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(日常で思うこと)味のないニラレバの味

 当時、僕は仕事に追い詰められていた。

 人手と資金が不足していたプロジェクトをギリギリのスケジュールで半ば強引に進めながら、納期の遅れた委託先を責め立てたり、ちょっとのミスにも大きな動揺を感じていた。
 毎日、最終電車で帰宅して仮眠を摂る。朝は、冷蔵庫にストックしてある缶コーヒーを流し込んで出社する日々。食事は作業の片手間に食べられる小さなサンドイッチや、短時間で済ますことのできる立ち食い蕎麦がメインだった。

 ただ、週に1回はニラレバを食べるようにしていた。
 健康にいいような気がして、なんとなく。

 ニラとレバー。
 特に好きなわけではないが、ニオイとクセの強い二つの食材を使ったこの料理は、日頃のだらしない食生活が相殺されるほどの栄養価があるような気がしていた。

 その日、オフィスの近くにある中華料理屋は混んでいた。

 普段はランチタイムの時間をずらして店に行っていたのだが、前後に打ち合わせが入っていたため、それができなかった。順番を待っている時間も、自分が食べ終えるのを待つ人がいるという切迫した感覚も苦手だ。
 店先に並ぶビジネスマン達を見て、踵を返す。

 コンビニで軽食を買おうか……

 そんな考えが頭をよぎったが、フッとオフィスの裏側の道に中華料理屋があることを思い出した。
 あそこなら空いているかもしれない。
 古くて、汚れていて、目の前の道路と同化してしまいそうなほど、燻んだ店。
 こういった『昔ながらの中華料理屋』って、旨いのかもしれない。そう考えると古臭い外観は、潰れずに何十年も顧客から愛されている証であるように見えてくる。
 
 淡い期待を抱きながら暖簾をくぐると、昼時にも関わらずガランとした店内。
 奥でスマートフォンをいじっていた20代前半ぐらいの女性が気だるそうに立ち上がり、顎で席を指してきた。どうやら店員のようだ。
 客は隅のテーブルにいる学生のような風貌をした男3人組だけ。話している言葉から、近くの国際交流センターに通う留学生であることが予想できた。
 彼らは、僕を一瞥してから会話を再開した。

「注文は?」
 先ほどの女性が音を立てて、グラスを置く。
 ニラレバ定食を注文すると、彼女は店の奥にあるトイレに向かって「早くして」と叫ぶ。水が流れる音と共に「あぁ、ごめんね。ごめんね」と中年男性が笑いながら出てきた。大きなお腹を揺さぶりながら、厨房に入っていく。
 親子で営業しているのか?
 油で汚れたメニュー表を眺めた。
 ホイコーローや餃子といった馴染みのあるものから、なんと読めばいいか分からない簡体字らしき記載もあった。
 もしかしたら、本場の中華料理を提供している店なのかもしれない。
 本場のニラレバが、これまで食べてきたものと、どう違うのか分からないけど。

 10分程して料理が運ばれてきた。どれも量が多い。
 食べ切れるかな……
 山盛りの白米を眺めていると『幽玄道士』という昔の映画を思い出す。
 青々としたニラレバに箸を伸ばす。口に運んだ瞬間……吹き出しそうになった。
 
 味がない。
 
 ニラ独特の青々とした臭みだけが口に広がる。
 これが本場の味なのか。
 僕は、テーブルの上にある醤油瓶に手を伸ばした。

 半分ほど食べ終えたところで、厨房から声が聞こえてきた。最初は何か揉めているようであったが、すぐに笑い声に変わる。中華鍋を洗っているような音と点けっぱなしテレビのせいで、話の内容までは聞き取れなかった。

 しばらくして女性が早足でテーブルに来た。
 ニラレバに苦戦している僕を見下ろし「塩を入れ忘れました」と肩をすくめる。中年男性が「ごめんねー」と顔を出してきた。

 一瞬、言葉の意味が分からなかった。
 箸を止めて、ニラレバと彼女の顔を交互に見る。

 状況を理解すると頬が緩んだ。
 通常の飲食店として、ありえないミスをしているのに、あっけらかんとした二人が可笑しくて。
 
 彼等を見ていると日々の業務で神経を尖らせていた自分がバカらしくなってきた。

 笑う僕を見て、彼女は「たまに、しくじるんですよ」と初めて愛嬌を見せた。
「新しい料理持ってきます」という言葉に「いいんです、いいんです」と僕は手を横に振った。

 できれば、このまま和やかな空気を壊したくなかった。
 ニラレバを残して席を立つもの悪い気がして、完食に向けて食べ続ける。気にしていない……という意地表示のために。
 隅のテーブルにいる若者達は、ニヤついた顔をこちらに向けていた。

「次に来たとき、サービスするからねー」

 リピーターになることを前提とした厨房の中年男性の言葉に、僕は軽く頭を下げて応える。女性は「ウチは他の料理も美味しいからね」と根拠の乏しいことを自信満々に言ってきた。

 屈託ない彼等を見ていると、これまで自分の身体を縛り付けてきた緊張感が胸の奥から緩んでいくのを感じる。オフィスへ戻る途中、少しだけ涙が出た。
 

 翌週、僕は再びあの中華料理屋に足を運んだ。
 相変わらず店は空いていて、ホールにいる女性はダルそうにスマートフォンをいじっていた。ニラレバを注文すると「今度は味がついているから大丈夫」と親指を立てた。
 先週と同じように隅のテーブルに留学生の3人組がいて、僕に気づくと「Hi」とあいさつをしてくれた。
 
 この汚れた中華料理屋に、ほぼ毎週通うようになった。
 プレゼンで失敗した後も、昇進が決定した日も、会社を辞めた日も。
 彼等と話し、提供してくれるニラレバを食べていると、緊張感が溶けていく。今、自分の抱えている失敗なんて大したことない。そう思えた。

 足が遠のいたのは、仕事先が変わってからのことだった。
 店に通う頻度が週一回から、月一回になり……次第に間隔が広くなっていった。
 そして、気づけば一年が過ぎていた。

 先日、久々に店に行くと暖簾はなくなり、照明も消えていた。
 ガラス越しに中を覗いてみると埃を被ったテーブルだけが残されていた。
 
 彼等は、どこへいったのだろう。
 
 自分から疎遠になったのに無性に会いたくなり、味のないニラレバのことを思い出した。

 たまに出張で知らない街を歩くことがあると、僕は小さな中華料理屋を捜す。
 フラッと入ったそのお店が、味のないニラレバを出してくることをどこかで期待しながら。


#元気をもらったあの食事

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アメミヤ
リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。