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ある日のできごと

3月のはじめ。味噌仕込みワークショップの前日に、重たい荷物だけ先に搬入しようと、会場へ向かう途中の信号待ち。

ふと、反対車線側の側道に座り込むおじいちゃんの姿が目に入った。

・・・?具合でも悪い??

よく見ると、その横に自転車が見える。重そうな荷物が括り付けられてる。

声をかけようかと迷っているうちに信号は青になり、とりあえずその場を過ぎた。帰り際にまだその場所にいたら声をかけてみよう。

荷物を下ろした帰りには、もうその場所におじいちゃんの姿はなかった。

ちょっとホッとする。

そのまま1~2分車を走らせると、マリーナ手前の坂道で自転車を重そうに引きずっているおじいちゃん発見!!!

えーーーー!どうしようか?後続車が来てるし!ここで車におじいちゃんを載せたら自転車は??荷物だけ預かって送り届けるか?それ怪しくね??そもそも道案内してもらわないとだめじゃん??

頭の中がぐるぐる高速回転のパニックになりながらも、車は進むからどんどん離れていく。

こころの中で、おじいちゃん、どうか頑張って自力で無事自宅にたどり着いておくれよ、とつぶやいた。


実はこの一件の前にも、大きなトランクにたくさん荷物を括り付けて歩く人を見かけ、三浦で仕入れを終えた後同じ道のりを引き返すと、先ほどのおじさんが!こんなところまで??ってあたりまで徒歩で移動…ってことは?

とか

熱海の駅前で、ふいに『すみません!』と声を掛けられ、自分たちに対してだとはまさか思わず話しながら通り過ぎてしまったけれど、そのすみませんの声だけが遅れて耳にのこり振り返った。その人の声に耳を貸す人は誰もいなくて、一度引き返して声をかけてみたけれど、私の声は聞こえなかったみたいで逆に気づかれなかった。

同行の家族は少し急いでもいたので、それ以上追う事はしなかった。

そして昨日。

鎌倉での打ち合わせ帰り、バス停のない道で、荷物を背負ってものすごく一生懸命走っている人を車で追い越すことに。

最初は、うわ~走ってるなぁ。だったのが、そういえばバスとか通らない場所だよね?ここ。どこまで走るんだろう???

乗せてあげるんだったな…


数年前にバスクへ行ったときの、ある体験が思い出されるようなできごとばかりが続いているこの頃。

誰にどう助けを求めたらいいのかわからない、でも必死にもがいている自分。自力でなんとかしなきゃなんだけれど、どうしたらいいのか名案がうかばない焦り。そんな中、移動したバルセロナで、若いバックパッカーっぽい青年が路上で座り込み、無表情に物乞いをしていた姿を見て、『明日は我が身』の意味をひしひしと感じたあの体験。

そして、こと相手が老人だと、自分の父親が散歩途中に心臓の発作を起こして座り込んだ時の話も思い出すから、やはり他人事には思えない。


いえ、これ決して私が優しいひとだと言いたいんじゃないのです。

そして、深刻に考えているわけでも。ただすぐに動けない自分へのじれったさみたいなものは残ったりしているのは事実で。

こんなことが、ここ2~3週間で続くなんて、なんのメッセージなんだろうか、と。

なにか、強いメッセージを送られている気がしてならない。という独り言でした。

コロナはどうやら最初の想像以上に世界へまい進しているようで、経済にまで大きな爪痕を残しそうな気配。

何かに無意識に依存していると、いきなり訪れる非常事態(これまでとは違う、常々とは非なる事象)に翻弄されることになる。

何を信じ、何を感じ、どう行動するのか。正しく自分と向き合い、心を軽く生きていたいものです。

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