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死者を呼び出す人


私が14歳の春に、たくさんの人に送り出されて17歳で兄はあの世へ行った。

それから一年経ってからだろうか。両親に連れられてある場所へ向かっていた。車中で聞かされたのは「お兄ちゃんを呼び出してもらう」ということだけ。呼び出し?頭の中は謎だらけになった。

到着したのは大きな屋敷。中庭には立派な錦鯉が泳いでいる。見たところ60代くらいのオバハンに「どうぞどうぞ」と、広い和室に通された。入って左側に何やら壮大な祭壇があり、ただならぬ予感がする。

部屋の中央に、両親とわたしは横並びに静かに座る。

「では始めましょう」

このオバハンはいわゆるイタコである。このイタコとは一体何者なのだ。当時霊能の類はまったく信じていなかったわたしは、「どんな手法でどのように兄を降ろすのか、この目でしかと見てやろうじゃないか」と猜疑心の塊だった私はイタコを凝視した。

しかし降ろす前にやたら兄の生前の情報を聞いてくるあたりに、軽い不信感を抱く。なぜそこまで根ほり葉ほり聞くのだ?本物だったら執拗に情報など聞かないのではないのか?辻褄を合わせるために、聞いてるんじゃないのか?

一通り聞き終わると、「では呼び出します」と言って、イタコは目を閉じ手を合わせて、何か念仏のようなものを唱え始めた。

隣の両親に目を向けると、二人は目を閉じて俯いている。念仏を唱え続けるイタコ。わたしだけはしっかりと開眼、その状況をじっと観察し続けた。

しかし、だ。

長い念仏の最中、突如「ピンポーン」とインターホンが鳴り響いた。その瞬間、入り込んだように念仏を唱えていたイタコは、ぱっと目を見開いて、「はいは〜い」と軽く腰をあげて、玄関先へ行ってしまったのである。

うそやろ、と心の中で叫んだ。宅急便を受け取るやりとりが遠くで聞こえてきて、なんならオバハンは笑っている。あんなに入り込んで霊を呼び出す儀式の最中に、宅配便受け取りにいくんか?!

「あかん!このオバハンは本物なんかじゃない、インチキや!インチキで稼いで庭に錦鯉飼ってるんや!」心の中で叫んで、両親に目をやると、二人とも変わらず神妙な顔して俯いているではないか。

「え?!この状況見ても何も思わないの?!うそやろ?!」呆気に取られていると、オバハンは軽い調子で戻ってきて座り、続きの念仏を何事もなかったかのように唱えはじめた。

いよいよ呼び出され、「兄が降りたイタコ」は喋り出した。その喋り口調がどうも兄とはまったく思えないもので、ただオバハンが普通に喋っているといったかんじなのである。若干演じている風にも見えるが、兄が降りてきたという気配もなければ、話す言葉に兄の面影を感じることもない。

「あかんあかんあかん、これは違うでえ!」疑心が確信に変わった瞬間、また両親の顔を覗くと、相変わらず神妙な顔の父親に、うっすら涙ぐんでいる母親。

うそやろ、と思った。二人とも持って行かれてる。

強くてしっかり者の母親が、誰かの前でうっすら涙ぐむなんて、人生であまりない出来事である。
饒舌なイタコの目をじっと見た。人間は絶対に目だけは嘘をつけないのだ。わたしの目線に気づいたイタコが、一瞬目が泳いだのを見逃さなかった。

それ以降、ちらちらとわたしに目線をやるオバハン。やはり泳いでいる。目が泳ぐ度に庭の立派な錦鯉を連想させる。今思うと14歳の小娘がずっと睨みつけてくるのだから、オバハンからしたらやりにくいったらないだろう。

一通りの呼び出しの儀式が終わり、最後にお布施のようなものを渡していた。

「こんな茶番劇にまさか何万も包んでないやろうな、、」と内心気が気ではなかった。


それ以降、このことについて両親と話すことは一度もなかったのだが、先日母親に電話で「そういえば」と聞いてみたのだ。

母親は軽く驚いて「あんたそんなこと覚えてたの?」

「はっきりと覚えてる。で、あの時何万包んだの?」

「そんなに包んでないわよ。三千円とかそれくらいじゃないの?よく覚えてないわ」

「なんであそこに行こうと思ったの?誰が言い出したの?」と真相に迫ると、

「うちの田舎の方では昔から呼び出しっていってね、誰かが亡くなった後に、イタコのところへ行って呼び出してもらうっていう風習があったのよ。今の若い人たちはそんなもの信じないってだんだんとなくなっていったみたいだけどね。まあ、風習よ風習」

この疑わしいイタコの記憶は長らく消化しきれない一部であったのだが、母親の「風習だし、そんなもの」という言葉に何故だか絡まった糸がほぐれたような気がした。

それがインチキであるか本物であるか、どうでも良いことなのかもしれない。

ただ両親は亡くなった兄に会いにいっただけなのだ。





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たみい
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