【小説】白い世界を見おろす深海魚 37章 (コンクリートの森の異化者)
【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。
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37
脚が重くなる。そんなことをお構いなしに、ミユは先に進む。小さいクセに歩くスピードは早い。黒ずんだコンクリートが連なるこの場所は暗い森と同じで、はぐれると二度出られないような気がした。
公園や商店の他に学校や個人経営の病院を見掛けた。この公団内は独立して、ひとつの街になっている。
ぼくは、公園で駆け回っている子ども達のことを考えた。
みんな、ここに住んでいるのだろうか。同じ作りの部屋に住んで、同じ学校に通って、同じ理髪店で髪を切る。産まれたころから共通点の多い他人に囲まれて生きるのは、どんな気分なのだろう。思春期にフッと集団から、どうしても孤立してしまう自意識に気がついたとき、この団地は、どのように映るのだろうか。
マンションの入り口の階段に腰掛けている男が一人いた。オレンジ色のダウンジャケットが、薄汚れたマンションの壁との同化を拒否している。結わえた長い髪と無精髭。社会のあらゆる規約から抜け出したところに日常を置く人間だけが持つ、ギラついた光を目に宿していた。
ミユは彼に向かって行く。ぼくは、もう一度訊いてみようと思った。
「俺に何の用事があるの?」
でも、早足で歩く彼女には声が届かなかったようだ。背中を向けたまま、歩き続ける。
ダウンジャケットの男は顔を上げて目を細めた。近眼なのだろうか。五メートルほど近づいたところで、ようやく立ち上がり「ヨッ」とあいさつをした。背は190センチはありそうだ。
「連れてきたわよ。彼が前に話した安田君」
ミユはあいさつを省略して、ぼくを紹介した。
「あっ、どうも……」
戸惑いながら頭を下げる。
男は顎髭を撫でながら、一瞬だけ疑わしい目を向けてきた。でも、すぐに歯をむき出しにして笑顔になる。
「おう、広告の安田君ね。いいじゃん。マジメそうじゃん。よろしく」
彼は手を差し出してきた。
それが握手を求める行為だとわかるまで、しばらく時間が掛かった。ぼくは普段、握手をしない。右手を出し、彼の大きな手を握る。
「俺、ユウタ。ル・プランのメンバーの」
「レ……え? なに?」
聞き返すと、ユウタはしかめっ面をした。遥か頭上からミユを見下ろす。
「なんだよ。まだ説明してないのかよ」
小さいミユも負けじと口を尖らせて見上げる。
「だって、説明できないんだもん」
「ダメだよ。ちゃんと説明してから来てもらうのが筋だろ? いつまでもお前の自己中で事が上手く運ぶと思うな。安田さんにとって、オイシくない話だったらブチキレられるぞ」
「安田君は、そんな人じゃない」
ミユは、不貞腐れた声を出した。ユウタは口を開けたまま、目を泳がせた。突然拗ねた彼女の扱いに困っているようだ。一連の言動から、見た目はともかくミユよりは常識的な考えの持ち主のようだ。
彼は、こちらに目を向けてきた。物事を理解していないぼくは口を“へ”の字に曲げて、困った表情をつくってやった。
「あの……まず、なんで俺をここに連れてきたか説明してほしいんだけど」
二人の言い争いを聞き続けても先が見えそうになかった。
「あぁ、ごめん」
ぼくの提案に、納得したようだ。
「実は、ちょっと見てもらいたいものがあるの」
そう言うとミユは、早足でマンションの間を通り抜けていった。
「本当っ、困ったヤツだよ……」
ユウタが、ぼくに耳打ちをして笑った。
つづく
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#創作大賞2023
リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。