大人になれない親を持つ 9
母が最期まで使っていた部屋は今も残している。父が自分の手で建てて残してくれた建物だから。父は大工で工務店を営んでいた。亡くなった時もご近所の修繕の仕事が入っていた。私が生まれてから二級建築士と一級技能士の資格を取って、都の技能大会で優勝した事もある。大工で二級建築士の資格を持っているのは凄いと随分後になって言われた事がある。
母のほとんどの荷物は処分してある。残された洋服の量の多かった事。値札(私には買えない額も)が付いたままとか袋に入ったままとか。勿体ない。好みもサイズも合わないから仕方ない。
記念写真は残してある。先日その部屋で除湿剤交換していて、ついそれらを見始めた。私の小学校入学記念、七五三、成人式そして両親の結婚式。その写真も写真館の撮った物、嫁入り道具を積んだトラックの前に家族・親族が並んだ写真。祖母、母は勿論、伯母達も綺麗な着物を着て写っている。昔は茅葺きの家だったんだ。泊りに行っていた家は父が請け負って建て替えた家。母曰く、実家は貧乏設定だった。特別裕福ではないけれど貧乏ではないと思う。
母は高校卒業後結婚するまで家事手伝いで和裁洋裁習って、一生を通して一度も就職していない。労働の喜び知らないなんて可哀想。
私が派遣社員している時は、アルバイトみたいと貶すし、
自分で働いてから貶してよ。当時は単純労働の派遣はなかったんですよ。もういない母に文句言っても仕方ないか。
つづく
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