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とても小さくて、物凄く大きな一歩

私がモデルとして初めて海外に挑戦したのは、シンガポール…ではなくて、実はパリだったのかもしれません。

かもしれないと書いたのは、まだモデルとしてきちんと活動できていなかった学生のときに、度胸試しとして行ったものだからです。たった8日間。けれどあのときに起こした行動が、モデルとしての小さな一歩であるとともに、大きな意味を持ったものだったのではないかと思います。当時の情景は、今でも私の脳裏に焼きついています。


◆何一つ準備せず飛び込んだ

モデルをやるならパリコレ。始めた当初に私が持っていた夢です。そのためにはどうしたらいいのか、情報がないまま漠然と夢見ていた私は、知り合いのつてで、海外でも活動されているというメンズモデルの方にお話を伺う機会を得ました。

全く英語が話せないこと、ヨーロッパにも卒業旅行で一度行ったきりで、フランスには一度も足を踏み入れたことがないこと等々、現状をありのままに話しました。

すると、土地勘がないところにいきなりモデル業をしに行っても難しいだろうと、まずはその国に観光目的でもいいから行ってみることを勧められました。そして、各モデル事務所の所在地を、その場に行って雰囲気を見るだけでもいいから回ってみる。その上でもし可能だったら、事務所の扉を叩いて足を踏み入れてみてもいいかもしれないとのことでした。

海外渡航にさえ慣れていなかった私にとって、このアドバイスは一筋の望みのようにキラキラと輝いて見えました。

今、海外での仕事を経験した身からすると、ヨーロッパに通用するような写真(それこそ国内にも)を一切持っていなかったのに、よくぞ行きたいと言ったものだなと思います。そして、そんな何の準備もない素人同然の私の相談に、時間をき、真剣にアドバイスしてくださったこの方には感謝しかありません。(この方と、間を取り持ってくださった方との信頼関係があればこその時間でした。頭が上がりません。)

そんなアドバイスを胸に私はパリ行きを決心し、思い立ったが吉日、早速数ヶ月後の航空チケットを取りました。

チケットを取ってからは、日に日に近づいてくる決行日が怖くてたまりませんでした。どうして取ってしまったのか、無謀ではないのか…考えれば考えるほど悪い方向にいってしまう一方で、もはや取ってしまったものは仕方がない!と割り切ろうとする勇ましい自分もいたりして、その葛藤は飛び立つ直前まで続きました。

◆人生で最も緊張した5分

いよいよ出発の日。持参した地図には、現地のモデル事務所の場所を所狭しと書き込んでいました。1日目はこことここ。2日目はここのエリアに行って…など、何度もシュミレーションをしながら確認。

1人で海外に行くことが初めてなのはもちろん、フランス・パリも初めて、外国のモデル事務所を見ることも初めて。何もかもが新しく始まろうとしているこの状況に、不安や緊張、そして期待といった幾つもの感情が入り混じり、胸が一杯になるような感覚を覚えました。

そしてパリ到着。宿泊場所に私が選んだのは、日本人宿泊者が多く、オーナーも日本語を少しだけ話せると書かれた、アットホームな宿。ホテルというより、宿という表現がぴったりなこじんまりとしたところでした。
緊張していた私には、そこが唯一安心できる場所のような気がして、滞在中にする彼らとのちょっとしたやり取りが、いつも私の心をあたたかくしてくれました。また、朝食に食べるクロワッサンの美味しさに毎回感動していた、なんて些細なことも、私の記憶に深く刻まれています。

さて、いよいよ目的の事務所回り。最初は住所が書かれた看板(紺色を緑で縁取ふちどったあれです!)と地図とを交互ににらめっこしながら、あっちへこっちへ。やはり慣れていないところで動くのには、なかなかに時間を要しました。メトロを使いつつ、基本は徒歩で、歩く歩く。東京とはまた違った配色の街並みや、頬に感じる12月の冷んやりと澄んだ空気が心地よく、毎日クタクタになるまで歩き回りました。

目指していた事務所に着くと、そこから出てくるモデルたちの洗練された姿や(もはや外国人というだけで眩しく感じたものです!)、クラシックで重厚な扉にすら圧倒され、ほとんどは遠くから眺めることしかできませんでした。

本来の目的はパリに行ってみることだったため、着いた時点でほぼ達成しています。そして事務所も回っている。けれど、あと一歩、足りない気がする…

それは、事務所に足を踏み入れることでした。

いや、でも、もし可能だったらって言ってたし…そんな弱気な思いが、私を扉から遠ざけていました。

迎えた最終日。もう最後の事務所です。そこは、それまで目にしてきた事務所とは少し違いました。重厚な扉はなく、通りに面したガラス扉からはオレンジ色の光が漏れていて、中の様子も少し窺えるようなところでした。

もうここしかない、、、このまま何もせずに帰るのか…帰っていいのか……いな!そう思った私は、ここにアタックすることを決意。

…が、やっぱり勇気が出なくて、扉の前を行ったり来たり。5分くらいだったでしょうか、口から心臓が出るとはこのことかと思うくらいの、人生で一番の緊張を味わいながら、ようやく呼び鈴を押しました。

”押しちゃったーーーーーーー”

そう思いながら立っていると、入ってきてとの英語での返答が。いや、ジェスチャーだったかな?緊張しすぎてうろ覚えです。笑

ガチャッとドアを開けると…

ワンワンワンワン!勢いよく2匹の大型犬が走り寄ってきました。当時犬が苦手だった私は、慌てて扉から手を離します。すると、奥から私よりも長身の女性が現れ、2匹を中に押し込めながら扉を開けて招き入れてくれました。

中に通された私は早速、自分がモデルをやっていること、パリの事務所に入りたいことを、飛行機の中で必死に覚えてきたフランス語で話しました。
ちなみに大学の第二外国語はフランス語でしたが、なんとなくで選択してしまったことや、言語よりも特徴のある先生に目がいってしまい身が入らなかったため(言い訳!)、きっと発音も酷いものだったでしょう。自己紹介だけ済ませると、速攻で英語に切り替えたのを覚えています。

今思うと、何を言っているのかわからない日本人が入ってきたのに、オフィスの奥まで通してくれて辛抱強く話を聞いてくれたことは、奇跡だったと思います。本当は、パリにもオープンコールと呼ばれるものがあり、指定された時間に行ってBOOKを見せるのが本来の手順とされていました。もしくは日本からアポイントメントを取ってから行くか。

当時はそんなことも知らないで押しかけた私。話を聞いてもらえたのは、人の話をよく聞いてくれる彼女の人柄、そしておそらくは、私が必死な形相をしていたからではないかなと思います。笑

季節は12月中旬に差し掛かろうとしていたところ。彼女からは、もうすぐクリスマス休暇に入ってしまうから、よかったらまた別の季節に来てねと、事務所の名刺を渡されました。それは裏を返せば、私を所属させる考えはないという意味だったと思いますが、そんなことは当時の私には全くわからず。ただただ、自分ができないと思っていた「事務所のドアをノックする」ことができたという達成感に高揚し、中に通されて会話をしたことや名刺をもらえたことは、プラスで起きたラッキーな出来事でしかありませんでした。

パリの街は外国人に冷たい、そんな事前情報に内心ビクビクしていた私ですが、終わったあとはそれが嘘だったかのように、心はとても晴れやかでした。事務所を出て急に空腹だったことに気がついた私は、降り注ぐ夕日の中、名前も知らない公園で、達成感とともに勢いよくパンを頬張ったことを覚えています。

あのときの体温がぐっと上昇して緊張する感じ、公園で感じた晴れやかな達成感は、今でも忘れられません。とても小さいけれど、あれがモデルとしての初めての成功体験だったのでは、と思っています。

◆全てが繋がって今がある

時を経て、私は日本の事務所に入り、第二の拠点として選んだ場所ー導かれた場所と言うべきでしょうかーは、NYでした。あのときもらった名刺が活用されることはなく、パリには撮影で行くことはあれど、事務所に所属することもないまま数年が経ちました。

しかしあるとき、私は一瞬にしてその記憶を呼び覚まされることとなります。それは、日本とNYの事務所社長同士の会食の場でした。話の中に、突如としてその事務所名が飛び込んできたのです。突然のことに私は目を丸くして、けれど静かに耳を傾けていました。どうやら、彼女は事務所を閉じたらしいと。長身とも言っていたので、間違いなく彼女のことだったと思います。

まさか、所属している事務所の2人の口から、初めて訪ねた事務所の話が出るなんて…たったそれだけのことですが、不思議な縁を感じずにはいられませんでした。もう関わりはないと思っていたことが、こんなところで繋がりを持っていたなんて。

さて、話は前後しますが、私がパリに行くときは、いつも何かしらハプニングがあったり、必ず気持ちが落ち込むようなことがあったように思います。

1度目は、パリの街がテロに襲われてしまった5日後にあった撮影。撮影クルーが各地から集まる中、あとはAMIが日本から来るだけだよと言われ、ビクビクしながら飛んだとき。

2度目は、来れなくなったモデルの代打で呼ばれNYから向かい、蓋を開けたら手や脚だけの撮影と知って落ち込んだとき。激しい時差ぼけのおまけ付きでした。

仕事以外では、パリで事務所に入ろうと日本のマネージャーやモデルたちと行って、「あなたはもう成熟してるわ」と某大手事務所のマネージャーに気持ちいいくらいスパッと断られたとき笑。

それでも、私は一度もパリをいやだと思ったことはなくて。

1度目の撮影では、不安になっていた私を、フォトグラファーや以前NYで知り合った方が一緒にご飯をしようと誘ってくれたり、2度目の撮影では、プロデューサーのフランス人マダムが冗談交じりによく喋ってくれたり。3度目に関しては、一緒に行く人がいるだけでもはや心強かったし(海外へは基本、いつも1人で行きます)、オニオンスープを食べたお店もクスクスを食べたお店もあたたかく、またパリのファッション業界で長年働いているというムッシューのお話は面白く、食事中はよく笑っていました。

辛いこともあるけれど、いつも人に恵まれて頑張ることができました。本気の目をしている人には皆が力を貸してくれる。もしかしたら、そういうことだったのかもしれません。

新しいことを始めるのはとても緊張するし、不安だし、もはややりたくないとも思うこともあるけれど…それでも、最後にはやることを選択していきたいと思っています。

過去の出来事だからかもしれませんが、いまだにあのノックしたときの緊張を超えるものはありません。だからこそ、あのときを思えば…!と頑張れることがたくさんあります。小さかったあの体験が、今も私をずっと支えてくれています。

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鈴木亜美
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