていた。 想定外なことが生じる。 本来乗るべきバスが目の前で悠々と走り出しているではないか。ちなみに家とバス停までは、(想定)2分
23,000円を突然失った。 正確には23,100円を。 久しぶりにメガネを変えようと思い、メガネ屋さんに赴いた。今までのメガネでも差し支えなかったが、もう何年も共にしており、そろそろ体にもガタがきているころであった。ボーナスも入ったし(入ってなくとも、であるが)ちょうど変えるか、と重い腰をあげ、さらに重い扉を開けた。 別にメガネにおいてこだわりはなし。似合っていれば何でも良い。しかしフレームに万越えはちょっと気が引ける。そう思い手頃な値段のフレームを手にしメガネ店員Zの