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可能性
為せば成る、
本当だろうか。
若人諸氏が新しい事に挑戦する。
誠に美しい姿だ。
その事自体は、あれこれ言わずに受け入れたい。
若年層から相談がある時は、必ず前に進むよう助言もしている。
そして、二つのルールを私自身に課している。
・アドバイスは、相手が誰であれ全力で真剣に行う事。
・アドバイスには、無責任である事。
結局、何を話そうが、やるのは本人、他人は無責任で丁度良い。
私とて挑戦する事が好きで、若い時は冒険もしたし、無茶もした記憶がある。
今となれば、皆楽しい思い出ばかりで、やって良かったと自負している。
更に言うと、私は、決断が早く基本悩まない。
と言うか、考え出したら素早く行動に移し、場合によっては、やらないと言う決断を下すのも早く、次に向かう。
少し自慢げに聞こえたら、そのとおりだ。
ハッキリと自慢であると宣言しておきたい。
どうやら、このスキル、苦手諸氏には、難攻不落で頭で分かっているものの、身に付けるのが難しいとの事だ。
ならば、出来る私が自慢しなければ、苦手諸氏に対して失礼だろう。
更に言うと、
私に取って、挑戦(決断)とは自由を手に入れる瞬間で、究極のエクスタシィでもあり、かなり興奮する。
股間がギュンッギュンとする感覚、と描写すれば分かっていただけようか。
自分自身で決めると言う自由。
その自由が、掌の中にある実感が堪らないのだ。
ホントに良いんですか、私が決めて、、
うーん、もー、ヨダレもんだ。
しかし、結果をイメージする事の無い様にも心掛けている。
やる前から結果を想像すると、行動は間違いなく委縮する。
加えて、己れの能力の低さに幻滅し、折角の楽しい自由を取りこぼしてしまう懸念すらある。
今日は、何を食べようか、予算は800円、ブログに書きたくなる様なランチを決める。
ギュン!
一瞬だが、小股が揺れる。
しかし、時には冷静さも要求されるだろう。
昔、営業会議で大きめの風呂敷を広げたところ、
上司から、そりゃ宝くじに当たる様なもの、と揶揄された。
くそッ、
やる前から、あーだこーだ言うな。折角、己れのプレゼンに酔いしれている所だったのに、、
こう言う上司は大概営業がヘタクソだ。
夢が語れ無いやつは営業としては、失格だッ。
年齢は関係ない。
また、こう言う輩ほど、こっそりと宝くじを買っている筈だ。
知っているのか、その天文学的確率を。
ガバン開けてみろ。まだ、年末ジャンボのハズレくじが入っているんじゃないのか、君のカバンに。
話しを戻そう。
今、確率の話しが出た。
若者が新しい事に挑戦して成功する確率は極めて高いと認識しておかなければならない。
何故なら、可能性の確率が極めて低いとは、こんな事をする時の表現だからだ。
例えば、
私が、ウサインボルト(世界最速ランナー)と100mを走って勝つ事。
この確率、数字にすると0.00000、、ゼロを書いている内に鉛筆が折れる。
まあ、これに比べれば、なんだって可能だろうと思えて来るから不思議だ。
因みに、次点以降も見てみよう。
1、超最大難極
ウサインボルトに勝つ。
2、最大難易度
青い珊瑚礁の松田聖子の彼氏になる。
3、極めて難しい
なまこが食べられる。
4、くーッ、出来ない
今、この歳でピンポンダッシュ。
5、何とか頑張れるかも
今夜、嫁に、、、ふー、
いずれにしても、可能性は有る。
皆、あきらめずに頑張ろー!
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