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角川『俳句』を読んで「詩」に迫る
今日も気の向くままに本のなはしなどしましょうか。
先日、角川の『俳句』8月号を読み終えました。
歴史ありそうな俳句の総合誌です。(表紙によると1952年創刊です)
文学の畑を散策したくて、図書館の雑誌の棚から手に取ってみました。
これまで俳句に触れた経験といえば、TBS系列のチャンネルで放送されている「プレバト!!」の夏井いつき先生の俳句のコーナーくらいです。父が好きなんです、あの番組。
中を開いてみたら、大きな文字が等間隔に並んでいました。
白い中紙に黒インクで 12文字 × 8行といった調子で、
散文ばかり読んでいる身にはページの様子が新鮮でした。
この号では「日常も詩へ、推敲のコツ」という特集が組まれていました。
そのなかの「語順プラス一案」という記事では、
「報告句」を詩である俳句に変える添削と、その句に眠っていた感動や風情の説明があり、
一つ一つの添削を、言葉というものを味わいながら読んだのですが、
記事のなかの「詩のある一句となるでしょう」という一言の上で、目が止まりました。
「詩」という言葉が、この一言で広がったのです。
ここでの「詩」は詩集に載っている文章のことではなくて、
詩性と呼ぶべきような感性を、この記事を書いた方は「詩」と呼んでいる。
そのことをこの一言とともに読んで、
満たされるような気持ちになったのでした。
また、本のはなしします。
〈参考文献〉
山尾玉藻「語順プラス一案」『俳句』令和5年8月号 p. 66-69