6歳の通勤みち
物心ついた最初の記憶は、工場で機織りをする母の背中におんぶされ、ガッタンガッタンと鳴り続ける機音を聞いていた。エルゴだとか立派なおんぶ紐はない時代、半纏みたいなものを被せられ、紐でくくりつけられる、いつの時代の話ですかっていう、もうおしんの時代じゃないですかっていう、世界をずっと生きていた。
2歳になると保育所に預けられ、母がお迎えにくる時間はいつも保育時間ギリギリで、あの時代の田舎で目一杯遅くまで働いてる母親は誰もいなかったし、子どもが一人減り、二人減り、落ちていく夕日を見ながら嬉しそうにお迎えにきた母親の元に駆け寄って帰っていく姿を教室から眺めて、気づくと日が落ちて、ああ、今日も母は一番最後だ、とガッカリした。
一番最後になるのが嫌で、勝手にひとりで帰り、母と先生たちが騒然となった事件も引き起こした。
当時保育所は年中までしか預けられず、年長になると自動的に幼稚園へ入れられ、当然14時とか早い時間に終わるので、幼稚園から母の仕事場まで自力で通う日々が続いた。6歳の足でのらりくらり20分ほどかけて通うのだ。仕事場へ通うのだから通勤といっていい、そして母たちが働いてる側のちょっとした空きスペースで仕事が終わるまでひとり遊びをして過ごす。たまに優しいおばちゃんに相手してもらいながら、でも大人たちはみんな忙しそうなので、ひたすら自分の世界に没頭して時間をやり過ごす。終業時刻になるとおっちゃんおばちゃんたちに頭を下げて挨拶に回り、母がこぐ自転車の後ろに乗って、寒くて悴んだ手を母の背中の中に滑り込ませ、「あったかいか?」「うん、あったかい」と背中ごしで会話をして日が暮れた町を後にする。
6歳の通勤みちは、田んぼと畑ばかりで、ジブリの世界そのままだった、母の背中を目指して一歩一歩力強く、わたしは、歩いた。
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