【れ】歴史にそろそろ近代史って科目を別に作った方がいい気がした話
最近、連載中で止まってる「箱庭」を改めて書き直すべく、近代史、というか主に昭和史を勉強し始めた。20世紀の頭から、主には第一次世界大戦以降の日本を取り巻く世界史、日本史、併せて当時の日本の暮らしぶりについての本を読んでいる。平成が終わるまでには連載を始めたいなぁ。でも先は長い。
そんな風に本を読んでまとめたりしていると、進学校で世界史をモリモリ勉強していた上に、浪人までして予備校でもモリモリ勉強していたはずのわたしですら、近代史をあまりにも知らないことに気づく。
タコパをしつつ友達にも話してみたら、「それどころか参議院とか衆議院とか、小選挙区とか全然わかんない」「そういや、なんでカジノ作るの? オリンピックの会場の使い道的な?」「第9条ってなんで変えたいんだっけ」という、おそらく政治に詳しい人が頭を抱えてしまうような発言を乱発した。こんなの、わたしたちが勉強不足だと言われたら反論の術もないが(ごめんなさい、勉強します)、みんなちゃんと大卒だし、こう言ってはなんだけど、一応難関私大と呼ばれる大学(文系)を卒業している。つまり、受験でしっかり歴史(日本史・世界史)を勉強しているはずなのです。
なんでこんなことになってしまったのか。高校生のときは、自治問題について登下校中に討論するような奇特なJKだったはずなのに。
そんな女子高生だった過去のわたしの名誉のためにいうと、例えば五・一五事件だとしたら、総理大臣だった犬養毅が暗殺された事件というくらいは当然習っていたし、読めば思い出すこともできた。
ただ、それが実は当時世界恐慌と凶作の煽りで超絶貧困状態だった農村部から徴兵制でやってきた兵士たちと暮らしている青年将校が、国家改造を望んで犯行に挑んだという背景は全く知らなかった。これは、「昭和史入門(保坂正康 著)」に書いてあったし、この頃の暮らしぶりがひどかった点については「漫画昭和史-庶民生活泣き笑い(金森健生 著)」にもあった。
もっと言うと、昔の日本が軍国主義だったのは知っていたけれど、どんな風にそうなったのかも知らなかった。よくわかんないけど、天皇は神様で、軍が偉かったんでしょ? 程度の認識で、そんな時代にフェイドインしていたことに疑問すら持っていなかった。
何でこんな結構大事なことを、あんなに寝る間も惜しんで勉強していたはずのわたしが知らないのか。けっして怠惰な先生についたわけではない。先生たちはみんなできる限りのことをして、正直おバカだったわたしを無謀な志望校に合格させるために手を尽くしてくれた。本当に感謝しかない。
もしかしたら先生は触れていたのかもしれないけど、周囲の単語の「受験に出そう」感に埋没していたのかなとも思う。
ただ、もう限界なんだろうなぁ。
日本の歴史の授業は、猿人からのネアンデルタール人とクロマニヨン人から始まり、メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス川の間で栄え、エジプトは肥沃な土壌でナイルの賜物と続き、ギリシャ文明やら古代ローマ帝国やらと、たった2年やそこらで人類の歴史を現在に至るまで一気に勉強する。ネアンデルタール人なんて40万年前だし、メソポタミア文明ですら1万1000年くらい前の話だ。もうそんなの近代史まで行ったら時間切れで力尽きているし、世界史なんてアフリカの話ししてたと思ったらヨーロッパに移ったり、しまいには中国4000年の歴史の話になったりする。もう、マルクス=アウレリウス=アントニヌスとかどうでもいいわ! と叫びたくなってくる。(覚えなくていい名前ばっかり覚えている、世界史受験者あるある)
でも、本来知っておくべき歴史というのは、古代ローマ帝国の話なんかじゃなくて、きっと20世紀の日本、そして世界の話なんだろうと思う。歴史を学ぶ理由は、やっぱり過去の反省を現在に生かすことが一番大きい。
20世紀は、おじいちゃんおぼあちゃん、お父さんお母さんが生まれ育った時代だし、一応わたしも生まれた時代だ。今生きている日本人の大多数は昭和生まれで、大きな戦争が2つもあって日本も大きく変わった。ここから学び、今に生かすべきことは本当に多いと思う。
今の小学生は、たぶんおじいちゃんおばあちゃんから戦争の話を聞かされることはないだろう。同居している家庭も少ないし、そもそも年齢的にはひいおじいちゃんひいおばあちゃんという子も多いだろうし、そうなるとますます同居していない。もっと言うと亡くなっている確率の方が高いだろう。
このまま風化して行って、あれれいつの間にか第9条変えられてるや、ん〜まぁいっか! なんてことになったら恐ろしい。日本最強説みたいなツイッターが流れて、戦争だ! 核だ! なんてことに……は、さすがにならないと思うけど、それってもはや現代版の軍国主義だ。
せっかく世界で唯一の戦争をしない国なんだから、なんでそういう憲法ができたのか知っておきたいと思うし、今の子供達にも知ってほしい。
それには、とりあえずマルクス=アウレリウス=アントニヌスを覚えている場合ではなく(しつこい)、近代史をじっくりみっちりやったほうがいいんじゃないかなと思った。
もう世界史、日本史の単語や年号なんて覚えなくていいじゃない。もはや時代は、野崎まどの「know」(小説)と同じように、調べたら出てくる時代、「覚えている」ことと「調べて知る」ことにタイムラグがない。だから覚えていなくたって、知っていればいい。心に焼き付いていればいい。脳に一時的に刷り込む時間を削って、もっとその頃の日本を世界を「深く知る」教育をしてほしいなぁと思う。
もうわたしの頃からそれで良かった説もあるけれど、今の子はデジタルネイティブ。ますます覚える必要なんてなくなって来てるんじゃないかな。
文部科学省さま、近代・現代史をじっくりやる気はありませんか?
明治、大正、昭和、そして平成を、2年間かけて週に2回くらいやれば、修学旅行で行くひめゆりの塔や原爆ドームも、もっと意味を持つと思うから。
サポートしようかと心の隅の方でふと思ってくれたあなた!ありがとうございます!毎日夜のカフェでポリポリ執筆してるので、応援してくれたらうれしいな!なんて思ったりしてるよ!