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欲望と正義が招く悲劇〜佐野満と桐生豪に見る井上敏樹脚本のテーマ性〜


序論

※本記事では『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー剣』のネタバレが含まれます。

特撮ドラマ『仮面ライダー龍騎』に登場する佐野満(仮面ライダーインペラー)と、『仮面ライダー剣(ブレイド)』に登場する桐生豪は、物語構造やテーマにおいて顕著な類似性が見られる。
どちらのキャラクターも、「現状に対する不満」をきっかけに仮面ライダーの力を手に入れ、一時的に願望を叶えるものの、最終的にはその力に翻弄され、破滅を迎える。また、両者は「失ったものを埋め合わせようとする」という点で共通しており、その結末には「プラスからマイナス」「マイナスからプラス」へという逆転劇が織り込まれている。
さらに桐生豪の物語には、『仮面ライダーアギト』に登場する木野薫(アナザーアギト)の「なりたいものにはなれなかったが満足して死ぬ」という要素が追加され、独自の悲劇性を形成している点で進化が見られる。

本記事では、佐野満と桐生豪のプロット構造やテーマを比較し、両キャラクターに共通する悲劇性と、井上敏樹脚本におけるテーマ性の進化について考察する。

本論

①佐野満のプロット構造

佐野満は、『仮面ライダー龍騎』第44話「ガラスの幸福」で詳細に描かれているキャラクターであり、その物語は以下のように整理できる。

1. 現状に不満がある
佐野は貧乏な生活に強い不満を抱え、「金持ちになりたい」という夢を叶えようとしている。

2. ライダーの力を手に入れる
仮面ライダーインペラーの力を得た佐野は、ライダーバトルを利用し、金持ちになるという野望の実現を目指す。

3. 願望が叶ってしまう
一時的にライダーバトルで成功し、目標の達成が視野に入る。しかしその成功は短命であり、彼がその夢に固執すればするほど破滅の危険性が高まる。↓
4. 死神的な存在に引導を渡される
最終的に、東條悟や浅倉威のような「死神的な役割」を持つキャラクターによって倒される。佐野の破滅は、彼自身の弱さと執着心が引き起こした必然的な結末である。

②桐生豪のプロット構造

『仮面ライダー剣』第18話・19話に登場する桐生豪もまた、以下のような物語構造を持つ。

1. 現状に不満がある
桐生はかつて仮面ライダー候補であったが、その資格を失った過去を持つ。そのため、「ライダーになれなかった自分」に対する強い劣等感や不満を抱いている。

2. ライダーの力を手に入れる
新たに仮面ライダーの力を得た桐生は、その力を利用して「かつての理想の自分」を取り戻そうとする。

3. 願望が叶ってしまう
桐生は仮面ライダーとしての力を取り戻し、かつての栄光を手にしたかのように見える。しかし、その力に執着するあまり、次第に暴走を始め、周囲との対立を深めていく。

4. 死神的な存在に引導を渡される
最終的に、仮面ライダーレンゲルの力を通じて破滅を迎える。(アンデットに食い殺される)この結末は、桐生が「力」に固執した結果として必然的に訪れたものである。

③ 両者に共通するテーマ:失ったものを埋め合わせようとして破滅する

両キャラクターには、「かつて失ったものを埋め合わせようとする」という共通のテーマがある。

• 佐野の場合
佐野が埋め合わせようとしたのは「安定した生活」であり、それを「金持ちになる」という目標で補おうとした。しかし、その執着が破滅を招いた。

• 桐生の場合
桐生が埋め合わせようとしたのは「仮面ライダーの資格とプライド」であり、それを新たな力で取り戻そうとした。しかしその結果、彼は正義を逸脱し、破滅に至った。

④ 桐生における進化:木野薫の影響

桐生豪の物語には、『仮面ライダーアギト』に登場する木野薫(アナザーアギト)の影響が見られる。
木野もまた「なりたかったもの(アギト)にはなれなかった」が、最終的には自らの運命を受け入れ、「満足して死ぬ」という物語を持っていた。

桐生豪の場合も同様に、「理想の正義を体現する仮面ライダーにはなれなかった」が、力の代償として命を失う中で執着から解放されている。この点で、桐生の物語は木野の悲劇性を継承しつつ、井上敏樹脚本特有の「人間の弱さ」と「力の誤用」をより深く追求しているといえる。

結論

佐野満と桐生豪には、現状への不満をきっかけに力を手にし、失ったものを埋め合わせようとするも破滅を迎えるという共通のプロット構造が存在する。
両者は「願望が叶うことで悲劇を招く」という物語を通じて、井上敏樹脚本における「人間の弱さ」と「力の代償」というテーマ性を体現している。
さらに桐生豪の物語には、『仮面ライダーアギト』の木野薫から受け継いだ「満足して死ぬ」という要素が加わることで、単なる破滅ではない一種のカタルシスがもたらされている。
井上敏樹が描く脚本は常に進化が見られる。しかし、根底の書きたい「ヒーロー像」はブレずに書かれている。
だが、これは父である伊上勝の脚本と同じ脚本開発技術なのではないか…とも思ってしまう。

父には詳細なハコを切る必要がなかった。父の頭の中にはシナリオのための鋳型があって、いくつかのアイデアをそこに流し込めば自動的に脚本になったのである。その鋳型は父が紙芝居で培った感性そのものだった。そこに限界があった。どの話も同じような味わいのものになってしまうからだ。心情描写の苦手な父にはシナリオの武器となる持駒が少なかった、とも言える。駒が少なければ動かすのは簡単だが、ワンパターンにならざるを得ない。

もちろん父の本は父にしか書けない理屈抜きの純粋な面白さに溢れていた。だからこそあれだけの人気を博したのだ。だが、それでもいずれ限界は来る。いつまでも紙芝居では飽きられてしまう。時代に、そして父自身も。

私は時々考える。時代が父を追い越したのか、それとも時代に関係なく父は書けなくなったのか。きっとどちらとも言える。いずれにせよ父は書けなくなったに違いない。ずっと同じ井戸を掘っていてはいずれ水は涸れてしまう。

仮面ライダー・仮面の忍者赤影・隠密剣士・・・ 伊上勝評伝 昭和ヒーロー像を作った男

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