ピラミッドの作り方

ピラミッドの作り方を私は知っている。

自分でも妙なことを言っていると思うが、時々そんな気分になる。

もちろん物理の知識は慣性の法則止まりだし、世界史もつまみ食いした程度。
ファラオが冥界へと向かうための船が遥か昔どのように作られたのか、
尋ねられても知恵袋の受け売りしか話せない。

でもなぜだか心の奥底では秘密の答えを知っているような気がするのだ。

正確には「知っている」より「知っていた」に近いかもしれない。
今は思い出せないけれど、以前は知っていた。
この目で確かめたはずだけれど、今は忘れてしまった。

自分が全知全能だと驕りたいわけでも、無知の言い訳をしたい訳でもない。
ピラミッドに限らず、シェイクスピアが何人いたとか、ナスカの地上絵の謎とか、全部今は忘れているだけで、いつかは思い出す気がするのだ。
それは例えば死んだらみんなで答え合わせができるような。

「過去には未来と同じくらいの広がりがある。」
先日、大学の講義で教授が話していた言葉がとても好きだ。
未来が見えないところまで続いているのと同じように、過去もどこまでも続いている。
続いているというより広がっている。

永遠という言葉が怖かった昔の私なら眠れなくなるような言葉だけれど、
その痛みを和らげる魔法みたいだと思った。
何というか時間は一直線にみずみずしく流れる川のようなものではなくて、
もっと淀んだ、沼のような、行先のわからないものなのかもしれない。

16歳の自分は
なんで歴史なんか勉強するの、と尋ねると思うけれど
今の私が考えられる答えはこんなそんなな感じである。


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