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解剖記録 蛇 2024/08/22

 この夏の初め。不意に連絡があった。内容は、日本蛇研究センターにて蛇の観察及び解剖をやるため参加するかという問い合わせのもの。もちろん参加するに決まっている。手帳を確認しても幸いなことにこの日に予定は入っていない。人数超過で落選する可能性などを考慮しそれほど期待せずに待つつもりでいたが、幸いなことに当選との連絡があった。持ち物も、そこまで入用ではないらしい。よって安心して当日に臨むことができた。
 集合場所へと向かうため5時30分ごろに起床、6時30分に出立する。そのため予定より早く、7時40分ごろに目的地付近に到着したのだが、ふと辺りを見渡すとそこらの道を見知った顔がいくつか歩いている。
 教室に入ってみて驚いた。知った顔どころか、毎年12月の解剖に参加していたメンバーが、軒並み顔をそろえている。30個も忘れ物をしたということで有名な(三日間の間で)O、そして一昨年同室だったTにその友人のS。最終的には25名全員が揃うことになるのだが、残念ながら僕が教室に入ったときは殆どの面子は未だその途上にあった。
 入室するなり先生が言うには「これで男子2人目だ」。まさか、そんなはずはあるまい。目測でも10人はいる。男女比が1:4だなんてそんなはずがあるものか。しかし、現実は非情だった。そこにいたメンバーの大半には見覚えがあり、そしてもう一人の男子として前のほうに座っているのはなんとO。このときまだTたちがやって来ることを知らなかった僕は、嘆いた。なぜ彼と僕、これだけしか男子がいないのだ。そして半ば予想通りに先生が口を開いた。さて、Oくん。君には重大任務を与えよう。この道中のお菓子がいっぱい入った袋は君がバスまで持っていくのだ。もしも、これまでのように忘れたり、もしくは転んで割ってしまったりなどすれば、どうなるかは容易くわかるはずだ、と。いつも通りの光景だ。これを見て妙に安心した者もきっといただろう。
 だが、対岸の火事だと思ってもいられない。Oがやられた今、次に火種が飛んでくる者は、残った男子である僕しかいない。虫よけだの名札だのがたっぷりと詰まったバッグを持たされ、意気消沈しているところへ「二歩は責任感強いからきっと大丈夫でしょ。Oも責任感はあるんだけど、それいじょうにおっちょこちょいだから」などと状況に困惑している新人メンバーたちにベテランによる解説が始まった。ああ、なつかしい。僕も初めて参加した時には少し不気味に思ってしまっていた。心臓の解剖やラットの解剖、伊豆大島など別のイベントにも数多く参加してきたが、ここだけはいつもこの調子だ。原因は、一度行っただけで終わりとはならないところか。解剖できる動物は先方が可能な限り希望を叶えてくれる。よって古参メンバー内においては6年連続で参加した者が珍しくない。ほとんどのメンバーが持ち越されているのだ。連帯感は強い。いまは戸惑っている新人たちも、1,2年後にはきっとなじんで慣れた手つきで動物の腹を裂くのだろう。
 さて。そんなことはいつもどおりであるから、教室内に入ってくるメンバーたちもそこまで驚いた顔を見せない。SやK、そして唯一5分遅刻したTもやってきて、点呼を取って立ち上がる。ちなみになぜ点呼を取るかというと、いつの間にか好奇心のままに別の方向へふらふらと進んでいくメンバーが何人かいるからだ。たとえば、TとかOとか僕とか、Tとか……なんで、みんなは僕のことを「まじめだと思ってた」と毎年いうのだろうか。納得がいかない。
 大荷物をバスの腹に入れ、25名全員が乗り込み終える。このときの男女比は、8:17。昨年が14:19であったので、かなり男子の参加者が減ったということになる。高校生で3年の面子は、軒並み受験で参加不能。もっとも、
それらのメンバーは全員女子であったので、もっと大きな原因は今回の参加者の下限が中二だということだろう。おかげで、昨年度大量に参加していた小学生メンバーは誰一人として来ていない。
 貸し切りバスで向かうのは、群馬県。車中で先生がこの実習の実行のきっかけを語る。なにせ今回が初めてなのだ。どうやら最初、小学生用のイベントとして毒を使った実験を考えていたようだ。なにせ、小学生の興味の対象と言えばその大半が「食べ物!爆発!毒!」であるというのだから。しかしながらその計画は頓挫し、それでもあきらめきれずに探していたところジャパンスネークセンターという場所にたどり着き、交渉の末そこで解剖実習などをすることができるようになったのだという。本来のメインイベントは蛇に付いて観察することなのだが、今回来ている面子の大半は解剖実習生。世間一般の人間や僕たちのような奇特な人間どちらにも、蛇はあまり好かれていないのだ。観察よりも解剖に重点が置かれることは火を見るよりも明らかであった。
 車内で読書をすること1時間ばかし。サービスエリアにより、トイレ休憩をはさんで再出発。周りを見渡すと、建築物などほとんどない、のどかな田園風景が広がっている。そして、遠方には霞がかった山。雄大な大自然。しばらくすると利根川が視界に入ってくる。そんななか、辺り一面寝ている男子たち。こんな景色東京ではなかなか見られない。確かに地方では多く見ることができるが、朝早くに家を出ない限りこのように霞がかった山など見ることはそうそうない。そのうち高速道路を下り、太田にはいる。
 荷物を背負い、バスから降りてまずは山のほうへと向かう。そうしてしばらくすると、何やら動物園のような看板が見えてくる。おかしい。ここは蛇研究所のはずだ。もしかすると観光地であるのだろうか。その思いに答えるかのように、高らかと啼く鶏たち。ここは、本当にスネークセンターなのか。もしかすると動物園ではないのか。そういった皆の疑問に、彼らは何も応えない。弁当などを分担して持って(主に男衆)、ひとまず研修室へと運び上げる。ここが実習をする場所になるのだろうか。そうして皆が一息入れて、そして再び動員がかかる。本来であればもう少し休めたのかもしれないが、道路の渋滞によって若干予定が変更したのか。バスに乗っていただけの僕たちにはとくに疲労はなかったことを幸いとして、そのままとなりの資料館へと足を運ぶ。
 前言撤回する。蛇は、とてもいい。骨格標本やホルマリン漬けなどを見ればそれらは実に単純で合理的な設計に見える。手足の骨などはとっくに退化していて存在せず、なによりも目を引くのは一部の蛇の下あごの骨が2つに分かれてること。左右異なった動きをすることで、自分よりも大きな動物を飲み込み易くしているのだろうか。最後尾にいたTとともに辺りを物珍しげに見渡していると、ふと気が付けば辺りにいた皆の姿が消えている。ほうら、やっぱり。好奇心は猫をも殺す。幸い、向かった先はわかっている。待機していた先生と、それともう一人骨格を観察していた女子メンバーと合流し、熱帯蛇温室へと急ぐ。そこにいた大アナコンダの長さは、目測3mほど。そして、展示室の天井付近に飾られた蛇の抜け殻はじつに7.5m。先ほどTと「7メートルほどある蛇であれば人間を飲み込める」といったような話をしていたためか、思った以上にその展示は僕たちに衝撃を与えた。これほどの長さがあるのであれば、僕たちも飲まれてしまう。改めてこの研究所でそのような蛇が飼育されていないことを喜んだ。少なくとも、飼育されていないとこの時は思っていた……
 そこから出て、毒蛇温室へと向かう。ここには10数種の蛇が飼育されていて、全てが毒蛇だ。ハブ、マムシ、コブラ、パイソン、ヤマカガシ、マンバなど。これらの蛇のほとんどは可愛らしい姿。トウブグリーンマンバやトウブダイヤガラガラヘビ、ブラックマンバなどはとてもきれいな色合い。抜け殻をもらって帰りたいなどと軽口を叩いて歩いていた僕たちは、壁に貼られている写真に唖然とする。出血毒によって血がだらだらと垂れている足の写真や、ヤマカガシによって咬まれて血液凝固により腕が壊死しかかっている女子の写真などが壁にかかっているのだ。それも、モノクロのものが。色が分からない分、恐怖を煽る。さすがだ。こうして、蛇は危険なものだと表現しているのだろう。子供のうちにこれを見ておけば、蛇に対して油断しなくなること請け合いである。フリースクールで一度来てみたいが、群馬県にあるため新宿からでも片道3時間弱。叶わぬ夢で終わるのだろう。
 ここまでは、まだよかった。これらの蛇相手であれば、最悪逃げれば何とかなるかもしれないという淡い期待があった。そんな期待も餌やりの時間に白いマウスを捕食する瞬間を見たことで霞となって消えるように思われたが。しかし、それでも噛みつかれさえしなければ大丈夫と、そういった自信があった。それでも、あれではどうしようもない。この次に見に行った、あれらの蛇では。
 そんなことを、大蛇温室にて半ば放心状態にあった僕は思っていた。っ先ほどの資料館にもあったが、蛇は5mを超すと人間では到底太刀打ちできないほどの力があるらしい。そして、目の前にいる真っ白で綺麗なアミメニシキヘビの解説には「この個体は5mを超しており、人間の大人では太刀打ちできないほどの力を持つ」とある。丸呑みとはいかないだろうが、もしもこれが出てきたならば逃げる隙もないままに捕食されるだろう。「創世記」に蛇は女のくるぶしに食らいつき、女は蛇の頭を砕くとあったが、こんなものを相手に頭を踏むことなどできやしない。南方原産の種は北方のこちらとは生体が多分に異なりすぎている。
 そんなことを考えつつ展示を見ていると、あっという間に時間が来たとのことで、一度研修室へと戻る。そこで、昼食の時間となった。地元の弁当屋に対し、あらかじめ女子の参加者が多いので分量を減らしてくれと頼んでいたというそれは、しかしながら十分女子にとっては分量が多く、そして男子には物足りないという絶妙な量であった。その影響が、この後出てくる。
 食後すぐに蛇についての講義が始まった。これはとても面白いもので、午前中に蛇をじっくりと見ていた僕はその講義を受けてより蛇が素晴らしく見えてくる。が、それは熱心にスライドを見ていたときのはなし。水を飲むために視線を手元に落とすと、ふと右端の方で何かが動いているのを見た。振り返ると、それは講義のため照明が落とされた部屋の中、一人船頭と化したOが頭を前後に揺らしている。抵抗はしているのだ。頑張って眠気にあらがうさまは傍からでも見て取れる。頭が傾くたびに必死になって元の位置に戻しているのがその証拠だ。それでも、徐々にその抵抗は弱くなっていって、そしてついに、頭は垂れたきりもとに戻らなくなった。睡魔に負けてしまったのか。なんと情けないことかと内心呆れていたところ、講義の終わりごろからか、不意に視界が傾いた。どうやらOから眠気が感染したようだ。なお悪いことに睡眠はそれほどとっていなかった。なにせ起きたのが5時30分、バスの中で寝ることをしなかったことをこの時僕は後悔し始めていた。勿論、そうしたところで何も始まらない。
 扇子で手のひらを叩き、水を飲んでも逆効果なのか眠気は増すばかり。次の実験、「蛇の毒の効果について」が始まったとき、僕とOとはまともに前を直視できないでいた。いや、こんなことではだめだと激励叱咤しなんとか視界には収めている。収めてはいるが、それだけだ。
 この後、ヤマカガシの毒、血液凝固作用についての実験が一番前の机で行われ、シャーレに乗ったそれは順番に机を周ってくる。必死になって瞼をこじ開けていた僕たちもなんとか見ることに成功したが、液体のようで液体でないゼリーのような不定形の物体で、色合いもあってか血の色の賢者の石のようになっていた。これが血管に詰まれば、確かに壊死を引き起こすだろう。切開して取り出すしかないというが、まだ体の表面で起こるため悪質な毒ではないのだろうか。そこらで血清を売っていない理由がよくわからないが。単純に遭遇する確率が低いのであろうか。
 さて。ようやく解剖に入る。ここで班分けをすることになったのだが、僕たちのテーブルの6人のうち1人のみ女子。そして、蛇は5体準備されている。25人に、5体。さて誰が別の解剖班に行くか相談しようとしたところ、あたりの班にいた女子sが一斉に声を掛けてきた。曰く、こんな男だらけの暑苦しい班に女子を一人だけ入れるのではない。そういって彼女らはあっという間に彼女を掻っ攫っていき、残ったのは男子が5人。あまりに女っ気がないということに驚愕していたのか、おもむろにSがピンク色のエプロンを持ってきて着用した。皆青色の中、一人だけがピンク色。まさに紅一点である。
 そんな状況下にて、おおよそ1mはあると思われる青大将が、グループに配られる。どこも膨れていないことから、未消化の動物等はないと判断、また生殖器の有無から雄と判定した(もっとも、解剖後の所感ではメスのような気がしないでもない……)。
 黙祷後、そんな蛇を五人で解剖する。当然、以心伝心とはいかない以上遅々として進まないという事態となる。なにせ、目指す方向が違いすぎる。ある者は皮を剥ごうとし、あるものは消化器関を観察しようとし、あるものは奇麗に皮を剥くことに熱中する。その影響で皮をまっすぐに切ることなどできるはずもない。あまりにも見苦しい状況に、他班のメンバーが声を掛けてきたところから、方針の転換が決まった。
 いまいるメンバーの全員が解剖経験者。それだというのに、見苦しいさまを、手際を見せるわけにはいかない。全員が一致団結、ひとまずの目標を内臓を取り出す方向へと決定、速やかに作業が行われ始めた。
 そうして、気が付けば時間は経過、予定されていた2,3時間のうち残された時間は10分ほど。周囲の班からは残りわずかな時間に嘆き、やり残したことに嘆く声が聞こえてくる。しかし、僕たちの班は違ったとも。
 すでにこの時内臓はあと一歩というところまで剥ぎ取りを終えていた。それと並行して行われていた皮剥ぎも、順調に進行中。肋骨が消えうせたあたりからは速度が一段上がり、他班に先駆けて蛇の三枚おろし(内臓・胴体・皮)を成功させた。なお、皮剥ぎは他班では進行せず、制限時間に抵触して終了。最終的に一番進行した班は僕たちとなった。もっとも、進行していようがいまいが満足できたのならばそれでよいではないかと思う。まったく、意味がないのだけれど。
 再度黙祷、後始末。売店でアミメニシキヘビの革製の小銭入れを購入、しばらくしてバスに乗り、2時間。東京にて解散となった。次に皆と会うことができるのは、12月。あと4か月だ。それまでに、後顧の憂いがないよう学習に力を入れたい。

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