ぐらしあすの「森田療法の神髄について③」
前記事に主治医に提出する日記のことを書いた。
今更ではあるが、森田療法担当医師は3名いる。
その3名の医師は、入院中の他の精神疾患の患者さん達も診ている。
さらに、森田療法のオーソリティーである大原健士郎氏(Wikipediaによると今から13年前に他界されたとのこと)がいる。
日記に話を戻すと、みんな主治医がどんな言葉を添えて返してくれるか楽しみにしている。ぐらしあすの主治医は立場的にその精神科病院に於いて、大原健士郎氏に次ぐ主任的立場のドクターだった。
例えば、ぐらしあすが、「作業をしている最中に症状のことが気になった」と書けば、「症状に気が向いているうちはまだまだです」などとアドバイスが書いてあって、いつもハッとした。
あるメンバーの主治医は、ぐらしあすとは違う主治医で、ノートには「日々是好日」とだけ書いてあって、そのメンバーは物足らなそうであった。
日々のプログラムの中で、必然的に決まっているのが音楽療法と、作業療法そして運動の時間がある。
音楽療法は我々のニーズではないけれど、歌を歌うのは嫌いではないので楽しかった。ピアノの先生が来て、それぞれの音域を確かめる。
ピアノに合わせて「あああああ~」と音域を発し、それぞれの音域のメンバーで課題曲の「アヴェ・マリア」を歌う。
それはそれで楽しかった。
運動の時間は、何をするか決めていなくて、病院内の床の広めな体育館のようなところでみんなで決める。
誰かが、「今日はドッジボールにしよう」と言えばそうなるし、また「ボールあて(柔らかいボールを誰にでもよいので当てる。当てられたら今度はそのボールを逃げ回る他のメンバーに当てる)」にしようと言うとそうなる。
大人が大はしゃぎになるのである。
夜の勉強会では、メンバーだけで森田療法についての本(みんな同じものを持っている)をみんなで交代ごうたいに読み、森田療法の言葉の解釈について話し合う。
否定をし合う場所ではない。
ここで確認しておきたいことは、
実は皆が皆、他のメンバーの症状を知らないのだ。
当時その理由として、自分の症状を他のメンバーに言えば聴いているメンバーがしんどくなるということであった。
確かにそれは一理あると思う。
しかし、今振り返ってみると、例えば仮にAさんが不潔恐怖症であり、Bさんが対人恐怖症であったとしよう。
そこで生じうる現象として、Aさんは、Bさんよりも私の方が苦しいとか、その逆もありけりで、メンバー間の自然と湧き出る優劣感を持たせないためだと今となっては解釈する。
自分の症状を皆に伝える時は、退院が決まり会議室のようなところで、自分の生い立ちや症状に苦しんできた今まで、そして森田療法を受けてどう感じたかを、他のメンバーの前で発表をする時だけ。
そこには、大原健士郎氏をはじめ医師と臨床心理士が同席する。
メンバーの発表についてドクターや臨床心理士がコメントをする。
そして、だいたいお決まりなのが、発表したメンバーが大原健士郎氏や主治医から、色紙に言葉を書いてもらうということ。
メンバーの方からこの言葉を書いてほしいとお願いすることもあれば、お任せすることもある。
ぐらしあすの場合はお願いしたのかどうか忘れてしまったが、大原健士郎氏に書いてもらった言葉は、
「君を価値づけるもの、それは行動と実績である」と。
そして主治医に書いてもらった言葉は、
「人間(じんかん)至る所青山あり」
であった。
その言葉は今でもぐらしあすの心に刻まれている。
ただ、少し言わせてもらうと、二人ともマジックで書いてくれたのだが、色紙なので、筆で書いて欲しかったなあと思う。
この二つのフレーズは忘れない。
今でも大事に色紙を持っている。
続く。