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夏期、芸術史講義のレポートを 2本書きました [通信芸大日記 2024.9.1]

こんにちは!

夏期はレポートを提出することができたので、そのお話を少ししようかなとおもいます。


はじめに

夏期、もう提出期間は過ぎたと思っていたけれど、それは文芸コースの科目(文芸特講と文芸演習)のことで、
ためしに確認してみた「芸術史講義」の提出期間は、2日後からでした。
翌日から2日間しごとがあったので、提出期間の初日を除いて、毎日書きました。

4科目提出したかったのですけれど、結果として、提出できたのは2科目です。

(4科目ということには、
今年で退学しよう、
退学前に一年分の単位は取ろう、
芸術史講義は文学の周辺を扱う「3」と「4」をやろう、
という背景があります。)

提出したのは、「(アジア)4」と、「(日本)4」。

どんなふうにやったのか、ちょっと振り返ってみます。うまいことまとまるかな。



インド神話のレポート

書こうとしてから書き終えるまで

アジア4は、テキストに取り上げられている芸術のジャンルから一つを選んで、発展や特徴について述べる、という感じの課題でした。

韓国、インド、東南アジアの、上演系の芸術が主に取り上げてられていました。演劇的なものとか、音楽的なものとか。
けれど私は文学にできるだけ強く関係するものを扱いたかったので、自然と、インドの文学をテーマにすることになりました。

インド文学。あまり、馴染みはありません。
N予備校で、物語の型の例の一つとして目にしたことはありましたが、ダイジェスト版も読んだことはありませんでした。
マハーバーラタとラーマーヤナの区別がつかなかったのですが、レポートを書いているうちに頭に馴染んで、学ぶことの一側面を体感した思いです。


指定字数は、1200。

普段気ままな note と味気ない受注メールしか書かない身には、とても大きく感じられました。1200字も書けないよ。

でも、なんとか書く内容が頭の中でまとまってきて、
書きながら造形していこう、と書き始め、
ちょっとまとまった文章が書けたとき字数を確認したら 200字くらいになっていて、
原稿用紙の右半分が埋まったイメージを思い浮かべました。
小学校の読書感想文で使った原稿用紙の記憶です。

1200 ってことはそれが3枚。なんとかなるかも、と思いました。


で、肝心の内容です。

普段から本を読むとはいえ、それは読んでいる間楽しむ読み方で、
小説と比べると内容の理解に重点が置かれそうな実用書を読むときも、ふうん、とさらさら読み進めて、目が止まったところ、心に響いたところはじっくり読んで、といった感じで、
言語化が難しいですが要するに、何が書いてあるのか、著者がこの本で何を語って(述べて)いるのか、あまり分かっていないです。

ということを話して何を伝えたいかというと、ちゃんと理解しようとしてテキストを読むのが、重労働だったということです。

しかも紙で買わずに、シラバスから飛べる PDF で読んでいたので、読みづらくて……。
それも、ダウンロードなどができなくて、毎回シラバスから入らなければならないのでログインをして本を開くまでの道のりがちょっと遠かったり、
airU 内で閲覧するのですがページ送りなどの操作がしにくかったりして、そういった面にもストレスがありました。

レポートのテーマが定まってからは、何度も読むページだけスクショして、カメラロールから読んだりもしました。


とりあえず動画をもう一度見ながらメモを取って、

テキストもノートに要約してみて、

という感じで、内容を掴んでいきました。

このへんは、内容の理解に向かって頭の全部が一直線に進んでいたので、何をしたのか細かには覚えていないのですが。


とりあえず書き始めてみようと思って、
動画のメモやテキストの要約を、ノートの一番下にコピペして(ノートは MacBook の Pages です)、
その単語を拾うかたちで文章に起こしてみたり。


それで、インド文学の章の冒頭で扱われていたマハーバーラタとラーマーヤナの二つをレポートに取り上げることにしました。


文章にする過程でテキストとは言い回しが変わるとき、含みみたいなものが変わって記述が事実から逸れてしまわないか気になることがちょこっとあったので、
図書館の神話の棚からインド神話を本を適当に抜き取って、
マハーバーラタやラーマーヤナのページを見て、ちょっと確認もしました。
こんなふうにそれを言葉にすることのほうが時間とか労力とか掛かったんじゃないかってくらい、ちょっとですけど。


と、こんな感じで「芸術史講義(アジア)4」のレポートは書きました。

同じようにがんばった仲間(学生の方)とか、どんな感じで書くのかなーと思っている未来の後輩の方とかに資したらいいなと思いますが、そうならなくても私が次のレポートを書くときの手がかりになるので、何かを期待するのはやめましょう。


書き上げたレポート

最後に、書いたレポートを載せます。まるごと載せます。私が書いたものなので著作権とか大丈夫だと思いますが、もし何かあれば迅速に取り下げます。

マハーバーラタって、ラーマーヤナって何? と思われたあなた、ちらりとお読みになってみてください。出来はご愛嬌で……。

(題)インド二大叙事詩の発展過程と様式的特徴

1.はじめに
 古代インド世界は、紀元前5世紀頃に大きな転換期を迎えた。仏教やジャイナ教がおこり、宗教観・世界観が変化したのである。人々は、絶対的な存在である神々との直接的な結び付きを求めて、苦行に身をやつしたり、新しい信仰を生み出したりした。「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」には、このような変化が反映されており、インド文化の様々な面に影響を与えてきた。
 「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」は、いずれも長篇の叙事詩であり、中心となる物語に数々の神話や伝説が散りばめられたつくりになっている。二大叙事詩と呼ばれ、現在も広く親しまれており、インドや東南アジアの国々において演劇作品・舞踊・影絵芝居などの母胎ともなった。
 叙事詩では、インド最古の文献「リグ・ヴェーダ」とくらべると、神と人間の距離が近くなっている。また、ヴェーダが師から弟子へと受け継がれる秘密の教えであるのに対し、叙事詩は吟遊詩人によって誰もが共有できるように語られる公共の教えである。

2.マハーバーラタの発展過程と様式的特徴
 マハーバーラタは、世界最大の叙事詩である。インドの古い言語であるサンスクリットで書かれ、18篇、約89,000の詩節から成る。
 吟遊詩人によって紀元前4世紀頃から語られ、紀元後4世紀頃に現存の形になったといわれている。
 物語の根幹は、はるか昔に起こった同族間の争いである。それを吟遊詩人が、聴衆の興味を引き、かつ誰もが理解できるように語るうちに、5人の英雄的な王子を主人公として彼らの苦難と活躍を主題とする現在の形ができあがった。この主筋とは別に、枠物語として、様々な出来事の由来、神々や人々の事蹟、各地に伝わる神話などが挿入されている。さらに、主筋の物語に対する哲学的・神学的な説明が加えられた。その結果、マハーバーラタは巨大な叙事詩となった。古代インドの百科事典的な様相を呈し、「ここにはあらゆるもの・ことが語られている」といわれている。
 クリシュナに対する一神教の傾向や、ヴィシュヌ信仰による宇宙観がつけ加えられたことで、民衆に広く受け入れられた。

3.ラーマーヤナの発展過程と様式的特徴
 ラーマーヤナは、王子ラーマの波瀾万丈の生涯を描いた叙事詩である。
 マハーバーラタと同様、紀元前数世紀頃から語られ、現存の形になったのは紀元後2世紀頃といわれている。
 9世紀の半ばにインドネシアのジャワ島に伝わり、そこから東南アジアの各地に広まった。タイでは、歴代の国王が編纂した戯曲である「ラーマキエン」をもとにした、猿将軍ハヌマーンが活躍するバージョンが親しまれている。インドネシアでは、このサンスクリットの叙事詩をもとにして11世紀に「ラーマーヤナ・カカウィン」が書かれた。これはジャワ古典の最高傑作といわれている。マレーシアでは、影絵劇であるワヤン・クリット・シャムの主な演目となっている。
 サンスクリットで書かれ、7篇、約25,000の詩節から成る。
 登場人物のはっきりとした個性や、勧善懲悪の明快なストーリーのゆえに、様々な舞台芸術で親しまれている。
 ラーマが全体の調和と完成を目指して行動する点が、対立と破滅が語られるマハーバーラタとは対照的である。また、言語・文体においてマハーバーラタよりも洗練されており、インドの文学作品の起源に位置付けられている。
(1398字)

〈参考文献〉

赤松紀彦編『アジアの芸術史 文学上演篇Ⅱ 朝鮮半島、インド、東南アジアの詩と芸能』(芸術教養シリーズ12)、藝術学舎、2014年(レポート全文に亘って大いに参考にした。)
・沖田瑞穂『マハーバーラタ入門 インド神話の世界』勉誠出版、2019年
・長谷川明『インド神話入門』新潮社、1987年

あ、字数もオーバーしているのですが、ほかの科目もあるので、えいやっと提出しちゃいました。


言文一致のレポート

書こうとしてから書き終えるまで

最初に書き上がったのはアジア4で、残りの3科目を、
行き詰まったらいちばん進んでいない科目を進めて、それが行き詰まったらまた別の科目に移って、
という感じでやっていたのですが、次に形になったのは日本4でした。
(というか、ほかの2つは結局今期に書き上げることをあきらめました)


日本4は、問題が4つ提示されていました。その中から一つ選んで、書くという形式です。小論文の試験とかでよく見る。

どの問題を選ぶかは、書きながら変わりました。

最初は、テキストで取り上げられている作品の、芸術史のなかでの意義を述べる、的なものにしようと思いました。

落語が取り上げられていたのでそれについて書こうと思ったのですが、図書館で公衆演芸?の棚を見ているうちに、落語を聴くのはおもしろいけど、私は落語の意義とかにはそこまで現時点で興味もってないな、と思いました。

もっといえば、意義とかよりも、実作の理論とかのほうが興味あるなと再認識しました。

それで、私は明治の、日本が外国と出会う感じが好きなので、明治の文学をレポートで取り上げようと思いました。
いや、江戸から明治にかけて文学ががらりと変わった感じを扱おうと思ったのだったと思います。
西洋の文学に出会って、なんか勧善懲悪から、こんにち馴染みのある精緻な恋愛小説とかが書かれるようになった、みたいな言説にどこかで触れたらしく、そういうイメージをもっていたので。

それで、作品などの展開と社会的背景とかで書けそうだなーと思い、それで進めていました。

けれどその問題は、他の3つのうち2つの問題やアジア4のものと違い、作品ではなく「芸術」を一つ選ぶことを指示していました。芸術。たとえば「演劇」は芸術でしょう。文学に分類されるものの中でも、「詩」は芸術と呼んで違和感がありません。けれど、書こうとしている題材で、何を「芸術」としてテキストから選び取ればいいのか? 
「言文一致」というキーワードが浮上していたのですが、言文一致の流れの中にある『浮雲』という小説作品を取り上げるのもよくないと思うし、「言文一致の文学」という切り取り方では、「芸術」とはいえないのではないか? ――ということを、「コンシェルジュ」に質問してみました。
初めて使いました、コンシェルジュ。有り体にいえば問い合わせフォームです。
送信したら、長くても1週間で返信がある旨表示されて、1週間経ったら提出期間終わってるなとカレンダーを思い浮かべましたが、返信を待ちながらも自分であれこれやってみるし、他の科目もやるし、なんなら冬期に提出してもいいのだし、というわけで、そこはそれほど気になりませんでした。
全日制の大学なら直接口頭で尋ねるのかなと想像しましたが、文字のコミュニケーションの方が得意ですし、まあ、そこに対する感想はそんなにない、のになんか長々と書いてしまいました。

返信は3日後に届きました。
明治前期の文学を取り上げて、その中の重要な問題であった言文一致の、展開と背景を述べる、というふうに指導していただきました。
なんか紳士的にエスコートされた気分です。靄が晴れる感じ。
そのときちょうど日本4に取り組んでいて、近世から明治への移行に関する問題に変えようかなと考えていたのですが、「レポートを楽しみにしています」と言われて(書かれて)、せっかく道を示してくださったのだからその道を行こうと思い、なんとか一本のレポートにまとめました。
あと動画でお話されている先生の直接の回答が届いてちょっとテンション上がります。(宮先生という方です)


テーマを探し、書き終えるまでにやったことは、たぶんアジア4と同じです。


書き上げたレポート

こんな感じで、読んでくださったあなたの期待に添えたかは自信がありませんが、日本4も書き上げたレポートをお見せします。
ひとさまにお見せできるような出来ではございませんのに……。

(題)明治前期の文学と言文一致運動

1.はじめに
 明治前期には文明開化が叫ばれ、文学にも新たな風が吹いた。明治前期の文学における重要な運動であった言文一致運動とその作品について、発生・展開と社会的・時代的背景との関係を述べる。

2.江戸時代までの文学・書き言葉
 江戸時代までは、書き言葉と話し言葉が乖離していた。文書では助動詞「候」を用いた候文が基本であり、公的な文書は漢文訓読体であった。一方話し言葉は、地域や身分によっても異なっていただろう。
 また、江戸時代には戯作とよばれる娯楽的な文学が隆盛を誇った。これは知識人の戯れに端を発し、大衆に受け入れられていったものであるが、ジャンルの広まりや成長の末に、勧善懲悪など類型化も進んでいた。また、大衆の娯楽に資する性格のゆえに、社会的地位は高くなかった。
 江戸時代までに主流だった恋愛のストーリーは、遊里での駆け引きや、心中であった。

3.言文一致運動のはじまり
 そんな中、明治維新が起こり、文明開化が叫ばれるようになる。「近代化」の波は文学にも押し寄せる。
 坪内逍遥は『小説神髄』において、「近代的」な小説を規定した。それによれば、「近代的」な小説とは、芸術的で高尚なものであり、人情に主眼をおいたものである。戯作とは異なる小説の社会的地位向上と、西欧に倣って身近な心の動きを的確に書き表すことが、多くの作家によって目指された。

4.言文一致運動の作品
 言文一致運動の中で生まれた作品として、坪内逍遥の『当世書生気質』と、逍遥の弟子である二葉亭四迷の『浮雲』を挙げる。

4—1.坪内逍遥『当世書生気質』
 『小説神髄』において「近代的」な小説を規定した逍遥であったが、その実作においては困難に直面した。『当世書生気質』では、登場人物の心情を表す場面などで英単語がカタカナ表記でそのまま用いられる箇所が散見され、西欧の心情表現や価値観を日本語で書き表すことに苦心した様子が窺える。文体においても戯作の影響を強く残しており、芸術的で高尚な「近代」小説への道のりは平坦ではなかったことがわかる。
 内容においては、近代的な教育を受けた青年の、芸妓との恋に悩む姿が描かれている。この題材は江戸時代までの戯作などで描かれた恋愛とは一線を画していた。

4—2.二葉亭四迷『浮雲』
 逍遥の弟子である四迷は、落語の口述筆記に言文一致の糸口を求めた。三遊亭円朝の落語の聞き取りなどを参考にして、『浮雲』を書いた。この作品は、戯作・主人公の一人称視点・客観的な三人称視点に寄った文体というように複数の文体を用いた実験的なものであった。
 内容の面では、エリートコースを歩みながらも免職されてしまった主人公が、許嫁との恋を妨害され、苦悩する姿が描かれている。逍遥『当世書生気質』とも通じるこのような題材は、近代化の明治前期にあって、西欧的な個人主義の価値観と、江戸時代以来の封建的な価値観との間で揺れ動く青年の苦悩を反映している。また、プラトニックな恋愛が若者に支持されたことも、この題材が盛んに描かれた背景にある。

5.言文一致運動のその後
 多くの作家の試行錯誤が続いた言文一致の試みであるが、俗なイメージをもたれていた口語で格調高い文学を著すことには困難があった。しかし、落語や講談、演説や講演会などの口述筆記が世の中に広まるにつれて、口語体の小説も受け入れられていった。小説言語としての言文一致体が定着するのは、明治30年頃である。
(1424字)

〈参考文献〉
・矢内賢二編『日本の芸術史 文学上演篇Ⅱ 近世から開化期の芸能と文学』(芸術教養シリーズ10)、藝術学舎、2014年(レポート全文に亘って大いに参考にした。)
・坪内逍遥『明治文学全集16 坪内逍遥集』筑摩書房、1969年

ちょっと無理やりな感が全体から滲み出ています。字数もオーバーです。でも一応まとめたということで……。
採点結果とかがまだなので、これがレポートとして受け入れられるのか分からないのですが……。
参考文献とかも、註を一つ一つつけるとどれほどの数になるんだと慄いてあんな書き方をしたけど良かったのか……。


おわりに

今期提出しようとした残りの二つ、ヨーロッパ4と近現代4は、冬期に提出しようと思います。
履修期間でないと動画などが見られないので、夏期のうちに書き上げて(カキだけに?? ……すみません)、冬まで提出ページに冷凍しておきたいですね。

他者が大学で提出するために書いたレポートって、見せられてもあまり読む気がしないと思いますが、読んでくださり、ありがとうございました。
その労力に見合ったものが書けるようにしたいです。レポートに限らず。


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