【物語】モノクロームの誓い #2
一体、どれくらいの時間、梯子を登り続けているだろう。そろそろ辿り着いても良い頃だと思うけど。
「ねえ、いつになったら天界に到着するの?」
「もうすぐよ。ほら、煙の臭いが立ち込めているでしょう?」
煙?注意深く、鼻をくんくんとヒクつかせながら空気を吸い込む。言われてみると確かに、煙たい臭いがツンと鼻についてきた。ちょっと咽そうになってしまった。この煙が一体何だというのだろう。確かカミーユは絵筆使いがいるとかどうとか言っていたけど、その人と何か関係があるのかな。
そう考えている間に、どうやら到着したらしい。カミーユは梯子の最後の踏み桟に足を掛けたと同時に、マンホールを力いっぱい押しやり出口へと出た。私も続いて狭いマンホール出口から広い世界の入り口に足を踏み入れた。
◆◆◆
「わぁ…凄い……」
そこは完全に別世界だった。虹色の絵の具を溶かしたようなマーブル模様の空、いくつもの小惑星が織りなす旋回、井戸の中から聞こえるオルゴールのような歌声。そして何よりも目を見張ったのは、私が住む世界と変わらない街並みがずっと続いているのに、そこに誰一人として人間はおらず、行き交う姿は全て想像上の生き物たちだということ。洗濯物を干しているユニコーン、空き地の隅で昼寝するエルフ、水辺のほとりで華麗に泳ぐ人魚、手を繋いで散歩するグリフォンの親子、天空を駆ける銀の鬣をもつペガサス、瑠璃色の花をくちばしに加えて羽ばたく鳳凰…。数えてもキリがない。
「ここは、ポプラの惑星だよ。惑星といってもちゃんと町並みはあるし、家々もしっかりと建っている。見ての通り、人間たちが作り出した想像上の住人たちが暮らしている」
「ポプラの惑星...」
小さい頃に読んだ漫画や絵本に出てきた想像上の生き物が、実際に歩き、会話をしているなんて。信じられないけれど、すごく...神秘的。
「あの...もしかしてカミーユも...」
「悪いけど」
少し真面目そうな、そして思いつめた表情を浮かべた後、「時間がないのよ」と言って私の手を取って石畳の道を駆けだした。
◆◆◆
辿り着いた場所は、ひしゃげた煙突からプカプカと煙が立ち上る小さな家だった。紫のグラデーションカラーで彩られた屋根は何だか不気味で、魔女か魔導士が住んでいそうな感じ。
ドアノッカーをけたたましく鳴らしたカミーユの表情は、どこか緊張気味だった。
「はいはーい。カミーユ、待ってたよ。原稿用紙は持ってきたかい?」
そう話しながら扉を開けたのは、カミーユのような紫のリボンが結ばれた麦わら帽子を被った女性だった。原稿用紙...?もしかして、私が台無しにしてしまったあの書類は、原稿用紙だったの?
「アンジュ…。そのことなんだけど、原稿用紙は今、手元にないの。水浸しになってしまって、文字が読めない状態になっちゃったの。でも、安心して!!あなたの部屋には、”思ひ出の水晶”がごまんとあるのだし、それを基に、私が翻訳して…」
必死に言葉を繋げるカミーユをよそに、アンジュと呼ばれた女性の顔はみるみる冷めた表情になっていった。手に取るように分かった。
「でも、私たち約束したじゃない。私は絵筆使いとしての役割を、カミーユは文紡使いとしての役割を互いに果たして宵の遊戯場(ゆうぎば)という伝統を守り継ぐって。でも、私は紡がれた文字が記されている原稿用紙がないと、絵は描けない。何があってもね。申し訳ないけど、どれだけ懇願されたとて、無理なものはムリなのよ」
言葉を遮ったアンジュの声はひどく震えていた。まるで、怒っているようだった。
「悪いけれど、今年の宵の遊戯場(ゆうぎば)は中止ね。広場に、知らせ書きを貼っておくわ」
言い終わったと同時に、扉は鼻先で閉じられてしまった。
◆◆◆
曇天の空が延々と続いている。終わりのない試験問題を解くような感覚を思い起こさせるほど、どこにも晴れ間は見えない。私たちは、どこへ行く訳でもなく、トボトボと牛歩を進めた。張り詰めた空気が口を開くのを躊躇わせる。カミーユの表情はずっと青ざめたままだから、話しかけようにも何て声を掛けるのが正解なのか私には分からなかった。
それから、どれ位歩いただろう。いたずらに強い風が吹いて、カミーユの帽子が飛ばされそうになってしまった。帽子が脱げた拍子に、カミーユの大きな耳がピョコンと顔を出した。
「あっ…!!耳が...」
思わず大きな声が出てしまった。
「あぁ…良いのよ。どうせ、この帽子は人間界に行くために被っていたものだし、もうポプラの惑星に着いたのだから必要ないわ」
「カミーユは...『エルフ』なの?前に、友達の家で図鑑を読んでいた時にエルフのイメージ画が掲載されていたけど、その絵にそっくり。『想像生物図鑑』っていうタイトルだった。この惑星に着いたとき、『人間たちが作り出した想像上の住人たちが暮らしている』って言っていたよね」
「そうね。実果の言う通り、ポプラの惑星は私やアンジュをはじめ、全ての生物は人間にとっての夢や幻、おとぎの世界に過ぎないわ」
なるほど、ここはそういう場所なんだ。人間が作り出した想像のモチーフで溢れた世界…。って、あれ?私、この場所に来るまでに自己紹介したっけ?
「カミーユは、どうして私の名を知っているの?」
「胸元のネームバッジ。ローマ字でMIKAと書いてあったから」
とんとん、と胸元を指しながら目を細めて笑う顔は、なんだか少し幼く見える。可愛い。…じゃなくて、今の今までネームバッジ付けたままとか、すっごいドジをしちゃった。個人情報がダダ洩れだ...。
「実果、もうこうなったら、あなたに頼むしかないわ」
途端に真剣な表情になったカミーユ。その後、こう続けた。
「宵の遊戯場(ゆうぎば) では、以前伝えたように、事前に準備した人間界の事を描いた紙芝居をペガサスやゴブリン、グリフォンといったたくさんの子どもたちに読み聞かせをしないといけないの。近頃の子どもたちは、悪夢にうなされて良質な睡眠が取れていない。でも、毎月満月の日に開催される宵の遊戯場(ゆうぎば)で紙芝居を読むと良い夢を見れるようになる。私は文紡師として物語を書きとめる役割を、実果には今回、絵を描く役割を担ってほしい」
そう言い終わるや否や、ガバと頭を勢い良く下げてカミーユは頼み込んできた。
絵...。その言葉がカミーユの口から出た瞬間、閉じ込めておきたい記憶がフラッシュバックした。どす黒い墨をぶちまけ、目を背けたくなるほどの、辛い記憶が。
ー2638字ー
ー第3話へ続くー