鈴木亜美
今までモデル業をしてきて悩み、思考錯誤してきたことをシェアします。同じモデルをしている人には聞けない…自分自身、そんな悩みをたくさん抱えてきました。だからこそそういう経験をシェアし、少しでもオーディションや仕事にポジティブに向き合えるモデルが増えることを願っています。
海外の事務所にどのような経緯で所属したのか、オーディションや外国人モデルとのシェア生活のエピソードなど、赤裸々に話しています。所属し活動した/しているのは、ニューヨーク、シンガポール、ミラノです。
海外で仕事をするようになってから、それまで以上に外国人モデルと接する機会が増えました。というか、日本から出たら私が外国人なわけで…自国で培ってきた自分の中の当たり前の考え方が通用しなくなり、戸惑ったり悩んだり、落ち込んだりすることも多くありました。 その中でも今回は、他のモデルの立ち居振る舞いを見て、自分自身に足りないものを痛感させられたときのお話です。 ◆ビデオキャスティングその撮影では、会場でのオーディション以前に、ビデオキャスティングと呼ばれる一次審査がありました。マ
モデル業を始めてからこれまで、幾度となく大きな変化があったなと感じています。それは決していいものだけではなく、時にはどうしたらいいかわからなくて逃げ出したくなることもありました。そんなものにどう対処していたのか、今回は体型やメンタル面を中心に振り返ります。 ◆365日キープする仕事モデルは常に体型や肌のコンディションをベストな状態で維持しなければいけません。なぜなら、オーディションや仕事は何の前触れもなく、突然入ってくるからです。 何ヶ月後に〇〇のオーディションがあるから
2月下旬。NYから帰国してすぐさま、東京Fashion Weekのオーディションに入りました。 有難いことに、帰国を待ってオーディションをしてくれるブランドや、事前に決定を入れてくれるブランドもあり、今シーズンはここ数年でも、稀にみる忙しさだったように感じます。 今回は、先日YouTubeに上げた動画では語りきれなかった、Fashion Week中に私自身が強く抱いた気持ちのお話です。 ◆前を行く先輩たち今季最も印象的だったことは何よりも、先輩方のショー出演。1年前に東
コロナが流行ったことで、今回数年ぶりに訪れることとなったNY。「実年齢なんて関係ない」そう思ってはいるものの、自分のこととなるとどこかで揺らいでしまう瞬間もあり、アメリカ出発前は、年齢を重ねた私に向こうで需要があるのかと、不安ばかりが募っていました。 モデルの寿命は短い。始めたときによく言われた言葉です。そもそもモデルになるのも大変で、さらにはこの仕事で食べていくのも大変なのに、寿命も短いときた。それでも、選んだからにはやるしかない。 そんなふうにやってきたモデル業ですが、
先日出たショーでのこと。ここ数年で何度か出たことのあるブランドのもので、重低音の効いたテンポのいい曲に合わせて歩くことも多い、緊張感はあれど楽しい現場です。 今回はどんな曲で歩くのだろう?と楽しみにしていたのですが、リハーサルが始まった瞬間、自分の心が動揺するのを感じました。いつも決まって、終盤のイブニングシーンのみゆったりとした壮大な曲に切り替わるのですが、なんと今回は、初めから終わりまで全てスローな曲調とのこと。ウォーキングの実力が試されているかのようなスピード感に、一
モデル業をしていると、いろいろな人に会うことができます。それは、毎回違うメンバーと仕事をするから。ご一緒したことのある人がいる時もあれば、現場によっては全員初めましての状態からスタートすることもあります。 そういった環境にいるモデルにとって、再び同じクライアントから呼ばれることは、ものすごく嬉しく、光栄なことです。けれど、その"リピート” は、決して容易には叶いません。私がそのことを身をもって実感したのはNYでした。 ◆帰る度に、やり直し今回3年半ぶりにNYに来ていますが
求められる場所で頑張りなさい。この言葉の意味を、モデルになってから身を以て実感しました。 そもそもモデルを目指そうと思った当初は、パリコレに出たい!ただその一心で頑張っていたように思います。けれど私のモデル人生では、意識すればするほど「パリコレ」の文字は通り過ぎて行きました。 ◆1度目のチャンスはNYで私が初めてその舞台に近づいたのは、NYコレクションの最中。NYの街中を1日10本ものキャスティングを抱えて歩き回る中、事務所から突然「今からここに行ってほしい」という連絡を
「…それで方向転換してモデルになろうと思ったんですよ。」 そう話したときに言われた言葉がある。 「それでモデルになれちゃうから凄い。」 確かに。言われてみればそうかもしれません。 そもそもモデル業がどういうものか、当時目指し始めたときには全くもってわかっていなかったのですが、知らないからこそ夢中になって頑張れたのかも。いい意味で、期待がありませんでした。ただ一度やった仕事が楽しかったからまたやってみたい、そんな気持ちの延長線上で始まったモデル人生。 しかし振り返ってみれ
「私はこれとか好きだな!」 「うーん、、私はこっちも好きです」 先日の事務所でのやり取り。オーディションに送るスナップ写真を撮ったときに行われた、マネージャーとの会話です。 私とマネージャーでは、大抵選ぶ写真が違います。自分の顔の写りを気にしてしまう私に対して、マネージャーは「鈴木亜美」という素材がいかによく見えるか、バランスの良さが伝わるか等、別の視点から見てくれています。 今回は、そんな意見の違いから生まれる相乗効果から、仕事が立ち行かなくなったときに私を支えてくれ
私の人生は、いつも誰かの言葉に励まされながら進んでいます。それは身近にいる人だったり、全く面識のない人だったり。今回は、そんなターニングポイントで私の背中を押してくれた人達のお話です。 ◆19歳でダンスを始める高校生最後の年、私は大学受験のために各大学の学校説明会に足を運んでいました。 高校に入って宝塚歌劇団を知り、さらに宝塚部というミュージカルやダンスを披露する部活で自身も演じる側を経験した私は、昔から持っていたミュージカル熱が再燃し、いつしか舞台に関わりたい気持ちが強
以前、撮影での苦い経験談はお話ししたことがありますが(まだ読まれていない方はぜひこちらから→note「現場が凍りつきました、、、attitudeって何?」)、ショーモデルとしても多々あります。 今月3月はちょうど日本で「東京コレクション」と呼ばれるファッションウィークが開催される時期。ということで、今回はそんなランウェイの裏側で起こった数々のハプニングについてお話ししたいと思います。 ◆気合いで乗り切ったラストルック今やSNSでもよく見かけるようになった、モデルがショーで転
すごい!レオポルト美術館!いますぐウィーンに飛び立ちたい…!というのが、見終わったときの感想でした。 2023年1月26日に開幕したばかりのエゴン・シーレ展。実は私、彼の描いた作品も生い立ちも、若くして亡くなったことすら、ほとんど知りませんでした。それがどうして今回の展示に興味を持ったのか、きっかけは数年前のNYにまで遡ります。 ◆手に取った、たった1枚のカード2019年秋、私は仕事で2ヶ月間NYに滞在していました。休日には美術館に足を運ぶことも多く、この日も以前から友人
私がモデルとして初めて海外に挑戦したのは、シンガポール…ではなくて、実はパリだったのかもしれません。 かもしれないと書いたのは、まだモデルとしてきちんと活動できていなかった学生のときに、度胸試しとして行ったものだからです。たった8日間。けれどあのときに起こした行動が、モデルとしての小さな一歩であるとともに、大きな意味を持ったものだったのではないかと思います。当時の情景は、今でも私の脳裏に焼きついています。 ◆何一つ準備せず飛び込んだモデルをやるならパリコレ。始めた当初に私
AMIは写真が撮れない モデル事務所のオーディションに受かり、所属時の面談で言われた言葉は今でも覚えています。 悔しい…そう思うや否や、負けず嫌いな私のやる気に火がつきました。そこから、怒涛の写真作りが始まります。 今回は、そんな新人時代から取り組んでいるテストシュートについて、撮られる技術向上のためにやっていたこと、取り組む中で感じた不安や恐怖、今まさに感じていることについてお話しします。 ◆真似したものに価値はある?テストシュートをするにあたってまず最初にしたのは
2022年2月に開館したばかりの中之島美術館。いつか行きたい…!と思っていたところに関西出張が入ったため、前日入りして行ってきました。 結論から言うと、行って大正解!!近頃行った美術館の中では、展示内容も含めてダントツでおすすめできます。今回は、そんな行って良かった点を4つにまとめてお話しします。 12月某日。お昼頃に到着した私は、着いたそのままの足で美術館に向かいました。 大阪のシテ島とも呼ばれる、中之島。駅から川伝いに歩いていると、ランチタイムで外に出てきているらしい
一見すると個人が目立ちがちなモデルの仕事ですが、実はチームワーク必須の職業。撮影クルーと協力するのはもちろん、複数人で撮影するときには同業種であるモデルとも。 しかし、撮影中にモデルが声を発することはほとんどありません。大抵は無言でポージングをします(稀に叫びながらの撮影もありますが笑。気になる方はnote「誰よりも前に出ることの大切さ」をご覧ください)。 その中で、一緒にいるモデルとどのようにコミュニケーションを図るのか…それを学んだのはまだモデルを始める以前、私が大学生