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フリースクール活動日記 2024/10/18- 世田谷文学館

 この日は雨が降るとの予報がなされ、既に決まっていた予定が大幅に変更された。が、一か月以上も前から確定していたものを、いまさら覆すというのは嫌だと反対の意見も多く、議論が白熱していた。そこで、午前中を別の場所で過ごすが午後は予定通りに動くという折衷案が、議論の長期化を嫌った私やチーくん、ハヌマーン等中高生メンバーによって提出され、満場一致で可決された。これまで行ったこともないところが目的地となった。行き先に決まったのは、世田谷文学館。
 年少メンバーにとって文学館は退屈であるかもしれないとの意見も提出されていたが、その当人たちからは否定的な意見は出なかったため、これは断行されたわけだが、結果としては上々であった。
 当日10時30分、メンバーは京王線芦花公園駅に集合した。よくよく考えてみれば、京王井の頭線ではなく京王線が集合場所に選ばれるのは、高尾山に登ったとき以来のことだ。珍しいこともあったものだと思う。なぜなら、本当であれば今日、京王井の頭線の高井戸駅辺りが集合場所になる予定だったのだから。
 そんな土地勘の一切ない場所ではあったが、駅から一直線という立地も幸いして、無事迷うことなく到着した。

 さて。入館するなりメンバーは三々五々、さっそく今回のメインイベント、「小説と映画の世紀」のコーナーへと向かう。ここではこの世田谷文学館の名誉館長の最後の著作、「小説と映画の世紀」について、それらで紹介された12の映画・小説作品と共に展示されている。ざっと見てみると、私でも知っている作品名が一つあった。「薔薇の名前」。父曰く、堀田善衛の「路上の人」と同じような内容であるそうで、それを聞くと無性に読みたくなってくるが、未だに手に取ったことはない。家の、父の部屋の奥底に眠っているということなので、いつか手に取ってみたいものだと思いながら、次の部屋へと向かう。ここで映画の上映がされており、そのためそこそこの数の人が椅子に座っており、その映画鑑賞の邪魔にならないようにするためであった。しかしながら、そう急ぐことはない。要するに声さえ立てなければ、いくらいてもいいわけだ。そういうわけで、ここがまるで自分の家であるかのように、どっしりと構えて椅子に座っている人の姿も中にはあった。

案外、父母はこの12の作品のほとんどを知っていた。うち幾つかを薦めてもらったので、今度読んでみることにしよう

 『かつて寺山修司は言った「書を捨てて町へ出ろ」と。しかし町に出て何をしろというのだ』と森見登美彦は言ったそうだ(書籍とは少し違っている)。まったくの同感である。書を捨てるなど、戯言である。日本の教育の根本に位置するものは儒教、「論語」である。「貞観政要」などをみるに中国ではこれらの「書」はとても重要視されている。書を捨てるとはすなわち「焚書」であり、私は秦の始皇帝と同じ愚行を冒したくはないのだ。
 書を捨てるとはすなわち現代の日本社会及び社会規範に対する反逆であり、非国民などとののしられてもそのそしりを受け入れなければならない状況を甘受することに他ならない。我々がやるべきことは書を読み現代の社会規範についての理解を深めることにこそあるのではなかったのか。
 そもそも儒教においては「四書五経」というものが存在し、これは春秋時代以前の「詩経」、「書経」、「易経」などからなるものであり、儒教の根本的なところに位置するといって過言ではないものだ。
 これを読んだ人はこういうかもしれない。「百聞は一見に如かず」という言葉もあるのだから、書を読むというのは愚策であると。とある場所について記された数十冊の本を読むよりも、一度その場所を訪れるほうがはるかに得るものが多いだろうと。たしかにそうであるかもしれないが、それでは想像力が養われない。あらかじめ想像しているからこそ得られるものがあり、それに伴って感受性も大きく増加するのだと私は考えている。
 町へ出ることを否定しているわけではない。書を捨てることについて抵抗があるだけなのだ。ただ、それだけなのだ。
 さて。なぜこうも長い前振りを書いたか語るため、話を進めることにしよう。この「小説と映画の世紀」の次の展示室は、「寺山修司展」というものであった。だからこそ話の流れから大幅に脱線したわけだが、それをここで戻す。
 正直言って、私は寺山修司の本を最後まで読み通したことがない。上の件の「書を捨てよ、町へ出よう」だって、途中まで読んでそれっきりである。とはいえ、なかなか面白い展示だった。
 寺山修司が監督した映画や劇団「天井桟敷」に関するものが並べられているなか、「手紙」の、多く置かれた一角に衆目が集まった。
「ドンナニ少シデモイイ。オカネホシイ。寺山修司」
なんて、おもしろい人だろう。

 この後、メンバー各人が隣の図書室にて思い思いの本を手に取る。私が手に取ったのは谷崎潤一郎であったが、他にも夢枕獏や小川未明、漫画では手塚治虫などそこまで大きな場所ではないのに、各メンバー全員の心を掴んだであろう本が並んでいた。近所にこういう場所があればよかったのにとは、このとき皆が言っていたものだった。
 今回は、今年初めての文学館行きとなったが、存外好評であった故に今後も行く可能性が出てきた。私個人としては、荒川区の吉村昭記念文学館や、谷崎潤一郎記念館(兵庫県芦屋市にあるというのが残念なところ)に行きたいのだが、どうなることやら。今後の予定は、どこかの日に釣りをすることなどいくつかが決まっている。昨年は釣りの際、インフルエンザが蔓延してしまっていたが、果たして今年はどうなるか。縁起が悪いということで場所も変わるかもしれないし、そもそも実行されないという可能性も高い。果たしていつ、釣りに行けるのか。これを楽しみにしているメンバーも大勢いることだし、実行はされることだろう(けれども、なぜか山登りは実行されない。山登りを期待していた面子の落ち込むさまを、不憫だなあと眺めることが、最近の楽しみになっている)。

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