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空っぽの自分

20240628.

納車待ち。
母の車を借りているけれど
仲良くなりきれていない感じが否めない。

なんだか申し訳なくなってくる。

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若松 英輔『美しいとき』

あなたといるとき
わたしは
自分のことを
忘れていられる

自分らしくあろうとすることや
うまくいかないことも
明日や未来や
不安や不満も
忘れている

懸命に
生きようとさえしないまま
今だけをじっと
味わっている

しあわせか
どうかも 考えず
ただ 今
このときだけは
美しいと 感じている

美しいときⅠ

なんだか最近は
自分を忘れられる時間が幸せだと感じる。

noteを書くときは自分の思考を整理したり
自分が考えていることを自分で理解するために
必要な時間だけれど
自分と向き合う分、こころの体力もいる。

自分の言葉が重いと感じるときがあるし
そんな自分から離れたくなるときも、ある。

そう思う反面、自ら遠く静かな場所へと行っているのもおそらく事実。くらやみの様なそんな場所。
そこがやっぱり私にとっては居心地がいいから。

そんな中出会ったこの詩は
自分を忘れることの美しさを教えてくれた。

自分を忘れられる時間
私にとってはお菓子を作っているときだった。

懸命に生きなくても
しあわせが何かも考えず
ただひたすらに
お菓子を焼く。
その時間
心が軽く、空っぽの自分でいられた。
空っぽの自分も私には必要だった。

そんな自分もいないと
どんどんと暗い場所へと行きそうになる。
時折、ひかりのある場所でも息をしないと
どんどんと深い場所へと行ってしまいそうになる。

そう思うとお菓子を焼いている時間
私にとっては、ひかりだった。

ただ
ひかりと、くらやみ
どちらの自分も大切にしたい。

どちらも大切にした先にひかりの美しさも
くらやみの美しさもどちらにも気づけると
そう思ったから。

ひかりはひかりで輝いて
くらやみはくらやみで
もっと輝くように。

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自分自身のことや
世界のことを問い続け
そのことについて
深く向き合っている人がいた。
その人が、
今の人たちは自分自身と向き合いすぎ。
そんなに自分と向き合わなくてもいいよ。
と少し怒り口調で言っているのには驚いた。

だってあんなにも、重みのある言葉を
私たちに投げかけてきたものだから。

言葉の真意はわからないけれど
向き合いすぎて苦しんでしまう瞬間も
出てくるからなのかな。なんて私は思った。

その人は
くらやみで生きていた人だったから
散々自分と向き合ってきて
いい面も、苦しい面も、
たくさん見てきたんだなって、思った。

ひとりじゃないのにひとりだと思ってしまわぬよう。どんどんと暗い場所へと行ってしまわぬよう。

私たちは確かに孤独だけれど
決してひとりではないから。
自分と向き合いすぎなくていいよって。
自分らしくいようなんて考えず
今だけをじっと味わえばいいよって。

そう言っているかのように。

_

知らず知らずのうちに自分はいろんな自分になって、いろんな自分が別の自分を救ってくれているのだなって。最近はそんなことを思った。

どんな自分も自分自身で。

ひかりで生きる空っぽの自分も。
くらやみで生きる深い自分も。

どちらの自分も大切にしたい。
どんな自分も、必要だから。

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先日姉が
これを作ったよ!と
写真を送ってくれました。

作品名付きで。

作品名
【熱を出して冷えピタを貼っている、
こぐまちゃんホットケーキ】

もうね、笑顔になっちゃう。
可愛いね。

きっと姉は
私にとっての
ひかりの人。



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