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極と螺旋
極というものは、そもそも全体の一部であり、それは無数無限にあるものを、
地球人の好奇心ゆえの得意技、直線的思考に捕らわれてしまうから強力なジャッジメントの罠にはまるのだろう。
そこを見きるということは、やはり中心に戻る作業なのであり、
人生の初期設定のプログラムを解除する最初の体験は、どの層でも生きられるよ、ということを体感するのだと思う。
直線的思考、平面的思考は、学校という場が強化するわけでもあり、ここでインプットせざるを得なかった物語を見破ることはまた近道なのだ。
より中心に近い螺旋を描く回転。
そしてどの層から見てもよい自由。