娘に対する心配のぐるぐる〜
この間、娘の高校の体育祭があったので、5時半に起きてお弁当を作って娘と一緒に会場に行った。
会場の駅で娘のお友達がいたのでそこで分かれて、私は一人で会場で観覧をしていた。
会場に入ると娘は一人で生徒の応援席に座っていた。
それを見ている私の心が、ひどくざわついた。
彼女は小さいころから一人でいることが多い。
たまに友達と交流するけれど、基本は一人が好きだ。
私も夫も、娘のそういう所を心配している。
中学の時には部活にも入らず学校から帰宅してずっと一人で絵を書いたり創作活動をしている。
昭和世代の私と夫は、学生のころは友達と遊んだりすることが大事だと思っている。だから、高校ではなにかしらの部活に入ることを娘に強く勧めた。
そして娘は弓道部に入った。
弓道は必要な道具が高価で、最低限のものを買っても5万円以上した。
それでも娘は、部活をするより家に帰ってきたいそうだ。
幼稚園のころは、私がママ友との交流で子ども同士を遊ばせたりできたけれど、小学校・中学校ではそうもいかない。
もう娘の自主性に任せるしかない。
思い返せば、私も学生時代は友達とべったり行動を共にするタイプではなかった。
その時に波長が合う子と一緒にいた。
一人でいることも多くて、孤独感に押しつぶされそうになると夜の街に遊びに行った。
遊んだり、人と一緒にいるときには孤独感は感じなかったけれど、誰かと一緒にいても孤独を感じる時はある。
スピリチュアルや、ヨガや、陰陽思想を学んで、目で観ていることしか感じないから孤独を感じるんだと分かってきた。
自分に向き合うことに意識を向けているときには孤独感を感じることはほとんどなかったのに、娘が一人で座っている姿をみてそれを思い出した。
娘は一人でいることに不安感はあまりないので、それを見た私の中で勝手に " 一人でいる娘が可哀想 " をいう幻想を観ていた。
家族といえども自分ではない人間なので、私がどうこうしようという気はないけれど、娘に関してはどうしても心配する親の心情になってしまう。
今の私は、こんな感じなんだな。
最近、ネドじゅんさんのエレベーター呼吸効果で頭の中の思考が静かになってきて、あまり周りの出来事に感情が引っ張られなくなっていたので、娘のことでこんなに心配してしまう自分にかなり驚いた。
同じ子育てをしている友達が共感してくれたり、違う視点をくれたから1日くらいで自分の中の不安のぐるぐるから抜けていつもの俯瞰の視点に戻れた。
まだ感情のぐるぐるにハマってしまう自分もいつつ、周りの人に助けてもらえる自分に良しと感じた🍀