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山ちゃんと蒼井優ちゃんの結婚記者会から発展した「新しい家族」論

この記事を見ていて、ここ数日思っていたモヤモヤが晴れたので紹介したいと思います。(ツイッターにも書いたよ)

主に後半を読んでほしい。(前半もその通りだと思うんだけどね!)

結婚と「お子さんを作る」がイコールなのかは、その人たちの考え方・生き方による。様々な事情で子どもを持たない・持てない人もいる。軽々しく聞けることではないと私は思う。

この部分。本当にその通りだと思う! そしてわたしの中のモヤモヤしていた雲がすっかり散って、猛ダッシュで快晴になった。

数日前上記のツイートに関して、子育て中の友達と討論したのだけど、子育てをしている人たちの中には、いまだに何かにつけて独身を敵とする人たちがいるし、そこには「いつかはあなたも結婚して子育てするんだから」という言葉が飛び交う。わたしはそれにずっとモヤモヤしてたんだよね。

この考え方って、「自分もしている=当然この人もするだろう」って前提での話だと思うんだけど、それはとても危険だと思う。
たとえば相手が同性愛者や何かしらの理由で出産できない人なら無駄に傷つけることになるし、そうじゃなくたって結婚しない、子供作らないと決めている人には絶対に助けてもらえなくて大丈夫ですと宣言していることになる。
それなら「今わたしはとても困っているから、仲間として助けを求めたい」とお願いする方が余程さわやかだ。
「あなたもいつかするんだから助けるのは当たり前」ということになれば、ギブアンドテイクが成立しない相手には助けを求められない。それじゃあ自分の首を絞めることにもなるよ。
あと、自分で「先にくれ」って言うのは個人的に好きじゃない、ってのもある。それは与える側が言うセリフだと思うんだ。「いつかわたしも同じ状況になるかもしれないから、お互い様だよね!」と「あなたもいつか同じ状況になるんだから、お互い様でしょ」は全然違う。わたしのモヤモヤの一部はこれに起因しているのかも。

実際、わたしは30超えてるのに結婚も出産もしてない。それどころか、このまま結婚も出産もしないかもしれない。そういう人生だって、頭には描いている。するかしないか、五分五分。
でも、そんな人って別に少なくないと思うんだよ。会社にだって年上で独身の人たくさんいるし、うちはおじさんもいとこのお姉ちゃんも結婚してない。
特別変な人とか言うこともないし、ブサイクとかってこともない。普通の人だよ。なんでできないか、理由が見つからない。いわゆる欠陥があるとしたら、一人の時間が長すぎて、「自分が選び相手が自分を選んだというたった一人の人間と暮らす」というビジョンがない、ってくらい。だから友達と遊びに行くし、会社の人と飲みにも行く。

そういう人はこの日本にごまんといる。ただただ純粋に、結婚も出産もしていない、という人。

家族社会学には、「画一(化)家族」という言葉があるんだけど、それは近代になってテレビドラマが似たような家族を描いたことで作られていった、というかなんとなーく《当たり前》になった家族の形のことを言うだよね。
サラリーマンの父親に、専業主婦かパートの母親、そして二人の子供。それはテレビが普及して一家に一台という時代になった70年代後半くらいにできた家族の形なんだけど、当時のドラマはみんなそういう家族だったの。

少子化って言うけど、国が発展する過程でどこでだって少子化って起こるのね。貧困がゆえの少産多死の時代から、食糧不足が解消されると多産多死になる。そしてさらに医療の発展に伴って多産少死になると、今度は一点集中で手塩にかけて育てようって時代が訪れて、少産少死の時代になる。
これは別に日本だけに限らなくてどの国でも同じようになってきた。で、その少産少死の時代こそが「画一家族」の時代なんだよね。おじいちゃんやおばあちゃんはやたら兄弟多いのに、自分は一人っ子か兄弟1人いるだけっていう人多いと思うんだよ。そういうこと。

で、現代はそれがさらに進んで、家族の形、正確には人の生き方が多様化してる。
年頃になったらお見合いをして強制的に結婚させられる時代から、恋愛を経て結婚するのが当たり前、できない人は負け犬みたいな恋愛結婚時代、そして今は結婚をしない人もいる時代。つまり結婚が選択できる時代になった。
仕事の方が大事なら、それも素晴らしい。“おひとりさま”にも人権が与えられている。
出産も同じ。子供を産むも産まないも本人次第。産みたくても産めないと言う人もいるし、逆に産みたくないのに産む人もいる。お家問題から解き放たれて、自由になったからこそ、強制力がなくなった。(もちろんまだある地域もあるけど)

これからはもっともっとそうなる。結婚も出産もどっちもどんどん自由になる。
でもだからって、けして孤独を愛する人が増えているわけじゃないと思う。独り身だけどSNSなんかで人とつながってるって人も多いしね。
恋愛だとか、人と合わせることだとか、親の古い考えとかが煩わしくて、それを選ばずに生きているだけで、天涯孤独サイコー! って思っているわけじゃない。

これからはたぶん、「家族」とは違った形のコミュニティが必要とされる時代になると思うんだよね。
今は、同性婚が認められたり、事実婚とかパートナーシップ制度?とか、「家族」というものの形は徐々に変わってきてる過渡期。でもさらにその先には、血縁関係や婚姻関係とはまた別の、個が寄り集まった人工的なコミュニティができると思うんだよね。
要するに、独り者同士が集まって作る集団。シェアハウスみたいなものを想像してもらえばいいと思うんだけど、そういう、これまでの血縁や戸籍によって結ばれた「家族」という単位がない村、みたいな感じかな。
そうやって個でありながら、互いに生存確認し合う、ささやかながら交流のある集団。

もっというと、そこが孤児院も兼ねたらいいなと思ってるんだよね。「親」は必ずしも2人である必要はないし、もちろん血縁関係なんてなくていい。ただ、お世話してくれたり、近くで見守ってくれたり、相談に乗ってくれたり、そういうことをしてくれる大人が近くにいればいいと思うんだ。
何割かの確率で、親との相性が悪いというのは、絶対起こってしまうことだし、産みたくないのに産まなくてはいけない状況に陥ることは絶対にある。減らしたくても減らせない。
そういう子供たちと、このコミュニティの人たちは相性がいいと思うんだ。
まじで、孤独サイコー! って人以外は、他人が近くで生きていることがわかる感覚に安心感を得ることができると思うし、仮に社会の構成員を増やすことを社会貢献とするならば、そういう子供たちを社会へ出して恥ずかしくない人間に育てるというのは、血縁関係がなくたってできる。
しかもここでなら、たった一人で苦しむこともない。大抵は誰かしらがいてくれる。(誰もいない時もあるだろうけど)
なんならお母さんごと来たっていい。その手に抱いた赤ちゃんをみんなで育てることだってできるんだ。

大学の時、確かに家族社会学を専攻していたけど、だからこそ「家族」の形は多様であれと思う。
わたしの卒論のテーマは、「少子化とよい子の犯罪」だからね。画一家族である社会は、安心感がある反面、ちょっとしたズレで崩れることもある。そういう危うい社会だよ。


ちなみに現在、絶賛執筆止まってる中の「箱庭」もそういうコミュニティにまつわるお話です。いつになるかな〜……(遠い目)

山ちゃんと蒼井優ちゃんに幸あれ☆

サポートしようかと心の隅の方でふと思ってくれたあなた!ありがとうございます!毎日夜のカフェでポリポリ執筆してるので、応援してくれたらうれしいな!なんて思ったりしてるよ!