【ネタバレだらけ】最後を観客に託す「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」で私が見付けた自分なりの答え。
結論から言うと、私たちの知ってるジョーカーでは無い!!!!
でも、これで良かった。
制作が発表された時は「一体どんな狂気的な映画になるのか?ついに狂気的な姿が見られるヒャッハー!」と大興奮した
が、
実際に観て思ったのは「・・・ジョーカーとは?(哲学」だった。
面白く無かったかと言うと決してそうではない。むしろ好き!!!
ただ、予想していた狂気的で残虐なジョーカーとは違う作品だったのだ。
バットマンに異常な執着を見せるあの狂気じみたサイコパスのジョーカーではなく、
ある男の人生の軌跡の物語だったのだ。
アーサーはジョーカーではなく「山を作った男」だったのだ。
私たちの見ているものは現実か?幻想か?
アーサーの人生を追うことで、私がこれまで抱いていたジョーカーのイメージに疑問が生まれた。
私の知っているジョーカーって・・・ジョーカーの表面部分だけなのでは?
いや、そうなんだけど。アイツ本当に何者なんだろ。
私自身も無意識のうちにアーサーに「ジョーカーである」ことを期待していたのかもしれない。優しく気の弱い中年男性ではなく、あの狂気的なジョーカーであって欲しかったのだ。
ごめんよ、アーサー・・・!だってタイトル「joker」なんだもん。
この作品を通し、自分の中の偏見に気付かされる。
表面的な見た目や状況から人を判断してしまう癖、そして誰かの「特別な存在でありたい」という欲求の存在に。はい、そこ見ないふりしてるやつなので映像で掘り起こすのやめて?!
そういった人間的な一面が、リーの姿を通して巧みに描かれていた。
アーサーとリーの関係は非常にグロテスクだったが、人間関係の本質を鋭く映し出していたと思う。
アーサーではなく、特別な存在である「ジョーカー」を求めるリー。
リーの承認を過剰に求めすぎ、本当の自分を見失いかけるアーサー。
この対比に胸が苦しくなった。
結局どっちも本人を見てないのよね。
ぐぅ、悲しい。
2人のシーンで、特に印象に残ったのが、独房の脱童貞シーンだ。
リーが現れ現実?妄想?と喜ぶアーサーに対して、リーはジョーカーのメイクをほどこす。
冴えないおじさんとはしたくないけど、
カリスマジョーカーには抱かれたい。
これをセリフではなくメイクで示す美しさとグロテスクさ。
1番好きだけど、1番嫌いなシーンだ。
残酷すぐる。もうやめて、アーサーのライフはゼロよ。
ジョーカーであることを降りて、アーサーに戻ったらあっさりポイだしね。
リー!!!お前本当に!!!!!(泣)
本物のジョーカーならリーの洗脳も逆に利用したんだろうな。
ラストシーンはかなり賛否が分かれるところだと思う。
今まで見てきたジョーカーはジョーカーじゃないなんて誰が思っただろうか。
(アーサーを刺した男が、後ろでジョキジョキお口切ってたので、彼が後のジョーカーになると思われ)
しかし、個人的にはアーサーが生み出した「ジョーカー」の狂気が確かに受け継がれていく様子が描かれ、ジョーカーの持つ恐ろしさが感じられた最高のラストだったので大満足!!!!!!!
アーサーはジョーカーでは無かったが、確かに狂気を生み出し「山を作った」のだ。
副題を「2人狂い」ではなく「伝承」や「感染」とした方が、ジョーカーの本質をよりよく表現できたのかもしないと思ってみたり無かったり。
総評:妄想の中でハッピーに生きようぜ!!!!!
はちはバットマンの嫁!!!!!!!!!!!!
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