パンツ一丁放浪記 #0
栃木から長野へ、パンツ一丁でフラフラと。
1年半のリアル放浪記、舞台で森光子氏がでんぐり返しをするように、石ころのように蹴って蹴られてたどり着いた栃木から今度は長野へ転がって行く。
今までなら「意味?んなもんあるか、仕事があるから行くだけだ」と言ってのけていたが、去年の12月に小さな転機が起きた。
移住、地域・町おこしサイトを見つけた
横浜の片隅の住宅街、光もロクに入らない、窓からは新築のデザイナーズマンションしか見えない、エアコンの室外機を置くだけのための半畳のベランダがある築30年のアパートで人間関係でモメて、会社にも不信感タップリ溜まり、行ってはサボるを繰り返す日々。この日も死にかけの声で会社に電話してサボった。
こんな生活を死ぬまで繰り返すのか、死ぬ方が早いか、そんな思考を起きてから寝るまで、風呂もトイレも気分転換の散歩でさえ、つきまとう。
そんな中、認知症で施設に入っていた祖母がいよいよの時期を迎える。
そんな中、偶然、地方移住や地域おこし協力隊を募集するサイトを見つける。
自分がやりたいことはなんだっけ?
あー、博物館で働きたいだったな。
そのためにわざわざ4年間かけて資格取ったし。
取ったからには活かさないと俺の大学生活の意味、時間の存在意義がグラグラじゃないか。
と、布一枚くらい薄い、ペラッペラの布団の中で、ペラッペラの脳みそで考えた。
そこからはとりあえず、連想ゲームのように思いつくフレーズをGoogleの検索欄に入れては増やしを繰り返して、そのサイトを見つけた。
もちろん、説明や募集要項は読んだ上で、10ヶ所くらいに応募した。
10分ほどで、数件からテンプレートらしき文と、丁寧な文章でお断りのメールが来た。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大により…
タイトルだけ見て、本文は読まなかった。
残りも同じような感じで、連絡が来ていないのは3件だけになった。
翌日、同時に2件から連絡が来たが、受け入れに時間がかかること(早くて翌年の4月以降)、また現在地(当時は神奈川)での感染拡大を懸念して、とにかく様子見をしながらなら話を進められるがそれでも構わないか?と連絡があり、その2件に関してはこちらの状況も伝えた上で、保留させてもらい、1週間以内には返事をさせてもらう事した。
しかし、今の状況で来年の4月(2021年4月)まで持ちこたえられるのか?否、派遣会社からも辞めるなら早めの決断をして欲しいと詰め寄られていた。
保留の返事の期限2日前、サイトから最後の1件から連絡が来た。
とりあえず、来て、話してみませんか?
ありがたい。文章でやり取りするタイムラグを一気に取り払える。
募集時に自分の細かいプロフィールや、意気込みはかなり長文で送ったので、コイツは面倒臭いヤツと思われていたので、安心した。
すぐに長野行きの段取りをし、連絡を取り合っている最中だった。祖母が老衰の為に天国の祖父の所に会いに行ってしまった。
会社(派遣先)にその事を伝えたところ
もし葬儀に行くなら、うちを辞めてくれ
と言われた。
確かに、来るか来ないかワカラナイ派遣社員が、人の集まる葬儀に出て、会社でもし…となっては、という事だろう。
派遣元にも同じ話をしたところ、同じような答えが返ってきた。
祖母が亡くなったのだから葬儀に出るのが当然という身内と、行ったらクビにするという会社達。
結論から言うと、会社を辞めた。
そんな会社にいたくはなかった。
正直、ほかのベテラン社員や最初に配属になった課の大先輩達は社長の掲げる「改革」には大反対で、社長とも折り合いが悪かった。
結果、年内の長野行きの話は白紙に戻る。
事情を説明し、自分はこの長野行きにリセットの希望をかけた。
2週間ほど実家に戻り、神奈川のアパートを引き払い、その時には新しい今の職場が決まっていたので、栃木に向かうこととなる。
栃木での生活(5月いっぱいで終わるが)は隣人との騒音トラブルや職場での、配属1ヶ月で同じ会社の派遣社員のクビが続き、その後に入った年下を見下すマイペース過ぎる初老のオッサンとアルコール中毒で二日酔いで出社、飲みすぎて床にぶちまけたウイスキーを布団代わりにするヤツと会社を挟んでバトルを繰り返し(vs.アル中)、神経をすり減らし、会社にもやはり不信感を抱く生活を2ヶ月続けてきた。
そんな中、再び、長野(個人名は伏せるので場所)から「最近どうですか?雪も解けたので来ませんか?」と3月の半ばに連絡をもらう。
その時は2人同時に派遣社員がクビになり、その分の仕事が自分にのしかかり、後任(オッサン、アル中)も来ていない状態だったので、辞めるに辞められない状態だったので、連絡を取り合いながらちょうどいいタイミングを探りましょうとなり、ゴールデンウィーク直前の4月の終わりにやっと長野へ行き、初めて、お会いして、色んな話をしながら、メーンイベント(製材所のお片付け)に手を負傷したまま参加、夜は移動と片付けの疲れが想像以上だったのか、ビールとワインを飲みすぎて早々に宴席を離れダウンする不甲斐ない(むしろ失礼)な初めましてであった。
そして、「あたらしい」を始めるために長野へ。
ゴールデンウィーク明け、仕事場で、7月末までの更新書類をもらったのだがその場で今月いっぱいで辞めることを伝えた。
まだ、向こうから「来ませんか?」という採用通知をもらっていないのに、である。
その時は日曜日、松本から帰りながら、5月末で辞めることは決めていた。ダメなら地元(派遣先も地元っちゃあ地元なのだが)に戻って、大人しくまた別の派遣でも探して静かに暮らそうかなと腹をくくっていた。
向こう見ず、というか、無鉄砲にも程があると、今は反省しているが、この1年半、ずっとそうじゃないかと思うと遅すぎる反省ではあるが。
その週の日曜日に、改めて「こちらに来ませんか?」と採用通知を頂いたので、ホッとした。
それからは仕事をしながらアル中の軽率な物言いにキレながら、ミスに対する湧水のごとき言い訳に呆れながら、会社に仲裁してもらい、不要な接触も避けるようにして何とか穏やかに生きるようにしてきた。
(ただ、二日酔いで出社は懲戒処分にするよ、言っておきながらアル中に甘いのはめちゃくちゃ許すまじではあるが)
「あたらしい」を始めるための日記的な役割
にこれをしたいと思っているが、後半は会社のグチのオンパレードになってしまった。
まぁ、働いていればこんなこともあるよ、と笑って頂ければ。
なので、長野に行ってからは、これがしたいあれがしたいを少しづつ形にしていこうかと。
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