シラフで生きるにはこの世界はしんどさで溢れてる
私は20代前半でアルコール依存症と診断された。
診断された時の私のγ-GTPは388だった。
目覚めてから眠りに落ちるまで、業務用のウィスキーを飲んでいた。
当たり前の結果だった。睡眠薬乱用もあったから直ぐに閉鎖病棟入院となった。
私が始めてお酒を飲んだのは小学3 年生の時。
習い事で帰宅するのが遅く、目が冴えて中々眠りにつけないと母親に言ったら、これを飲んだら眠れるからと言われて渡された小さなコップに注がれた梅酒。
一気に飲み干しベッドに入ると嘘みたいに眠りに落ちていった。
その時この飲み物がお酒ということを分かっていなかった。
私は眠れない時は決まって母から梅酒を貰い、眠りについていた。
中学生になり、自然と眠れるようになってお酒に頼ることは無くなった。
またお酒を飲みだしたのは高校生の時だ。
昼夜逆転していて、夜に無理やり寝るためにコンビニでショートの缶チューハイを買って飲んで寝ていた。
高校生の時付き合っていた人が成人済みなのもあり、お酒は身近なものだった。
まだその頃はお酒が自分にとって必要不可欠だと思ってなかった。
実際無くても良かった。
高校を卒業して、キャバクラで働いた。
18歳。未成年で表向きは飲酒禁止になってたみたいが、実際はお客さんに飲めと言われれば飲んだ。
私はお酒が強いらしく、客の要望に応えて酒を飲んでいたら指名が取れるようになった。
お酒を仕事で毎日飲んで、少しフラフラになりながら帰宅してメイクを落としてまた出勤しての毎日を繰り返した。
キャバクラがしんどくなって風俗で働いた。
病まないように気をつけていたけど、無意識に病んでいた。
毎日帰宅後缶チューハイ3本と焼酎を飲んでいた。
この頃、わたしにとってお酒は必要不可欠な存在となっていた。
嫌なことを忘れたい、とりあえずテンションを上げたい。
その一心でお酒を浴びるように飲んだ。
ご飯は食べなくて、お酒と睡眠薬をボリボリ食べて身体はガリガリで痣だらけだった。
風俗の店長にも心配されていた。
でもその頃の私にはこうすることしかできなかった。
全てに限界を感じて、夜の仕事を辞めて実家に戻った。
貯金を切り崩す日々。
焦燥感に駆られた私は、朝から晩までお酒を飲むようになった。
お酒を飲んだって何もかも現状が変わらない事はわかっていた。
でも幼い頃のお酒を飲んだら、明日になったらなんとかなるという気持ちがあった。
当然そんなことはなく、現実逃避の為にお酒を毎日飲んで日に日に酒量は増えていった。
焼酎のパックだとお金がかかるから、業務用のウィスキーを買って飲んでいた。
味なんて分からなかった。
体内にアルコールが入っていればなんでも良かった。
その当時通っていた精神科を転院することになり、新しい先生に診てもらった。
まず血液検査をして、肝数値が異常だと言われた。
正直に飲酒量を話すとアルコール依存症だと言われて、速閉鎖病棟への入院がきまった。
3ヶ月間閉鎖病棟で過ごし、その間にアルコール依存症の勉強会などの参加を命じられてイヤイヤ参加していた。
退院する頃には肝数値も正常値になっていた。
上記の入院を経て4年経つが、私は今でもお酒を飲んでいる。
主治医は変わったが、やはり断酒を進められているが私は断酒する気などない。
断酒してメリットもあるだろう。
でもいまの私にはお酒が必要なのだ。
私の周りにはお酒を飲まない人が多いので、私がお酒を飲むことを非難される。
でもお酒を飲むことで1日の嫌なこと、モヤモヤすることを洗い流されるのならばいいではないかと私は思う。
他人に迷惑かけない範囲で、それぞれの楽しみ方でお酒を飲めばいいのではないか。
アルコール依存症の私が言っても説得力がないかもしれないが、私はいつも「貴方になにが分かる!分からないでしょう!」と思う。
たった紙切れ1枚で当てはまるかそうでないかを診断して、なにになるの。
本当にアルコール依存症を止めさせたいのなら、根本的な治療が必要不可欠ですよ。といつも心のなかで思う。
この世はままならないことばかりだ。
忘れてくても忘れられないことや、しんどすぎてシラフではとても居られないことで溢れている。
麻酔までとはいかなくても、少しだけ心にモヤをかける手段としてアルコールを使用しても良いのでは無いかと私は思う。
アル中だから説得力ないけど!
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