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長野解剖合宿記 2023/12/27

 翌日、はやばやと起床する。暖房の効いた暖かな部屋はあまりに居心地がよく、ついつい2度寝に入ってしまうところだった。しかし、今日は解剖の本番。寝ぼけたままで執刀(刀は使わない、あとメスも)しては間違えて手や指を、そうでなくとも直腸や膀胱を切ってしまうかもしれない。そうなっては大惨事と考え、着替えを始める。
 ちょうど着替え終えたときに起床の号令がかかる。早起きしたおかげでたたき起こされずに済んだことに安堵して、落ち着いて仕度にとりかかる。
 朝食を取り終え、そこではじめて今日一日の説明を受ける。頭骨実習ののち獣医師による講義、昼食後は解剖実習と毛皮についての講義が続く。おそらく今日が合宿全体で一番忙しい日となることだろう。そこまでは予測できていたのだが、あまりに全員の疲労がたまったためか午後にかけてアクシデントが続出することとなった。
 食後には部屋に戻り、白衣などをカバンに詰める。ついでに僕は本も詰め、ロビーを通り別館へと向かう。この別館は研修棟で、簡易な机と椅子とが常備されている。これらの椅子に解剖班ごとに座り、解剖時に用いるものいくつかを準備する。
 しばらく本を読んで待っていると、やがてG先生が大きな箱を持って入ってきた。そして、これはなんでしょうと言う。初参加の10人ほどは目を輝かせ、真剣に考えていたが常連はそうでもなかった。中身が何かすでに知ってしまっているためである。
 そのためツキノワグマの頭骨、ニホンカモシカの頭骨などが取り出された時もそこまで驚く者はいなかったが、今回はこの実習も一味違った。
 ある骨が取り出された時、初参加も経験者もみな一様に目を輝かせた。それは僕たちがこれまで見たこともなかった「キョン」の頭骨だったのだ。早速各班が頭骨に群がるのだが、そのなかでもやはりキョンの骨に集う人数は群を抜いて多かった。
 「キョン」とはシカの仲間で、やはり外来生物。この個体は千葉で取れたもので、その頭を中国地方で取れたヌートリアの頭と交換したものだそう。全国各地に広がる頭骨ネットワークなるもので常に連絡を取り合い、持っていない動物の骨を自分の所蔵品と交換するのが常だとか。そうしてやってきたキョンの生首を煮沸、肉をそぎ落としてコレクションに加えるのだという。
 僕も鳥の頭骨を所有することに喜びを感じるためにできればその「頭骨ネットワーク」に参加したいのだが、仮にできたとしてもその生首をゆでて肉など取り出せばその悪臭に近所から苦情が来ることはほぼ必至。それならばむしろ、頭骨を借り受けて頭骨型ろうそくを作りたい。誰か身近な人に、頭骨を貸してくれる人はいないだろうか。それも、キョンやハクビシン、キツネ、テンなどのものを。
 頭骨実習を終えて、椅子を片付ける。このあとは獣医師の講義を受け、昼食。しかしその間に献体が研修等に運び込まれるのだ。椅子が片付いていなかったなら障害となる可能性もありうる。
 今回の講師の先生は、昨年度はサポートにいた方で、おもに蛇やトカゲ、カメレオンなどのエキゾチックアニマルを専門にしているという。そしてそのサポートになぜか、去年までこの合宿全体にスタッフとして参加し、「来年は獣医師国家試験があるから参加しません」といって去った見覚えのある顔が混じっていた。
 なぜ来た?国家試験があるんだろう!逃げるな、逃げちゃあだめだと皆から励ましなのか非難の言葉なのかよくわからない声を浴びせかけられていたが、はたして国家試験に受かることはできるのだろうか。皆、陰からひっそりと応援していた。
 そうして昼食後、ついに解剖実習が始まる。荷物を研修棟の外に置き、そこから白衣、実験用メガネ、上履きなど取り出して身に着ける。誰かに持っていかれやしないかとふと思ったもののさすがにこんな山奥にまでやってきて荷物を取っていくものはいないだろう。それを見越して貴重品はすべて(僕の判断基準では本も貴重品に入るが、本は抜いて)先生に預けてある。なぜ本は抜きかと問われれば、預けてしまうと最終日まで読むことができないからと答える。
 さて、解剖用のビニール帽子、マスク、エプロンなど身に着けて部屋に入る。真っ先に目を引いたのは、L班のテーブル。なんと子ぎつねが2体(もう死亡しているため「匹」ではなく「体」とする)もならんでいる。どうやら十分な献体を確保できなかったため、それに代わって2体、子ぎつねを使うようだ。無事L班となったTは張り切り、新人を手伝いながらも「ようやく1人で解剖ができる」とついに誰の助けも借りずに子ぎつね一匹を解剖し終えた。
 さて、他所のことはこれぐらいしかわからないため自分の班のことに話を戻そう。僕らが割り当てられたタヌキは、落ち葉や枯れ草が毛に多くついており、おそらく首の骨および頭蓋骨が骨折。左前脚が傷つき出血しており、舌を噛んでいた。また、生殖器から見てメス。若干だが痩せ型に見えた。
 これらのことから、左側の肩から頭部にかけて強い衝撃がかかり、骨折したものと思われる。外貌は原形をとどめていたためおそらくは軽自動車によるロードキルと考えられた。実際、数年前の個体には舌を噛み切って飲み込んでしまっていた個体もいたという。舌がまるまると残っていたことからも、トラックなどに跳ねられたわけではないことがわかる。
 外貌の観察を終え、黙祷後早速執刀を開始する。今回の目標は消化器官をより詳しく確認すること。できるのであれば呼吸器系も肺臓の様子を確認したいと思っていた。
 が、さっそく執刀するもなかなか前に進まない。この個体、皮下脂肪がとてつもない量なのだ。その分厚さは5㎜以上ありそうで、挑戦した班員皆がさじを投げた。仕方がないのでなんとか入れた切れ込みから手で広げていくことにする。こういった作業ならば解剖ばさみよりも素手の方が非常に扱いやすい。
 その後遅々として進まない状況を見かねたのかサポートの先生方が手伝いに来てくれた。皮下脂肪さえ切り開ければ、あとは簡単。腹をまず開き、内臓脂肪を取り出していく。
 最初は気にも留めなかったのだが、そのうちおかしいことに気が付いた。見たことのない臓器がある。最初は膀胱の異形かと思った。が、膀胱はちゃんとある。ということは、位置から察するに生殖器ではないのか?
 僕が前回解剖したハクビシンはオス。その腹内にはこれはなかった。ということは、この大きさ子宮か。しかしながら、この中に何かが入っている。妊娠している。それも、大きさから察するに3から5匹。非常に興味がある。より詳しく見てみたい。
 だが、僕の目標はそこではない。見たいけれど、見たいけれどもそれを見るのは最後だ。そのためには、手早く解剖を終えなければならない。
 手がしびれる。脚がる。なんとか胸を切り、のどを開き、舌と呼吸器、消化器官をつながった状態で取り出すことに成功したのは、何時間もかけた後だった。本当は胃の内容物なども確認したいのだが、もう時間はあと少し。そして未だ子宮内を確認していない。
 あちらこちらに散った皆(解剖班員)を集め、初参加の子の手に任せて切り開いてもらう。そこから出てきたのは、大量の赤黒い血と膜につつまれた何か。その膜を紙皿の上で切り開くと、なかからはその「膜」と腹のあたりから出ている管でつながった胎児が、鮮血とともに出てきた。
 未だに毛などは生えていないことから、まだ臓器などは未完成であることが予想される。そのなかで一番大きな個体は10㎝と少し。手足には爪と指も確認でき、口内には舌が。瞼の下には眼球が。そして生殖器も確認できた。
 最後に再び黙祷、取り出した内臓などをすべてあった場所に戻し、白衣などをすべて脱いで手を洗い、血糊を洗い流す。
 僕は解剖作業がそこまで得意ではなく、手早く正確にはさみを使えるかわりにいつも手袋を切ってしまい、血糊や油が手の甲にべっとりと付いてしまうのだ。
 ビニールエプロンなどをすべて脱ぐと、とたんに寒くなる。もとよりここは長野の山奥。白衣とこのエプロンとを重ねてきていたからこそ暖かかったわけで、これらをすべて脱いだならば当然のごとく寒い。外に置いておいた上着など羽織っても、所詮着ている服は3枚程度。あわてて本館へと駆け込み、手を洗って部屋へと突き進む。
 何故か、暖房が切れていた。まるで昨年度の悲劇を象徴するかの如く、電源が抜けている。犯人は同室メンバー。彼は初参加のために、あの悲劇を知らなかった。あの寒い寒い日に部屋へと帰ってみればそこは気温がマイナスの世界。
 この時は燃料切れという何とも微妙なことが原因で、おかげで燃料が入れなおされるまで同室のTやNとともにOのいる隣室へと押し掛ける羽目になった。それで狭い部屋に中学1から3年の男が6人。しかもその部屋の大半は2段ベッドで埋まっている。
 かなり暑苦しかったため、できれば二度とやりたくないと思ったわけだが幸いにも同室のメンバーが電源を切っていただけ。ボタン一押しですぐに再稼働し、10数分で20度まで回復した。そしてその間はもちろん、隣の部屋に避難。右隣の部屋は、3人。左隣の部屋には4人。これだけならば右へ行けばよいのだが、何を思ったのかみな左へ。幸い皆トイレへ出払ったようで室内にはほとんど人がいなく、彼らが帰ってくるまで思う存分温まることができた。
 その後夕食、毛皮実習そのあと入浴。ここで、解剖という折り返し地点を無事に過ぎ心が軽くなったのか事件が次々に勃発した。
 この合宿、いつものことながら女子比率が高い。前回ただ1人いた男子高校生メンバーは今年はもう高卒となったため参加権を失効、前回いた中三男子メンバーは今年で高校一年生となり、男子最年長とされることを嫌ったのかだれ一人として参加せず。わかる、わかるよその気持ち。だが、結局誰かが最年長にならなければいけないわけで、今年はOが選ばれた。
 男女比は14対19。男子の方が少ないため入浴などに関しては男子のほうが早く済む。とはいえ、一般客もいる以上14名が一斉に温泉に向かうわけにはいかない。僕たちは、選に漏れて二番手となった。
 その後のことは、あまり思い出したくない。ただ、一日の疲れを取ろうと誰かが枕投げを提案、しかし襖やテレビが壊れるといけないと、別の誰かは「カイロ投げ」を提案。しかしてそれが、最悪の事態へとつながっていくことになった。
 何投目か、誰かが投げたカイロが障子戸を突き抜けた。最も近くにいたのは僕。あわてて確認してみると、戸を挟んだ向かい側のゴミ箱へと、カイロは当たっていた。
 その後のことは、あまり詳しく書かない。ただその障子戸にはすでに破れた跡があり、そこに花の形にくりぬいた紙が貼りつけられていたため、思ったよりも被害は少なく済みそうだ。旅館の人に破ったことを伝えたが、そのときの答えが精彩を欠いていたことから考えると、もしかするとその人が間違えて破ってしまったのかもしれない。
 風呂へ入り、着替えて就寝……同じころ、女子部屋でも事件が発生していたと知るのは翌日のことだった。


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