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『ボレロ』裁判は続く…原告側が控訴

ラヴェルの『ボレロ』裁判:原告の相続人らが『ボレロ』のパブリックドメイン化に異議を申し立て控訴

このスクープが伝えられたのは、2025年1月10日スイス放送協会RTSのラジオ番組でした。番組に出演したファビアン・コー=ラール氏(YouTubeで公開されているドキュメンタリーシリーズ『誰がラヴェルのボレロを盗んだのか』の制作者)は「『ボレロ』をめぐる法廷闘争が再燃している」と語りました。

【参考マガジン】

『ボレロ』裁判について、日本モーリス・ラヴェル友の会ではnoteで詳報をお伝えしてきました。この控訴の一報を伝えたフランスの新聞ル・フィガロ紙の1月14日付の記事を抄訳してお伝えします。これまでの裁判の経緯についてはこちら友の会noteをお読みください。

【参考note】


作曲家の死後88年、ラヴェルの遺産に関係する装飾家の相続人が、すでに失効した著作権を取り戻そうとしています。

モーリス・ラヴェルは、2025年生誕150周年になる記念年にも安らぎを得られないようです。作曲家の記憶が称えられる年に、彼の権利者らはむしろ記憶に対する冒涜といえる行動を選びました。フィルハーモニー・ド・パリで作曲家を讃える大規模な展覧会が開催される一方で、ブノワ家、ラヴェルの相続人たちは2024年6月28日にナンテールの大審裁判所が下した判決を不服として控訴しました。この判決では、世界で最も演奏・配信されている作品の一つである『ボレロ』に関する彼らの全ての請求が棄却されていました。  

控訴の提出は遅れたものの、法的には問題ないとされています。実際、ナンテールの大審裁判所はこの夏、判決の正式な執行通知を関係者に送る時間が取れませんでした。また、関係する企業の多くが海外に拠点を置いていたため、書類の翻訳作業も必要だったという事情もありました。

2016年から『ボレロ』はパブリックドメインに

ラヴェルの相続人とブノワ家の相続人たちによる法廷闘争は、『ボレロ』が2016年5月1日にフランスでパブリックドメインに入って以来続いています。この2つの相続団体は、フランスの音楽著作権管理団体SACEMに対抗してタッグを組みました。  

スイスに住むモーリス・ラヴェル唯一の法定相続人エヴリーヌ・ペン・ド・カステルは、「パナマ文書」(注1)にも名前が登場しており、『ボレロ』をフランスで再び著作権保護下に戻すことを望んでいます。これにより、彼女は複数の重複した企業を通じて引き続き著作権料を受け取ることが可能となり、これらの企業は名前を変えながら、タックス・ヘイブン(租税回避)を利用しています。  

注1:パナマ文書とは、パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」が作成した租税回避行為に関する機密文書,2016年5月に情報漏えいが発覚し、世界中に大きな波紋を呼びました。世界の企業や個人がタックス・ヘイブンを利用して租税回避やマネーロンダリングを行っていたことが明るみになりました。パナマ文書の暴露を受けて、タックス・ヘイブンを利用した脱税や課税逃れに対する国際的な監視体制の強化が進みました。エヴリーヌ・ペン・ド・カステルらもラヴェルの著作権収入の租税回避をしていた事実が報じられています。


この争いの中心には、スイス在住のもう一人の人物、ジャン=マニュエル・モビリオン(別名ジャン・マニュエル・ド・スカラノ)がいます。彼はディスコグループ「サンタ・エスメラルダ」のプロデューサーであり、かつてラヴェルのほぼ独占的な出版社であったデュラン社を購入後、売却した人物です。

彼らは『ボレロ』を著作権保護下に戻すことに加え、2016年以降、コンサート、映画、広告で『ボレロ』が使用されたことによる逸失利益の補填として、SACEMに数百万ユーロの損害賠償を請求しています。

エヴリーヌとジャン=マニュエルは、『ボレロ』の著作権を復活させるだけでなく、2016年以降にコンサートや映画、広告で使用された『ボレロ』による損失を補償するため、SACEMに数百万ユーロの損害賠償を求めています。

1928年の『ボレロ』初演時、振付はブロニスラヴァ・ニジンスカ(1972年没)が手がけ、舞台美術と衣装はアレクサンドル・ブノワ(1960年没)が担当しました。著作権の保護期間は、最後に亡くなった共著者の死後から起算されるため、ラヴェルの楽譜の権利を延長するための手法として、アレクサンドル・ブノワまたはブロニスラヴァ・ニジンスカを『ボレロ』の共著者と認めさせることが利用されました。2016年にこの作品がパブリックドメインとなるまで、ラヴェルの相続人はブノワ家からの要請を無視し続け、『ボレロ』の著作権収入を100%得ていました。現在、モーリス・ラヴェルとアレクサンドル・ブノワの相続人たちは提携関係にあります。

フランスでは、著作権の保護期間は作者の死後70年と定められており、ラヴェルの場合は1937年に亡くなったため、その期間が適用されます。しかし、フランスの芸術家が第一次・第二次世界大戦中に受けた収入の損失を補うための延長措置があり、これによって保護期間は作品の初演から88年後、ラヴェルの死から79年後の2016年5月1日まで延長されました。

モーリス・ラヴェルの名誉が、またしてもこの「利権争い」の犠牲となっています。ラヴェルの遺産をめぐる問題は、裁判所で長年争われてきた典型的なケースです。ラヴェルには子供がいなかったため、彼の作品による収益は最終的に、複雑な家系図を経て、彼の弟エドゥアール・ラヴェルが1954年に雇ったマッサージ師の夫の後妻の初婚時の娘(エヴリーヌ・ペン・ド・カステル)に渡ることになりました。  

しかし、ラヴェルの遺産管理者たちは、彼の名声を正当に称えるための活動を一切行わず、ただ著作権収入を享受しているだけです。それだけでなく、『ボレロ』がラヴェル一人の作品ではないと主張し、1929年にSACEMに作品を申告する際、共著者の名前を記載しなかったとして、間接的に「嘘をついた」と作曲家を非難しています。ラヴェルの高潔な人格を考えれば、この主張には無理があると言えます。

今年6月、裁判官たちは「提出された証拠ではブノワが共作者であることは証明できない」と判断し、原告側の主張をすべて退けました。控訴審の結果を待つ間も、『ボレロ』は引き続きパブリックドメインに留まっています。

(了)

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