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ボタニカル日記アメタカオル3章

3章ちびという貴婦人の猫とタロというダンディな紳士の猫又について

ちびという猫と暮らしていた。正確にいうと暮らしていただいていた。彼女はとても気品があって特に人との距離感のとり方が最高だった。綱島に暮らしていた私はある日イトーヨーカ堂(の御曹司よたろうさんのバンド、メトロファルスのライブをこの後よく見にいくことになった)の伝言コーナーで 飼い主のおばあさんが死んで、保健所送りになりそうな老描を飼わないか?という張り紙をみた。このままではその猫には死しかないという張り紙に涙して つい電話していた。ちびは典型的な福猫だった。やってきた日に押入れから1万円出てきた。3日後にCDつくろうとムーンライダースのOさんから電話がかかってきた。私はうたうことを一生やっていこうと思っていたところで、好きな歌手と嫌いな歌手の違いに人との距離感が心地よい歌手が好きだと感じはじめていて、「距離感」という概念を明確に意識しはじめていた。二十歳そこそこの私は本当に人との距離感に悩むことが多かった。特に女性とうまくいかなかった。やさしく言ったつもりでも馴れ馴れしく感じられてうとまれたり、そんなに強く言ったつもりのない言葉に酷く反応されて絶交されたり、本当に人づきあいには疲れていた。そんな時にちびがやってきた。彼女の私の扱いは完璧だった。付かず離れず。いつも心地よい空間を瞬時につくってくれて私はとてもくつろいだ。ある時、気がついた彼女のように人とつき合えばいいのかも!と。それから私はすこし人と付き合うのがうまくなった。気がする。正確にいうとうまくはなったってないけど、ぎこちなさは消えて、自然に振る舞えるようになっただけかもしれないけれど、あまり疲れはしなくなった。彼女とうまくいっているので人間とうまくいかなくても平気になっただけなのかもしれない。。それ位私は彼女を人生の師匠として敬愛していた。心を鷲掴みにされたのは風邪をひいたときだった。いつもはクールな彼女が3日ほど風邪で寝込んだ私に何をしたかというと。臥せっている私から3日間ピタッとはなれなかったのだ。これには参った。メロメロになった。そのことを猫好きの友人に話すと「猫派の人はみんなそれにやられて犬より猫になるのよねぇ。。」という。ある猫の生体本にはそれについては餌をくれる大きな猫(人間)が元気でないと困るので寄り添うとか?!なんとかすこし意地悪なことが描かれていて、さらに寄り添いながら猫は「こいつ死んだら食えるのかなぁ?」と思っているとか、誰かに言われて、愕然とした冬の夜に アラジンのストーブの青い焔を見ていたら、ふと「ちびなら 死後食べられてもいいかも!」と思い、膝の上のちびをなでていると突然唇を伝ってうたがでてきた。生涯なんどもうたうことになる感動のうただ。それは八代亜紀の舟歌の替え歌だった。ちびの目を見つめながらうたう 「肴は炙ったチビでいい。(ちびはあくびをした)肴は炙ったチビでいい。(くつろいでいる)肴は炙ったチビでいい。肴は炙ったチビでいい。肴は炙ったチビでい〜〜〜い。肴は炙ったチビでいい〜〜。肴は炙ったチビでいい〜〜〜。肴は炙ったチビでい〜〜〜い。(ちびは喜んでいる!) 沖のカモメに♩〜〜  (喜んでいる気がしたけどあまり気にしていない)」あれからチビと死別して悲しすぎて、もちろんもう他の猫とは暮らせないし、この歌もうたえないと思っていた私だったけれど、17年後(その間 猫とはとても暮らせなかった) 私は運命の出会いをしてタロという石原裕次郎に似た喫茶店(鹿屋のマドリッドカフェ)の看板猫にゾッコンになってしまい、壱年間通いつめた冬のある夕方 2014年10/26にタロは一人暮らしの暗い家に帰るのは嫌だからお前の家につれていけと私の車のドアの前に立った。車に乗せてくれといった。タロは静かに自ら自分で車にのりこんで、私の家にやってきた。本当に私はタロに選ばれたようだ。タロは並の猫ではない(私の人生で出会った猫との比較)まず、当時20歳をこえていた。人間にすると100歳ぐらいだそうだ。だから、猫というより、人間というより、猫又。人間の話していることがすべてわかる。その場の主にすぐになる。主役だ。さらに場面の中心に常に陣取る。でも嫌みではない。すべて自然。紳士なのに赤ちゃんのように甘えてくる。母曰く。引っ付きマンだそうだ。凄い能力だと思う。カメラをむけるとシャッター音にあわせて細かくポーズを替えてくれる。タロは宮田家の子だった。おばあちゃんが施設にいったあと、一人暮らしの世話を通いでしていたのは宮田家のあんちゃんだ。私の名前と薩摩川内市から鹿屋にやってきたことを伝えるとあんちゃんは言った。「タロも薩摩川内市から鹿屋に引っ越してきたんです。大地震(宮之城の高校の一階がつぶれた)を被災したあと鹿屋にやってきたから、それから水引の岩下さんからタロはもらったんです。」私はびっくりした。水引はうちのじいちゃんの出だと聞かさせれたことを思い出したのだ。「運命」心の中でそう思った。運命は不思議にみえるけど、必然。だれかの筋書きどうり。なぜか陸の孤島 鹿屋で出会ってしまった。タロと私。どうやらご先祖さま絡み。今私はタロにうたっている「肴は炙ったタロでいい。〜    」タロはダンディな紳士でうたう私の声が大好きな気がしてる。たぶん声で選ばれたんだよとうちの大きい連れは言った。お互いにつもり同士かもしれないけれど、宇宙の果ての深遠にふれているような気がする。タロを膝に乗せて撫でていると。むしろ食べられたい。食べてほしい。恐怖や憎しみの対象は実は食べられないのかもしれないし、食べてほしくないのかもしれない。 チビは毛を吐き出すために定期的に猫草を食べていた。あの茅のような植物はなんという名前なんだろう?

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