2023年6月1日の日記。ノゲシ
この時期になると、近くの駐車場に雑草が生えている。
アスファルトにも関わらず、種が飛んできたのか様々な植物が生えている中、存在感を放っているのが、ノゲシだ。
最初タンポポかと思ったが、タンポポにしては異様に茎が太く棘がいかつい。
前に草むしりでノゲシを引き抜きた事があるが、中々の大仕事だった。
棘は痛いし、葉っぱも棘があるし、軍手をしても棘の痛みを感じるくらいだった。
そんなノゲシが今年も生えている。
毎日、駐車場を通るたびに日に日に大きくなるノゲシを見ると、有り余っているエネルギーを感じる。
数日前の事だが、駐車場の前を通ると雑草に元気が無かった。雨も降らず、天気も良かったので、水分が足りずに枯れていると認識していたが、どうやら違ったようである。
昨日、枯れた草を見てみると、白い粉末がおちていた。
どうやら、除草剤を蒔いた人がいるらしく、日に日に凄い勢いで枯れていった。
いまや、存在感を放っていたノゲシも見る影もない、ほとんどの雑草は、茶色に枯れているのを見ると、効果がありすぎて、逆に怖くなった。
今日も駐車場の前を通ると、鬱蒼と生えていた雑草も今や見る影も無くなっている。
この情景を見て思い出した事がある。
家の隅で、女王蜘蛛が大きい蜘蛛の巣を作成していた時があった。
家の隅で蜘蛛の巣を張っていたからか、そのままの状態で女王蜘蛛が悠然と巣の真ん中で構えていたのだが、ある日蜘蛛の巣だけあって、蜘蛛が見当たらない日があった。
よく見ると、蜘蛛の巣の下に落下していた。どうやら寿命らしく、大きい蜘蛛の巣だけが残されたままだった。
その時の虚無感と、除草剤で枯れて茶色になった雑草を見た時の感動の機微は近いと思う。
要は無常感だ。
地面に落ちていた女王蜘蛛を見た時に思い描いたのは、豪邸を建設したが家族が誰も寄り付かず、晩年一人で過ごすことになった孤独な権力者だった。
物のあはれだった。