来世に持ち越すもの
私には、30年以上続けている仕事が有り、その仕事は趣味の延長と言える類いのものなので、人様からは、
「好きなことを仕事にしている。」
と思われているわけだけど・・・。
先日テレビで棺桶を製造している会社を紹介する番組を見た。
父が亡くなったとき、広島カープのタオルマフラーを棺に入れてあげたな~。よろこんでくれたかなあ~、とか思い出していて、
自分の時には何を入れてもらいたいだろう・・・と考えてみた。
色々浮かんできたのだけれど、今の仕事で使う道具や材料は入れてほしくないな・・・と即座に思った。
あの世に行ってまでやりたくはない、と思ったのだ。
毎日、道具も材料も使わない日はないくらいだ。
私の遺族はきっと、「お母さんにはこれを棺に入れてあげないと!」って絶対に思うはずだ。
それほどに、私といえばコレ、なのだけれど・・・
それなのに、あの世に行ってまではやりたくないと思うということは、どういうことなのか。
今の仕事を嫌々やっているわけではなくて、それなりにやりがいもあるし、自分なりに使命のようなものさえ感じている。
もちろん、責任もある。
簡単には止められない。
趣味で置いておけば嫌になれば止めればいいし、またやりたくなれば再開すればいい。
ひと度仕事にしてしまえば、そうはいかない。趣味を仕事にするものではない、と言われる所以かもしれない。
やり尽くした感があるから?
でも、まだやりたいこともあるから現時点ではやり尽くしてはいないと思っている。
好きなことを仕事にして少ししてから、純粋に楽しめることは段々に少なくなっていった。
それが苦になるならもうとっくにこの仕事は止めているわけだが、基本好きなことであり、得意なことなので、苦になるというよりは、乗り越えたいこと、という位置付けだった。
苦痛を感じるものではない、ということは明らか。
仕事とするのを止めて趣味に戻ったら、それはそれで楽しめる気もしている。やり尽くして燃え尽きた、とは現時点では思えない。
だけど、来世にまでは持って行きたくない。
そう。
あの世や来世では、他のことを楽しみたい。
趣味を仕事にしたために、他の趣味に時間を割くことが難しいため、好きなことをあれこれ封印しているのは事実。
だからこそ、なんらしがらみのないあの世では、ただただ好きなことをやりたいようにやりたい・・・と思うのだ。
そしてあることに気づく。
あの世や来世には持ち越したくないくらいに、いまのこの仕事に心血注いでいる、ということではないかと。
そう自負しても文句は出ないよね、と。
そして、こうも考える。
色々な意味で、この仕事に関して、最終段階に来ているのだな、と。
還暦を数年過ぎた今、ピリオドの付け方を考え行動していかなければ、と思い始めている。
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