『ゼロで死ね』は「100で生きろ」だった
■『DIE WITH ZERO』を読んだ
先日、かねてより気になっていた『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』を読んだ。
「DIE WITH ZERO」つまりは、「ゼロで死ね」というわけで。
昔から言われるように、お金は天国には持っていけない。そんなことはもちろんわかってはいるのだけど、どうしても将来への不安から必要以上に働き、必要以上の貯金をして、そして多くのお金を使わずに亡くなってしまう人が多くいる。
それって本当に「豊かな人生」って言えるのか?いいや言えない。
めっちゃ大雑把にまとめると、そんな内容である。
■この本の好きなところ
この本は、かなり分かりやすい、というか、伝わりやすいように工夫されている。
最後の感謝のことばにもあるように、多くの仲間に見てもらって「こうしたほうが伝わるよ」「こういう順番にしたらどう?」みたいなアドバイスをめっちゃもらって、書き上げたんだなあ…とそんな工夫を確かに感じる。だから「自分が言いたいことを言うために書きました(伝わるかどうかはどうでもいい)」という自己啓発本では決してない。
(本の最後にある「◯◯さん、ありがとう!」的なページは今までかなりテキトーに読んでいたけど、ちゃんと見てみると発見があったりするみたい)
それを一番はっきり感じるのは、「ゼロで死ね」への反論に対して、先に回答をしているところ。たしかに、ここでモヤモヤがあると先に進んでも入ってこないし、多くは本を閉じてしまうわけで。
たとえばこんな反論と回答
【反論】
「子どものことを考えていないのか?」
【回答】
「っていうか、わざわざ死ぬときに残す必要ないやろ。仮に自分が80歳まで生きたとしたら、こどもが相続するのは60歳くらいやん…。本当に子どもの幸せを思うんやったら、子どもが30歳前後のときにお金をあげるべきちゃうかな?ぶっちゃけ、お金を有効活用できるのって30歳前後やろ?ちがうか?」的な感じある。
■「記憶の配当」という考え方
お金を貯めて、いつかヨーロッパ旅行に行きたい。
とは思うのだけど、「70歳のフランス旅行」の思い出は、10年ほどしか価値がない。逆に「20歳のフランス旅行」の思い出は、あとの60年ずっと思い出すことができる。言い方を変えると若い時の経験のほうが「記憶の配当」を長く受け取ることができるのである。この考え方はすごい刺さった。
(まあ、そもそも70歳でフランス旅行に行っても、いろんなところをまわる体力がないし、満足感が低いけども)
学生時代は「思い出づくり」っていう言葉がキライで、思い出って意識的につくるもんじゃないのでは?と思っていた。(まあ「思い出づくり」と口々に言っている陽気な人々への嫉妬心もそこにはあった。かなり。)
でも、大人になると意識的に「思い出づくり」しないと「思い出」は作れなくなったなあ、としみじみ思う。結婚式とか子どもの誕生とかスーパーイベントは置いておくとして、それ以外のワクワクやドキドキは意識的に生み出さないといけない。「思い出づくり」大事やん…。
そしてそんな「思い出づくり」は先送りしてはいけないのである。
■「100で生きる」
『ゼロで死ね』っていうことは「100で生きろ」ということなのである。
この場合、ゼロの単位はドルや円、100の単位は%である。
「生ききる」と言いかえてもいいと思う。
瓶に入ったジャムを残さず使い切るように。
やりたいことは今動き始めて、やりたいことをやりきる。
今日は、将来の不安を埋めるためだけの一日ではなく
生ききるための重要なピースである。
このあと夢見た何かを達成したとき、この本を読んだのがきっかけでした、と言えるような出会いだった
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