禅語の世界: 「任運自在」(にんうんじざい)
第一回「任運自在」(にんうんじざい)
自分の力ではどうしようもないことが世の中にはあります。そんなときには運の流れに逆らわずに、ただ身を任せてしまうこと。そんなしなやかな生き方を教えてくれる禅語です。
日々の暮らしの中にも、運は常に顔を出します。小さないくつもの運とともに私たちは生きています。いつもは長い行列ができている人気ラーメン屋さん。並ぶのを覚悟で行くと、たまたますぐに入ることができた。ラッキー!と思うでしょう。朝から天気がよかったのに、私が会社を出る時だけ通り雨が降ってきた。新品のスーツが濡れてしまう。なんともアンラッキーな一日だと嘆くこともあります。そんな小さな運を感じながら、ときに運に感謝をしたり恨んだりしながら私たちは日々の生活を送っているのでしょう。
まあ、そういった小さな運は、通りすがりのものです。過ぎてしまえばすぐに忘れてしまいます。しかし、なかには心の悩みにつながるような運もあるものです。とくに人間関係に関する運、不運は心に大きな負担を与えることもあります。
今の職場に、とても意地悪な先輩がいる。どうしてか自分のことを目の敵にしてくる。ああ、今日もあの先輩の嫌味を聞かされるのかと、そう思うだけで憂鬱な気分になってきます。たまたまそんな先輩と同じ部署に配属になった。ほんとうに自分は運が悪いと思う事でしょう。
この先輩から逃れるためには、会社を辞めてしまえばいい。まあそれも一つの選択肢ではあるでしょうが、なかなかそうもいきません。何とかこっちから親しくなろうと努力をしてみますが、そう簡単に人間関係が改善されることも難しい。会社が終わって家に帰ってからも、その先輩の顔を思い出すたびにストレスになります。ああ、早くこの悪い運から解放されたいと願う毎日です。 この運は自分の力で変えることは難しいでしょう。部署の異動願いを出したところで、そう簡単には変えてもらえません。かといって、このままでは心が病んできそうです。
さて、こんな状況になったときにはどう考えればいいのか。その答えが「任運自在」です。変えられない運と出会った時には、もうその運の流れに身を任せてしまうこと。受け入れるのではなく、我慢するのでもない。ただただ運の流れにふわふわと浮かんでいることです。
その先輩のことばかりが気になるという事は、言ってみれば流れに逆らっていることになります。流されるということは、すなわちその先輩の存在を自分の頭のなかで最小限に小さくすること。ようするに嫌な人間のことなど考えないということです。
人生のなかには運の流れがあります。良い運が流れる時もあれば、悪運ばかりに襲われることもあるでしょう。しかし一つだけ言えることは、今流れている運が延々と続くことなどないということです。運の流れは必ず変わるときがきます。悪運は放っておけば、知らないうちに消えていたりするものです。
意地悪な先輩が職場にいる。相性が合わない上司の下で仕事をしている。それはストレスになるでしょう。ほんとうに会社に行きたくなくなることもあるでしょう。でも、その運命はずっとは続きません。上司は数年で変わるものです。先輩も来年には別の部署に行ってしまうかもしれません。自分が無理をして変えようとせずとも、周りの状況は放っておいても変わります。そう思えば、大して今の状況が苦にはならないものです。
人生には流れがあります。良い運に乗っているときもあれば、悪い運に見舞われることもあります。むりやりに運を変えようとせずに、今与えられた運に流されてしまうことです。運に逆らおうとして無駄に走っても疲れるだけ。自分の力が及ばない運には身を任せてしまうことです。
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