自由に生きるとは その2

自由に生きたいと、よく思うのですが、ふとそのことについて気になることがあったので綴らせてもらいます。

昨日は夜勤明けだったのですが、寝ずに一日遊んでました。
基本的に夜勤明けは寝るようにしていたのですが、仲の良い職場の先輩に誘われたので昨日は行くことに。
夜勤明けなのに、キャッチボールをして、ノックをやって、またキャッチボールをやって、という野球部でもないのに野球漬けの1日を過ごしましたが、なんやかんや楽しかったです。ま、好きなことやってただけですからね。
夕方に家に帰ってきたときには、頭が重くてボーッとしていて、横になったら、すぐに寝てしまっていました。相当疲れは溜まっていたらしい。
でも、起きている時はそれに気付いてなかったんですよね、恐ろしいもので。
2時間くらい寝た後に、母親に叩き起こされた時はメチャクチャ身体が重かったです。全身の疲労を自覚した瞬間でしたが、歳とったらこんな感覚なのかな、とふと思いました。職場の利用者さんもこのこの感覚に近いのかな、なんて。

昨日から一夜明けて、今このnoteを書いているのですが、昨日は良い経験だったなーと思います。
今までやったことのない経験だったので。自分がやったことがないことは何でもやりたい人間だということを再認識しました。

昨日、その先輩とどう生きたいかみたいな話になったときがありました。
僕はこうして文章を長く描き続けたいから健康を大切にしたい。
先輩は今この瞬間を楽しみたいから時間が惜しい。夜勤明けでも動きたい。

今を大事にするか
未来を大事にするか

どちらが正しくて、どちらが間違っているわけでもないです。
きっと、『この選択を自分ですること』が自由に生きることなんじゃないかとふと思いました。
誰に言われたわけでもなく(勿論人は過去の経験から選択を行なうわけですが)、自分の意思でこれをやろうと決めて実行することが自由に生きることなのではないか、と。
とてもシンプルですが。
自由に生きる為には、自由に生きる力は確かに必要。その方が生きやすくはなります。
ただ、小さなことから自分で選ぶことを心掛けていけば、自分にしか生きられない日々を生きられるのではないか、とも思うのです。

昔、キンコンの西野さんが、何者かになりたいなら、やらないことを決めろ、みたいな話をされていました。

当時はピンときていませんでしたが、今ならなんとなく分かります。
やるべきこと、やらないこと、を自分で選択していけば、勝手に他人とは違う道を選ぶことになるわけです。

そんなことを、ふと思いました。

夜勤明けに遊んでただけなのにw

この無駄な想像力を大切にしよう、うん。

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