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『モヤ対談』花田菜々子/私が私を生きられない

昔から対談ものが好きだ。テレビでも雑誌でも文庫でも、対談、となったら前のめりになる。いろんな人の考えや頭の中を知るのってなんでこんなに面白いんだろう。
蟹ブックス店主の花田菜々子さんと様々な著者との対談集『モヤ対談』
表紙からして蔦屋とか恵文社に置いてそう、対談相手も西加奈子、岸政彦、ヨシタケシンスケ、ジェーン・スー、山崎ナオコーラ、植本一子・・ぜったいに面白いやつやん!

その中でブレイディみかこさんとの対談を一部ご紹介。


ブレディ 
エンパシーにもいくつかの種類があるんですが、エモーショナル・エンパシーがいわゆる日本語の「共鳴」に近くて、「わかる〜」「いいね〜」という気持ちから入る感覚なのに対して、コグニティブ・エンパシーというのは、気持ちからは入らない、特にかわいそうとも思わないし意見も違うかもしれないけど、その人の状況を想像してみる知的能力というか知的作業、要するにスキルですね。スキルだから訓練すれば伸びていく。
一方、アナキズムは、「すべての支配の拒否」だと私は思います。何者にも支配されたくないという意思。たとえば私自身でいえば子どもや配偶者に私を支配させたくないし、会社、学校、もっと大きな話でいえば国家とか宗教とかEUとか。そういう全てに自分を支配させることを拒否するのが、アナキズムだと思います。
アナキズムというと何でも一切合切ぶち壊すみたいな、ともすれば暴力的で無秩序、そういう過激なものだと思われがちなんだけど、実は相互扶助っていうのもアナキズムの根本にある。国とかに頼らず、自分たちで勝手に社会を回します、人に言われなくても勝手に立ち上がって助け合います、っていうのもアナキズムの考え方ですね。
花田
10代の頃はとにかく学校とか親と合わなかった。それは学校も親も、とにかく自分を押し込めることだけを重要視していたから。制服、髪型から、将来も安定した仕事に就いて成功することが大事である、っていうことだけをひたすらしつこく言い続けてきて、自分がそれについての疑問や反論を伝えても、彼らが顔色を変えることはなかったです。
ブレディ
イギリスで保育士をやっていたこともあって、日本の保育園を視察させてもらう機会があったのですが、ほんとうにイギリスの保育園はもっと自由にやっているので、日本の保育園の子どもたちがみんな同じように立って、同じように楽器を弾いて、同じように黙っている姿が信じられなかった(笑)。
それを見て自分も日本の教育に画一的にされた感覚がフラッシュバックしましたね。日本ははみ出したら怒られるじゃないですか。子どもが人と違うことをしてみたいと思うのは、人間のクリエイティビティの始まりらしいんですよ。でも日本は迷惑だから人と違うことをやらないで、ってことをまず教えられますもんね。
日本ではクリエイティブな子ほど叩かれ続けるから、傷が深いし生きづらいでしょうね。
『ボクはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を育児本だと捉えている人もいて、どうやったらあんな子どもが育つんですか、と言われるんですけど、私は何もしてないんですよ。本を読んでもわかると思うんですけど、私は話を聞いてるだけ。だからあの子を育てているのはーーーー
あの子だけじゃない、あの子の友達もみんなそうですけど、イギリスの教育であり、社会なんです。だから今のイギリスの教育と社会が合わされば、ああいう子どもが育つっていうだけの話であって、あれは家族の話とか子育ての話じゃないんですよね。私はイギリスの「社会」を書きたいというのは、ずっとあるので。
(中略)
ブレディ
自分が自分自身を生きているっていう感覚をいつも持ち続けることですよね。そして建設的なアドバイスに聞こえないかもしれないけど、逃げる、ということかなあ。「こんな社会だめだ、私が私を生きられない」とか、「この家庭だめだ、私が私を生きられない」とか、「この組織だめだ、私が私を生きられない」と思ったら逃げたらいいと思う。これは大事ですよね。
逃げるってことは個人史的に見たら革命ですよ、やっぱり。で、革命だからこれもめっちゃ面倒くさいんですけど、それでも自分のために、社会に殺されないためにはやったほうがいいと思う。
こういうことを言うと、「そう簡単に逃げられない立場の人もいる」って反論も来ますが、立場と自分とどっちが大事なのかって思う。その立場は誰かに押し付けられてるかもしれないし。日本の女性は特にそうですね。
たとえば伊藤野枝なんて、社会運動、労働運動に関わったときでも、お上や有識者に頼るばかりじゃなくて、労働者も勉強して自分で頑張れって言った人じゃないですか。それで嫌われるんですけど(笑)
でもあの感覚はやっぱり大事なんですよね。自分で立ち上がる。できないことはできないし、嫌なことは嫌なんだと、抗うあらが力も必要だと思う。これもアナーキーな力。バッシングされて居づらくなったらさっさと逃げれば、世界は広いから楽になれる場所が必ずある。
いつまでも自分を支配してる人たちの靴を履いていてもしようがない。
「上も大変だから私が我慢しよう」じゃなくて、まず自分の靴を履いて。そう伝えたいですね。

花田菜々子著『モヤ対談』より


嫌な場所からはさっさと去ろう。合わない靴を履き続けてるもんなんだから。あなたもわたしも誰も悪くない、合わないだけなんだから。






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