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フリースクール活動日記 2024/11/01-浅草

 十時三十分、浅草駅に集合。メンバー全員の到着を確認し、浅草寺へと向かって歩き出した。
 この日、紆余曲折の末行き先が浅草に決定、中央線の遅延によって年長メンバー一人がたどり着かぬ以外は、これといった問題もないという幸先の良いスタートを切った。遅れている彼は、高校生。置いていっても、何の問題もないだろうと皆が同意、憐れなことに彼は置き去りにされ、合流まで3時間ほどかかることになる。
 このフリースクールで浅草に来るのはもう何年振りにもなるはずだ。そのころは全体的に人気がないという印象であったようだが、今はもう違う。今年の夏に行った清水寺を彷彿とさせる人混みが、あたりに蠢いている。だが、休日に比べればなんてことない数だ。

 その人混みの大半は外国人。彼らがあたりを見渡している間にその隙間を通り、宝蔵門を潜ってしまえば、人の数は目に見えるほど減った。もともとが、浅草寺ではなく雷門を目的としていた人たちであったのだろうか。
 学生たちの群れの間隙を縫って、本堂へと進み、参拝。その後合流を図ったのだが、困ったことに人混みで自分の位置が分からない。なんとかわき道に出て、位置を確認してから合流場所へと向かう。
 幸い、参道や仲見世通りから一歩逸れれば、人影はまばらにしか存在していない。ここで一度全員の集合を待って、そこから浅草神社へと向かう。まずは、鳥居の前で一礼。帽子をかぶっているのであれば、それをとって、同じく一礼。
 だが、僕たちの前を行く人達はみな立ち止まらず、礼をせずに、歩いてゆく。参道の真ん中を。外国人かと思うが、そうではない。参道の真ん中に立って雑談をする集団。これも、外国人ではない。
 それを避けるように砂利の上を歩き、拝殿へ。参拝を済ませた後、後続の人々の邪魔にならぬように脇道へと逸れた。そこに、なにやら曰くありげな、ちいさなちいさな石碑が一つ、佇んでいた。身をかがめて、読んでみる。

 なんとまあ。ここが両さんとゆかりのある場所であったとは。そして、なぜだがメンバーのほとんどが「こち亀」を知っているということがわかった。みんな、この石碑を見つけて喜んでいる。君たちに、この僕を「昭和野郎」などと呼称する資格はないぞ。そのこと、わきまえておいてほしい。
 さて。この後「被官稲荷神社」というところにも行き、そこでの参拝も終えた。人混みによってメンバーが何人かはぐれたりもしたが、幸いにして皆中学生メンバー。何人かが探しに行けば、すぐに合流に成功した。
 このあと、しばらくの自由時間が与えられることを知ったメンバーは、一様に自分の目指す店へと行きたがる。太鼓と神輿の店に行きたがる者、食べ歩きを画策するものなど様々。だが、今この場で解散してはならない。ひとまず西参道、伝法院通りなどを経由して、浅草寺の藤棚の下へと戻る。ここが、集合場所になるのだ。1時15分までにはここへ戻らなくてはならない。ここで昼食を摂って、思い思いに動く。

これから、自由時間。羽目を外しすぎないように!

 そんなわけで、1時15分には全員が集合する予定であったのだ。だが、残念ながら幾人かのメンバーは一度顔を出したきり、戻ってこない。集合した後、高校生メンバーに率いられた三人組が「アイスクリーム」を探して長い長い旅へと出て行ってしまったのだ。もちろん、そんな彼らを待ってやるほどやさしい人はここにはいない。そもそも、全員が年長者のこのグループならば、単独行動をしても問題ないだろうと判断され、水上バスの発着所にて合流することが決められた。そこまで、頑張って来てもらうしかない。幸い、その高校生メンバーには「方向音痴」のいわれはない。ちゃんとスマホも持っている。心配することは、ない、はずだ。
 そして、浅草発日の出桟橋行きの水上バス「道灌」の船上にて全員が揃った。本隊である僕たちに加え、アイスを求めて旅立った三人のメンバー、及び中央線遅延のため到着できずにいた高校生メンバーが方法の体でなんとか到着。昼食を抜いているためそれほどの元気もみられない。

 船に乗って川下りをする間、また一人また一人とメンバーが船酔いに倒れていく様は、皆の心労を象徴するかのようであった(僕だけの話かもしれないが、今回の活動はこれまで以上に心的疲労を多く被った)。今回下った川は隅田川であるが、この東側(正確には北東か?)は「濹東」と呼ばれる場所のはず。永井荷風の濹東綺譚の舞台であるその場所へ、いつか行ってみたいものだ。

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