ぐらしあすの「四国遍路で人間は1200~1400キロを歩けるのか」
ぐらしあすは特に何かの宗教に属しているわけではない。
でも、ある時今回のテーマについての疑問に対して、どうしても答えを見出したく、ここ数年で歩き遍路に2回行った。
四国一周を2回行った訳ではない。一区切りで一旦帰ってきて、次回行くときは、前回歩き終えた地点から再開する。
考えが甘かった。30~40日間ほどで一周できると考えていた。
四国歩き遍路の一般的な歩き方は、まず徳島にある第1番札所(寺のこと)から第2番3番と順番に歩いて(打って)いく。
たまに、あえて逆から、第88番札所から逆回り(逆打ち)する人もいる。
前置きが長くなってしまったが、結果的にはぐらしあすは2回行って、ようやく高知県に入ったところで区切り打ちをした。
ただひたすら歩く。歩くに尽きる。
歩いていると、いろんなことを考える。
昔のトラウマが顔を出したり、メロディーが浮かんできたりもする。
ぐらしあすは1日で30キロほど歩いた。
平地は少なく目の前は山山山。
30キロほどになる重いリュックを背負って、山道を歩いて登っていくのは身体的にしんどくて仕方がない。
この登り坂を上ったら平地になっているだろうかとか、峠を越したことになるのかなど目の前のそんなことに集中する。
大抵は望み通りではなく、やっぱり登りが続いたりするとげんなりする。
だいたい1日8時間ほど歩いた(歩くのが遅い方)。
ようやく目指す札所(寺)にたどり着く。
スタート→ゴールが一つの達成で、それを積み上げていく。
歩いて歩いて歩いても「無」になんてなれない。
嫌なことを思い出しても、目の前の上り坂を見ると、そんな思いは右から左へと抜けていくのである。
雑念が浮かんでも、頭の中でとどまらず流れていく。
その繰り返し。
なぜそうなるのかを考えてみた。
例えばランニングハイという言葉がある。ランニングと言えば、右足左足を交互に前に出しながら進んでいく。
右足左足の運動がハイ状態をもたらすのであれば、ウォーキングハイもあると感じた。
右脳派左脳派などということばもあるが、それぞれの持ち味というか機能は異なる。
右脳派と言えば、右脳ばかりが優先されているようなニュアンス、左脳派もしかり。
普段の生活をしていると、右脳を使っている時と左脳を使っている時がゆっくりと混在する。
しかし「歩く」という「両側性の運動」は常に右脳と左脳のチャンネルが切り替わり、普段はゆっくりとしたチャンネルが、歩くという連続運動によって脳の機能をフル回転させ、そのことによって脳が良い刺激を受け、活性化につながっているのではないかと考える。
だから「無」になんてなれない、嫌な思いは一瞬にしてながれていく。
その連続。
ましてや、あと3キロ歩けば善根宿(歩き遍路のための無料宿)があるので、なんとしてもそこまでは歩いて、今日一日の目標を達成しようとねばり、たどり着いた時は身体的にはヘロヘロだが、精神的には「歩いたぞという達成感や爽快感」が半端ない。
そういった1日の一連の流れが数日間繰り返される。
両側性の運動が精神の安定にある意味起因しているのではないかと考える。
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