不可思議事件簿、自慢
個体によって多少の差はあれ、人は必ず自慢する。
幼少期は、お母さんがキレイだとか、お兄ちゃんは足が速いとか、身近な人を自慢する。中には、かわいがっているペットの自慢に走る子もいるだろう。
これが、学童期になると他人と比べられることに対する自負心が出てくるから、俺は足が速い、泳ぎが上手い、頭が良い、読書をたくさんしている、漫画が描ける、歌が上手い等々、能力開発と共に自身の自慢話へと変化していくのである。
少し時代がかるが、そろばん、習字、裁縫、お茶、お花、謡に詩吟、落語や民謡と今や伝統芸能化している習い事を修めている諸氏など、今なお自慢されているのではないだろうか。
学童期から思春期に進むと、体の変化と共に自慢の種類も身体的特徴に変化する。
背が高い、毛が生えた、力が強い、髪がキレイ、胸が〇インなんてのは永遠の自慢なのではないだろうか。
諸氏にも、さまざまな記憶があるに違いない。
今なお使えるものが残っているなら、おおいに自慢なさってもらいたいものだ。
更に進んで、高校生ぐらいの学生期に差し掛かると、個人の自慢から集団(=所属)の自慢へと変化して行くことになる。
分かりやすいところだと、高校野球、サッカー、バレー等のスポーツで有名な学校への入学だろう。
もちろん、有名大学への進学率が優秀な高校でも同じことが言えるはずだ。
それらにはブランド力があり、そろいの制服なんかを着こなせば、3年間在校生として大いに自慢できることになるだろう。
もし、私が、イチローやダルビッシュと同じ高校を卒業していたならば、ずっと今に至って自慢している自信がある。
更に進んで、大学ではもっと顕著に自慢出来るやつが増えるのだが、ここでは、あまりにも数が多すぎて自慢が薄くなる傾向にある。
そう考えると、学生期における自慢のピークは高校時代と言うことになるだろう。
有名進学校や、有名スポーツ校なら、かなりの確率で将来さまざまなプロ競技で活躍するやつが出てくるから自慢のネタには事欠かないだろう。自分自身の選択が正しかったとずっと自慢できるのはありがたい限りだ。
ただし、これらブランド力のある学校への入学は簡単ではない。普通ではまず無理だ。
必要な条件は、以下の3つに集約できる。
1、親が金持ち
2、親が偉いさん
3、本人の能力が高い
それ以外に該当する場合は、残念だが、諦めることをお勧めしておきたい。
だが若人諸氏よ、親を恨んではいけない。親もまた、昔は君と同じ家系の子供だったのだから。
しかし、まだまだ諦めるのは早い。
世の中には、偶然という薄いチャンスが存在する。
例えば、今、将棋界で超有名な藤井聡太七段のケースだ。彼は、14歳2か月(中学2年)でプロになり、現在は高校生だ。そんな彼と同じ学校でしたと言えるやつが何人かは存在しているのだ。当然、一番値打の高いのは中学時代の同級生だろう。
類似のケース、芸能人などにも散見される。
もし、仮にだ、
私の同級生に聖子ちゃんがいたら、人生が変わるほどに自慢したに違いない。
いや、きっと人生そのものが変わっていたはずだ。クーッ。
想像しただけでテンションが上がるぜ。
んー、実際に数百人ほどの同級生が存在しておられるはずだが、その方々の人生はどうだったのだろうか。
松田聖子の同級生と言うことで華々しい人生を送っておられるはずだが、、
まさか、その自慢を無駄に過ごされていないか、凄く心配だ。
お次は、就活シーで大学と言うブランドを自慢するだろうし、就職すれば今度は会社を自慢し、友達と比べて優越感に浸ることになる。
もちろん結構だ。おおいに自慢して、悦に入っていただきたい。
どんな理由であれ、掴み取った自慢話だ。持っているだけでは腐るばかりだ。
さて、ここから先へ進むと、少し自慢話にも変化が出てくる。
そう、結婚の二文字がチラつくからだ。
集団と言うブランド力の自慢から、またまた個人のブランド力へ力点がシフトして行くのだ。
もちろん、優秀な大学卒で、職業、会社と集団のブランド力自慢は残るが、それはあくまでも結婚するときの定点的な自慢のラストチャンスだ。
結婚式が終わって、1年もすれば後はあまり役に立たなくなってくる。
そう、諸氏もご存知の結婚生活が始まるからだ。
ここに至っては、個人の能力の底のようなものが見えて来て、自慢どころではなくなるだろう。
いくら会社が優秀であっても、家庭生活能力が低ければ何の自慢にもならないのだ。
どうだろうか、読者の中の既婚諸氏よ。
今、そこにいらっしゃる、その隣のパートナー、、
おっと、聞きすぎるのは良くないか。
しかし、是非ともどこか自慢できるところを探していただきた。
"人は、自慢できるものが無いと辛くなる"
とは諸先輩方の口癖でしたからご注意を。