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正直でいることについて

正直でいることは難しい。

いついかなる時も、自分に正直にいるというのは、時に不可能にすら思えてくるものだ。

他人との関係を維持するためにも、時には自分を裏切らなければならない時もあるように思う。

欲しくもない物をもらっても、うれしそうな顔をしたり、何が良いのか分からない映画を大絶賛したりしないといけないとなると、非常につらいものである。

しかし、かといって、「いや、おもんないやん」とか「何が良いのかさっぱりや」とド直球に言えないから困っているわけである。

しかし、ある時から、私は正直であることに言葉はいらないような気がしている。

つまり、思っていることをそのまま言う必要はないが、あくまで思っていないことを言わないことが重要なのではないかと思う。

欲しくもない物に対して無理やり喜びの表現を作り出す必要はなく、ただ「ありがとう」で留めておけば良いということである。

もし、「どう?気に入った?」などと聞かれれば、「あなたが私のために選んでくれたのはうれしい」と伝えておけばよい。

なぜなら、私のために時間を使い、選んでくれたことへの嬉しさがあるのは噓ではないからである。

しかし、その物自体への評価については口を紡いでおけば良い。

謎に進められた映画やアーティストの曲の何が良いのか分からなかったときは、そこから本当に思ったことだけを探し出せばよい。

私は以前から、塾の生徒に「ちいかわを見ろ」だの「ハイキューを見ろ」だの言われて、律儀にみるタイプであるが、ちいかわに関しては正直なんのこっちゃ分からなかった。

だから、ちいかわについての感想はほぼ何も述べてない。

なんのこっちゃ分からないわけだし、当然何が良くて、何が面白いのかも分からなかった。(もちろん、ちいかわを批判しているわけではなく、私の趣味趣向には合わなかったというだけである。)

そんな時、無理に生徒に合わせて「めっちゃ面白かったで」という必要はないと思う。だが、かといって、「何が面白いねん」という必要もない。ただ、「ちいかわが可愛い」などの、同意できる事柄にだけ賛同しておけばよい。

特に私の場合は、感情を表現するのが得意ではない。

自然と楽しい時などにその楽しさが出ている時はあるようだが、自発的に発生させないといけない時は、地獄のようにつらい。

だから、生徒の前でもそこまで明るく振舞ったり、ピエロを演じることができない。なので、一部の生徒の中では私は怖い存在らしい。

まぁ、それはどちらでも良いのだが、例えば、生徒たちをほめたり、鼓舞したりするときも、言葉にうまく感情を乗せることができず、生徒たちから「全然思ってないやん」とお𠮟りを受ける時がある。

そんな状態なので、私は基本的に「思ってないことを言わない」ということを徹底している。「言うってことは思ってるんやで」というためである。

思ってもいないのに、うまくピエロを演じることができる人の方が私にとっては怖いし、信頼に値しない。

それなら、「この人が言ってくれるということは本心だろう」と思える人の方がいいし、私もそちらを目指していきたいと考えているわけである。

日本人は特に、他人の顔色を窺い、自分の意見や考えに反して、思ってもいないことをペラペラと語る才能に長けた人種だと思っている。

特に、会社やコミュニティなどでは、その様子が良くいられるのではないだろうか。私はそのような空間が苦手だ。

しかし、かといって、他人を不快にしたり、他人と怒りや敵対心を買ってまで、正直に思ったことを伝える気にもならない。

なので、思ったことを何でもかんでも言うことはないが、あくまで思っていないことは言わないでおこうと思っている今日この頃である。

海野華月

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