自分と向き合うとは、あるものとないもの、扱えるものと扱えないものを把握すること
人は、今ここにないものを見る天才です
皆その才能が当たり前にありすぎて
最早、自分がその能力を使っている自覚さえない
自覚がないから、細かなコントロールを知らず
それを行う発想がない
自分が"在るものを制御できていないのだ"とも知らないので、
例えば、今ここに在るものと、ないものとが、散らばって混在していてもなかなか気が付かない
今の世では大抵、父も、母も、祖父も、祖母も、友も、恋人も混乱しているので
『これは散らかっている状態だ』
と知る由もない
魚はおそらく、自分の家を『海』とは呼ばず
熊はおそらく、自分の家を『森』とは呼ばない
貝殻が散乱しても普通と言い
木の枝が散乱しても普通と言う
確かに普通で自然であります
下手をすれば、怪我をするであろうことも明白であります
そのコントロールを許された我々なのですから
自分の家の中くらいは
あるものと、ないものと
必要と、嗜好品と
見栄用と、普段使いで
分けてみてはいかがでしょうか