往復書簡~二度と見ることのない時代への誘い~
拝啓
梅雨は好きになれないとおっしゃっていましたが、いかがお過ごしですか。私は先日雨の合間にばら園を訪れ、そこで頻繁に聞こえてくる「名前分からないね」という会話から、積ん読したままであるウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を思い出しました。内容には興味を惹かれる一方、読み始めるにはなかなか腹を括れずにいるこの頃です。
この度はお返事をありがとうございました。お待たせして申し訳ありません。一通目を差し上げた夜は取り下げたい気持ちでいっぱいでしたが、投函直後に尊敬するお二方が反応してくださり、「逃げるな」と片足ずつ捕まえられたようにとどまりました。その枷がちょっと嬉しくもありました。
あんな拙い手紙に丁寧にお返事をいただけたこと、とても嬉しかったです。不安な気持ちを汲み取ってくださるような、「だいじょうぶ。だいじょうぶ」というあなたの声が聞こえてくるようでした。それに比べて私は、書いている最中から嫌気が差していましたが、本当に言い訳が多く、あちこちで補強を試みるからどんどん文章も長くなり、改めて未熟さを痛感しました。
さて、今回もすてきな一冊をご紹介いただき、ありがとうございました。この往復書簡に畏縮するのは一向に慣れないと思いますが、あなたが私淑の相手だとおっしゃる方の作品はなお慎重になりました。ですが、そのような大切な作品を教えていただけたことに、本当に幸せを感じます。
どれも、もっと早く読むべきだったと過去の私を叱りたい気持ちになる作品でした。エッセイ集の中で読んだことがあったのは、お恥ずかしながら「字のない葉書」一作品のみ。国語の教科書で読みました。
他の方との話題を盗むのは大変申し訳ないのですが、私にとっても、桜の樹皮が優しいピンク色、しかし奥に辛抱にも似た力強さも秘めた色合いをもたらしてくれる話は懐かしかったです。「わかるわかる」とお伝えしなければ気が済まないほど共感しましたので、脇から失礼しました。
お話を戻しますが、読み進めるたび、私は作者の見た世界をどれも知らないということを、まざまざと見せつけられました。異なる時代に異なる地域で生きていた人が、異なる眼で見ていた景色なのだから当たり前で、知らない話を聞かせてくれるのはすべての作品に言えることだと思います。でもこのエッセイ集には他人事とは思えない躍動感と色彩で語りかけられ、本当にその場に誘われたようでした。
私の好きな版画家に川瀬巴水がいますが、美術館の説明書きか画集の評論文で、「彼の歩いた世界を、我々は二度と見ることができない」という言葉を、なるほどとうらやましく読んだことがあります。同じように、今回の『向田邦子ベスト・エッセイ』から二度と見ることのない変動の時代にあった風景や人の息づかいを体験させられ、何も知らない自分のちいささに、表現しがたいものが心の底に沈んだ気持ちになりました。読みながら、うらやましいなどとは到底言えない時代を挟んで描かれたこの作品の光景に無知でいたことを情けなく反省したのも、もどかしく感じた理由の一つだと思います。
それから、作者の印象もだいぶ変化しました。人間味のある表情が次々に伺え、自信に満ちて飄々とした印象を受けたかと思えば、ご両親がそれぞれ見せたお辞儀に対しては切なくなるくらいじっとしてご自身の中で思いを巡らせたり。読むほどに掴みどころがなくなり、学生時代に抱いた印象も上書きしなくてはならず少々困惑しました。もっと広く熟読しなければいけません。より深く、たくさん読んだ暁には、向田邦子の人物像を思い描けるようになりたいと思いました。まずは、この本の言葉をきちんと読んでいくことから、ですね。
ご紹介いただいた「手袋をさがす」は何度も読み返しました。姿勢を低く構えて、自分の根底にあるものを探りだし、狙いを定めたあとは一気に走り出した様を想像しました。後半は疾走感に溢れて、順風満帆にことが運んだようにも見えました。しかし、一冊読み通しても見当たらなかった「一生懸命」という言葉が立て続けに二度も登場しましたし、本人が自分の気持ちを確かめて胸を張って生きていこうと決めたとて、周囲からの忠告は相変わらずだったかも知れません。ないものねだりが加速した毎日は豪快なようでいて地道で、必要なときには再び瞬発力を蓄えるがごとく立ち止まって狙いを定めることの繰り返しだったのだろうと想像しました。そうして振り返った社会人としての生き方に心躍るような手応えを感じ、自分のたった一つの財産だと語れる誇らしさが如何ほどだったろうと、万感胸に迫る思いがしました。
「眼があう」も、本当にどきどきしながら、一文字一文字をごりごりと削り取るように噛みしめました。普段は頑張っても早く読めないのですが、時々気付いたら鼓動につられて読む速度が上がっていることがあります。そういうときは、早く先を読みたいけど早すぎるともったいないから制御しながら読みます。このエッセイは自然とそうして読んでいました。「頼りになるのは自分の目玉だけ」という言葉が好きです。直感で選んできたものがいつしかはっきりとしたこだわりになっていて、でも原点にちゃんと戻ってくる。本当にぶれなくてかっこいい人だなと思いました。飄々と見えるのに、同時に揺るぎのなさも感じたのがしっくりきました。
前回の問いかけですが、一万日目の投稿に気付いてくださり、ありがとうございました。誕生日は、さみしいお話ですが、今年から加賀乙彦先生の命日にもあたります。講演会に足を運んだことがあり、パリへ向かう船の甲板で辻先生と交わされたという「嵐は好きですか」のやりとりを懐かしそうに語る姿を、当時お話を聞きながら思い浮かべた奇妙な光景とともに覚えています。
加賀先生のお話をしたら、同じように最近永眠されたエム ナマエさんを思い出します。読むきっかけになった『あなたの時間をありがとう』にはサインをいただきました。
文字が一番褪せないのはHBの鉛筆だそうで、とある化石保存会は永く後世に残すため、採取の記録を手書きする際にはシャーペンや鉛筆を用いているようですが、筆圧を触って確かめながら書かれたエム ナマエさんの鉛筆の太い文字は、きっといつまでも褪せないだろうと思います。
今まさに、不慣れな私を導いて同じ時間を過ごしてくださるあなたに、伝えきれない感謝の思いが込み上げます。読みたい作品に囲まれている中、私の大事な『リトル・トリー』もお手に取って熟読していただき、ありがとうございました。
今回ご紹介したのは、手に収まるほどの絵本です。陽だまりのようないきものたちが、日常の中で立ち止まる時間を与えてくれる作品です。よろしければ、お手に取ってみてください。
読み返していて見付けたのですが、絵本なのに栞を挟んでいました。裏に走り書きで、「なくていい平和なんてひとつもない。あっていい戦争なんてひとつもない」と書かれています。間違いなく私の筆跡ですが、エム ナマエさんの言葉だったのでしょうか。栞の存在さえ忘れていて、自分がどんな体勢で書いたのか、その光景も記憶にありません。
あなたの季節は夏なんですね。昨年は、例年とはずいぶん異なる夏を過ごしました。今年は日中の日射しの眩しさも夜風の心地よさもしみじみと感じ、あなたの好きな季節を心ゆくまで堪能したいと思います。
敬具
冬青
こちらは、既視の海さんからのお手紙《あの人だったら、どう行動するか——フォレスト・カーター『リトル・トリー』、向田邦子『手袋をさがす』【書評】》へのお返事として書かせていただいたものです。