私を許せなかったのは、私だった
『The Having』を読んで、私の意識は "ある" を感じられるようになった。
でも、意識というのはすぐには切り換わらない。
長年の習慣になっている方に、引き戻される。
わかっているはずなのに、Havingを習慣化するための日々の練習を怠った。
筋トレと同じで、新しい居敷を自分に浸透させる繰り返しが必要だった。
私は、それをやらなかった。
そして私はまた、不足の意識に戻った。
足りない不安、未来への備え、誰かと比べて自分を劣っていると感じる。
そういう事を感じるタイミングだったのかもしれない。
久しぶりに夫とも話し合いになり、その会話の中で私は私のまだ癒されていない辛かった過去の自分の気持ちに気づいた。
私の人生は紆余曲折だけれど、子どもを産むまではそれなりに順調だった。
子どもを産んでからもキャリアを諦めずに、働き続けようと思っていた。
私はインドネシア生まれで、インドネシアでは日本人駐在員の家庭に家政婦さんが必ず何人かつく。
私の母も、子育ては家政婦さんに任せ気味で父とゴルフに行っていたから、出産後3か月で母乳が出なくなったそうだ。
そういう環境で育ったからか、私が出産した頃は子どもを産んでもキャリアを諦めない女性が話題になっていたせいか、私もそうするのが当たり前だと思った。
子どもが1歳を過ぎたころ、平日はずっと家事と育児サポートをお願いしていた母が父の海外赴任について行ってしまった。
そこから、私は自分で子育てを担わなければならなくなった。
急に1人で全てをやらなければならなくて、子どもが体調崩せば仕事を休んだ。
夫は仕事が忙しい中、子どもの保育園への送りはやってくれた。
私の勤務時間はどんどん短くなって16時までになった。
子どもが3歳になった年の春に、会社で大規模のリストラが行われた。
外資系企業では珍しくないことだったけれど、公立の保育園に移らなければいけないタイミングで、10年勤めた会社から肩を叩かれ心の折れた私には、転職活動をする気力はなかった。
そこから人生初めての専業主婦生活が始まる。
それはそれで、楽しかった。
子どもの成長をそばで見ていられて。
仕事をしていた時は、子どもの成長を楽しむ余裕は正直なかった。
疲れた身体で週末に、家事と育児をこなすのに精一杯だった。
子どもが小学生になってから、近所の宅配業者で事務のパート勤務を始めた。
それから、いろんな業種でパート勤務をした。
やったことのない仕事でも、それなりにできた。
家庭と仕事とのバランスをとるのに、パート勤務が1番私に合っていた。
これで良かったんだと思っていた。
でも、この前久しぶりに夫と言い合いになった時に、当時の私の辛さを理解していない夫に怒りが湧いた。
と同時に、私がまだその時の自分の "哀しみ" を持っていることに気づかされた。
もう、その気持ちは整理できたと思っていたのに。
その気持ちをじっと感じ続けてみた。
何日か経ってから奥の方にあったのは、「自分を責める私」だった。
他のママ友や同僚はやってのけているのに、私はなんで出来ないんだ!
傷ついて悲しんでいる私を、別の私はけなしていた。見限っていた。
あぁ、私を癒していないのは、許していないのは私だったんだ、と気づいた。
私のことを1番大事にしてあげられる存在が私なのに、その私が私のことを責めていたら、いつまでも私は癒されない。
いろんな分野のワークやセッションを受けたけれど、結局は自分で気づいて傷ついた自分を癒せるのは私だけなんだ。
これもまた、Having と共にやり続けていくことだ。
「自分を愛する、自分を癒す」
もう10数年自分を蔑んできたから、本当にしっかり真剣に私はやらなければいけない。
"私は、私を愛しています"
これが私に浸透するまで、やり続けよう。
私が私を愛することで、満たされまで。